二話 取り出したのは不思議なテント
「この地図ってどこの地図?」
インフェリアイが地図に頭を突っ込みながら尋ねる。
「わたしの国付近の地図のはずだよ」
「妙ね……この地図のどこにも森なんてないのよ」
「わたしが持って来る地図を間違えたのかな?」
「でもそこ以外の地形は合っているはずなのよ、見えないけど。この岩場は載っていたわ」
インフェリアイは地図を美少女に返すと立ち上がり、美少女に手を差し出す。
「まあ地図によると、ここから少し南へ向かったところに村があるみたいだし。確かめに行きましょう」
「そうだね、ここでいても仕方ないし」
ちょうど休憩も終わった、と美少女は地図をしまうとインフェリアの手をつかみ、立ち上がる。
「南ってどっち?」
「だいたいあっちね」
「その根拠は?」
「勘よ」
「……ああ、なるほど」
方角がわからない以上、インフェリアイに従う他ない美少女。
方角が違っていてもなんとかなるだろうと、二人は歩きだす。
インフェリアイは少し前を歩く美少女を見る。ぼやけてよく見えないが、鼻歌が僅かに聞こえて来て、どこか楽しそうに思える。
「足は大丈夫なの? さっきまであんなにしんどそうだったのに」
「少し疲労感はあるけど、大丈夫よ。それに楽しいし」
今まで美少女は他人と一緒過ごすという事がほとんどなく、一人で過ごしてきたため、こうして誰かと一緒にいるというだけで嬉しいし楽しいのだ。
「それなら良かったわ、転ばないようにね」
そこから歩くこと約三十分。美少女は額に汗をにじませながらインフェリアイの後ろを歩く。
(だめ……ひさしぶりに思いっきり走ったダメージが思いのほか大きい……)
インフェリアイは涼しい顔をしながら一定のペースで歩き続けている。時折、美少女のほうを振り返っては大丈夫か、と声をかけてくれる。美少女は大丈夫、と返していたが次はしんどい、疲れた、と返そうと心に決めた。
「大丈夫?」
「しんどい、疲れた、今すぐ休もう。あそこに見える廃墟で休憩しよう」
美少女は右手を指さす。丘の上に石でできた建造物がある、所々が崩れており、蔦が絡まっている。インフェリアイは美少女が指さす方向を睨む。
「あれって建物なの? ただの岩だと思ったわ。それならあそこで休憩しましょうか」
インフェリアイが建造物に向かって歩き出すと美少女も少し遅れながらも歩き出す。
近くに来ると先ほど見た建造物が思いのほか大きい、高さ十メートルほどの壁が横に広がっている。
「デカいわね、城壁かしら?」
「城壁……の割には薄いよね」
程なくして二人は建造物の崩れた部分から壁の内側に入った。中には草原が広がっており、その広大な土地を囲むように、正方形に壁が建てられていたがやはりどの壁も所々が崩れて蔦が絡まっている。
「なにもないわね……」
「うん……」
美少女は周囲を見渡す。
「壁が崩れると危ないから、離れよう」
頷いたインフェリアイと共に壁から離れ、草原の中心へ歩く。
「あれ?」
美少女の目に入ったのは、まるでなにかにごっそりとその一部だけくり抜かれたような、土が剥き出しになっている窪地だった。
「色が違うわね。あれは……窪んでるのかしら」
目を細め、目を凝らすインフェリアイの肩を叩く。
「近くに行ってみよう」
近くに来た二人は窪地を覗き込む。
窪地は広い範囲を半円状にくり抜かれており、深さは中心部で一メートルほど。草や石などもなく、綺麗な状態なためそう古くないものだと予想できる。
「とりあえず、座りましょうか」
二人は窪みから少し離れ腰を下ろす。インフェリアイは受け取った地図に頭を突っ込み、美少女は辺りを見回す。
所々壁が崩れているせいか、穏やかな風が植物の葉が擦れあう音と共に入り込み、二人の身体を優しく撫でる。美少女は寝転がり、インフェリアイに目を向ける。
「なにかわかった?」
インフェリアイは地図を美少女に返し、寝転がる。
「地図にこの場所は載っていたわ」
「それならあの森はなんだったんだろう」
「書き忘れかしらね」
二人は目を閉じ、息を深く吸い込み、ゆっくりと吐いていく。すると、ぐぅ~と腹の鳴る音が葉の擦れあう音に紛れて聞こえてきた。
「そういえば、まだだったね」
「そういえば私、もう何日もご飯食べてないし、お風呂も入ってないのよね」
「あー確かに、少しやつれているなって思っていたんだ」
美少女は起き上がり、インフェリアイに目を向ける。
「ふふん。こう見えて私、丈夫なのよ」
「なんで得意げなの⁉ 私より元気だから忘れてた……本当にごめん、すぐ準備するね」
美少女は頭を下げると肩からかけているカバンの中をガサゴソと探り、一つの円形の袋を取り出した。袋から黒い中身を取り出し、少し離れたところで広げ始めた。あっという間に半円状のテントができた。
インフェリアイは美少女に近づき困惑気味に尋ねる。
「なにそれ、テント……?」
「そう、テント」
「そのカバンから出てきたように見えたんだけど……」
「カバンから出したよ」
「カバンの方が明らかに小さいわよ……あなたは手品師なの?」
「美少女だよ。とりあえずテントの中に入ろう、もっと驚くから」
美少女はイタズラな笑みを浮かべ、テントの入口のファスナーを開けて中に入り、手招きをする。インフェリアイは少し戸惑う、テントの中が真っ暗なのだ。
「どうしたの? あ、靴は履いたまで大丈夫だよ」
テントから頭だけを出している美少女はインフェリアイから見ると首が浮いているように見えるのだ。
(私の目が悪いからそう見えるだけよね)
インフェリアイはテントの入り口に近づく、やはり入り口は黒でべったり塗られたように中が何も見えない。でも美少女が入っているなら大丈夫かと思い、思い切って中に足を踏み入れる。
中に入ったインフェリアイは気の抜けた声を出してしまう。なんせ自分が立っている場所は家の玄関なのだ。目の前にはリビングキッチンが広がっており、天井から暖かい暖色系の灯りが部屋を照らす。左奥にカウンターキッチンがあり、その手前に四人掛けのテーブルと椅子がある。右奥、インフェリアイの正面には、ドアが見える。いくら目の悪いインフェリアイでもそれぐらいはわかるほど家だったのだ。
「靴はそこで脱いでください」
正面のドアから美少女が現れる。
「え……ええ。これ、え、どうなってるの……?」
「まずはお風呂に入ってご飯を食べよう。大丈夫、ここは安全だから」
「そそそそうよね。お、お邪魔します」
インフェリアイは靴を脱ぎ、おずおずと足を踏み入れる。美少女はインフェリアイの背を押し、ドアへ向かう。
「まずはお風呂ね。あ、着替えはわたしのを貸すね、体格はそこまで変わらないと思うし」
美少女はそう言いながらドアを開く。ドアを開いた先は廊下になっていた、リビングと同じく暖色系の灯りが廊下を照らす。廊下の左右に二つ、突き当りに一つ、計五つドアがあった。
「右の手前のドアがトイレで、その正面のドアがお風呂ね。それで、トイレの奥のドアはウォークインクローゼットでその正面が寝室。突き当りのドアは開けても壁ね」
美少女は説明しながら左手前のお風呂に続くドアを開く。脱衣所にはバスマットが敷かれ、バスタオルやフェイスタオルの入った棚、隣にシンプルな洗面台がある。
「タオルは適当に使ってね。脱いだ服と使い終えたタオルはそこの籠へ。それじゃ、わたしはご飯を作ってくるね」
ごゆっくりー、と美少女は脱衣所から出る。未だ困惑気味のインフェリアイはとりあえず言われた通り、風呂に入ろうと服を脱ぎ始める。
一糸まとわぬ姿となったインフェリアイは浴室へと続くドアを引き、足を踏み入れる。浴室は長方形に広がっている、入口から手前半分、左の壁にシャワーがある。その下の台にはそれぞれ色が違うなボトルが四つあり、その手前に椅子が置いてある、左の取っ手には白いものが吊るしてある。そして奥半分には大きめの浴槽があり、人が三人は余裕で入れそうな大きさだ。インフェリアイが見たことある浴室よりもかなり広い。
「言い忘れてたけど、赤いのがシャンプーで青いのがボディーソープ、黄色がコンディショナーで紫色がトリートメントね。横に吊るしてるのはスポンジ、身体を洗う時に使って、あと蛇口をひねればお湯が出るから」
「ええ、ありがとう」
インフェリアイはシャワーに向かい、蛇口をひねる。ちょうどいい温度のお湯がシャワーから出てくる。シャワーで全身を流した後、椅子に座る。
手のひらにシャンプーを適当にとり、頭をわしゃわしゃと洗い始める。髪が長いのでなかなか手間がかかる。シャワーでシャンプーを流し、吊るしてあるスポンジを手に取りシャワーで濡らし、ボディーソープをつける。クシュクシュと泡を立て、身体を洗う。
首、肩、腕、背中に前面、下肢、と上から順に身体を洗い終えシャワーで流す。全身の泡を流したのを確認し、湯船に向かう。
髪が湯につかないように頭上に束ねて手で抑え、慎重に足先から湯船に入っていく。肩まで浸かりきったインフェリアイの身体を少し熱めのお湯が包み込む。溜まりに溜まっていた疲れがお湯に溶けだしていくような気がして、思わず息を漏らしたのだった。
風呂から上がったインフェリアイは脱衣所に出る。棚からバスタオルを取り出し、髪と身体を拭いていく。棚の上に着替えが用意されていることに気づき、バスタオルを頭にかけたまま着替えを手に取る。伸縮性のある下着を着けた後、青色のブラウスを着て黒のプリーツスカートを履く。インフェリアイは鏡の前に立つ。
「……よく見えないわね」
インフェリアイはバスタオルを籠に入れ、廊下に出るとリビングキッチンの方からなにやら香ばしい匂いが漂ってくる。
「あら、いい匂い」
ドアを開け、リビングキッチンに入ると、エプロン姿の美少女が料理をテーブルに置いているところだった。
「あ、ちょうど今できたところだから、先に座っていて――わあ! すごく似合ってる!」
美少女はガラスのように透き通った瞳を煌めかせる。
「そ、それはよかったわ、なにからなにまでありがとう」
インフェリアイは赤くなった顔を隠すように、そそくさと席に着く。
「気にしないで、服のサイズは大丈夫? 一応あまり気にならない服を引っ張り出して来たんだけど」
「サイズは大丈夫よ。ただ……なれない服装だから少し落ち着かないわね」
「インフェリアイ用の服を買わないとだめだね」
「そうねえ、下着ぐらいは買わないと」
「ふふ、楽しみ」
美少女は皿をインフェリアイの前に置き、インフェリアイの正面に座る。テーブルには湯気が立つクリームシチューが器に入れられ、レタスときゅうりと半分にカットされたゆで卵とミニトマトが盛られた器もある。芳ばしい香りを漂わせるバターロールは皿に盛られ、テーブルの真ん中に置かれてある。
二人はいただきます。と手を合わせ、食べ始める。インフェリアイはスプーンでシチューを掬い、口に運ぶ。口の中にクリームの滑らかな甘みが広がる。その瞳には僅かに涙が滲んでいた。
「美味しい……」
「……よかった」
美少女はほっとした様子でシチューを口に運ぶ。
二人は黙々とシチューを口に運ぶ。やがてシチューが少なくなってきた頃、美少女はバターロールを手に取る、それを一口大にちぎり、シチューをぬぐうようにし、パンに滲みこませたパンを口に入れる。柔らかくふやけたパンは食べやすく、パンとシチューの違う種類の甘さが同時に口内を満たす、美少女は思わず目を細める。
そんな美少女を微笑ましく見ていたインフェリアイはふと思い出したように尋ねる。
「快適すぎて忘れていたけど、ここっていったいなんなの?」
持っていたパンを食べ終えた美少女はレタスをフォークで刺しながら困った顔を浮かべる。
「ああ、そうだった。正直私もいまいちよくわかっていないんだけど、テントの中に違う空間がある……というかテントが違う空間の入口になっているというか。安全な空間ということしか……あとは服の洗濯とか、部屋の掃除とかは自動でやってくれる超便利な所」
「違う空間ねえ……」
インフェリアイはパンを取り、ちぎって口の放り込み、難しい顔をしながらパンを咀嚼し、飲み込む。
「……どうしてこんなに便利なものを持ってるの?」
「実は貰い物なの、このテントも、あのカバンも」
「貰い物……。それって安全なの?」
「安全だと思うよ、多分」
美少女は思い出すように眉根を寄せる
「確か、遠路はるばるわたしに会いに来た魔法使い? に貰ったと思う」
「魔法使いって実在するの?」
美少女は家を見渡す。
「こんな凄いものを貰ったからねえ。信じるしかないよ」
「そうよね……。それでも安全かどうかはわからないと思うけど」
「インフェリアイは心配性ね。大丈夫よ、これをくれた魔法使いはわたしにゾッコンだったから」
インフェリアイは、ほら、わたしって美少女だから。と自分自身を指でさす美少女に目を向ける。
「その魔法使いは……?」
「ありがとうございますって笑顔でお礼を言ったら吹っ飛んだ」
「美少女ってえげつないのね……」
冷や汗を垂らすインフェリアイ。
美少女はいつものこと、とでも言うようにひらひらと手を振る。
「老若男女問わず、私と目があえば卒倒するかぶっ飛ぶから」
それに、と言葉を区切り、少し寂しそうな様子でポツリと。
「わたしに近づく人間ってロクでもない奴らばっかりだったから……」
「……相手が子供でも?」
「子供自体はそんな事なくても、その親がね……」
二人の間に重い空気が漂う。そんな空気を変えるように。
「でもまさか、目が悪いから私と話しても無事な人がいるとは」
美少女はくつくつと笑う。美少女はインフェリアイが食べ終わったのを確認すると、ごちそうさまでした。と手を合わせ、キッチンの方へ促した。食器を流し台に置く。
「そうだ、これを見て」
美少女はキッチンの隅にある白くて四角い箱を手で示す。
インフェリアイは箱の近くでしゃがむ。
「なにこれ? ああ、箱ね……?」
「ふたを開けてみて」
インフェリアイは頷くと恐る恐る蓋を外し、目を細めてそっと中を見る。
「わっ! どうなっているの⁉ というかなんなのこの動いてるのわ⁉」
「すごいよね、この中に漂っているのは全部食材なんだ」
箱の中にはまるで宇宙空間のようなものが広がっており、その中をシャボン玉のようなもので包まれた食材が漂っていたのだった。
「食品庫ってこと?」
「そういうこと。この中に入れれば腐らないという」
「すごいじゃない! まるで時間が止まっているみたいね」
インフェリアイはひとしきり見た後蓋を閉じ、立ち上がって美少女を見る。
「もしかして、ここにいる間は外の時間は進まないってことは――」
「それに関しては、外と時間の流れは変わらないよ」
「それはよかったわ……」
胸を撫でおろすインフェリアイ。美少女はその様子を懐かしそうに見ている。
「わたしもそう思ったよ。大丈夫、昔話のようにはならないから」
インフェリアイは恥ずかしそうに顔をそむける。
「そ、外から急に襲われても大丈夫なの?」
誤魔化すように言ったがその懸念は最もだ。
こんな場所に見張りもいないテントがポツンとあり、中からは外が全く見えないのだ、ならず者に襲われるかもしれない。
「それも大丈夫、安心して。防衛機能がついているから」
「本当なの?」
「本当だよ、前にわたしがここから出た時、辺りが焦土と化していたから」
冗談めかしてそう言う美少女だが、インフェリアイはそれを信じて良いものかと冷や汗を垂らす。
「それなら安心……よね?」
「安心安心、女二人の旅路にピッタリだね」
「まあ、そうよね」
インフェリアイは深く考えるのを止めた。
顔を見合わせた二人は笑い合う。
「そろそろ外に出ましょうか、日が暮れる前に村へ行きたいし」
「そうね、せっかくの旅だもの」
美少女がエプロンを脱ぎ、椅子にかける。
そして玄関に向かい靴を履く。
「あ、靴は――」
美少女がそう言うとインフェリアイは、心配するなというふうに。
「靴は流石にサイズが合わないでしょう? 大丈夫よ、汚れているだけでまだ全然履けるから」
確かにかなり汚れていて傷んでいるもののまだ履けないというほどではない。
美少女はそれを認めると自身の靴履き、ドアに手を掛ける。
「入ってきた時はそれどころでは無かったけど、そのドアってなんなの?」
「このドアはテントのファスナーと連動してるんだ」
「なるほど……」
納得したインフェリアイも靴を履き、美少女に並ぶ。
美少女がドアを開け、外に出るのだった。
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