エピローグ

第51話 贈り物

 めでたいことに、妹で暴食姫であるベルと、元勇者でアスモの婚約者だった男がいい感じになっているらしい。


 湯浴みの支度を調えたアスモは、今朝届いたばかりの贈り物を楽しそうに湯船へ浮かべた。


 ここまで贈り物を持ってきてくれたかわいい恋人たちに下がるよう命令すると、みな悔しそうに歯噛みしながら退室していく。


「ああ、なんてかわいらしいの。あとでちゃんと、かわいがってあげますからね」


 ヒラヒラと手を振って見送る。

 呼び戻してくれないかな、とけなげに視線を寄越してくる恋人たちに、アスモはますます愛しさを募らせた。


 たくさんの恋人を持つことはもう終わりだと思っていたから、役目を解放されてとても気が楽だ。役目を代わってくれたベルには、感謝しかない。


 生まれ落ちたその瞬間から、魔王の生まれ変わりを射止め、目覚めないように魅了し続けることが役目だった。

 色欲姫とは、そういう存在なのだ。


 望んでなったわけではなかったから、もちろん抗おうとした時期もあった。


 たった一人だけしか愛しちゃいけないなんて、馬鹿げている。


 誰からも愛される色欲姫なのに、どうして婚約者だけを愛さなくてはならないのか。


 愛してくれる者みんなを愛してあげるのが、色欲姫たるアスモの役目ではないのか。


 自暴自棄になって、たくさんの恋人をボロ雑巾のように使い古した。

 けれど、いざその時になったら、スゥッと諦めがついた。


 だからアスモは思ったのだ。

 色欲姫とは、魔王の生まれ変わりのために存在する者なのだと。


 覚悟を決めて、いざ対面となったら、怖くてたまらなくなった。


 もしも失敗したら……。

 そんなことは絶対にあってはならないことだから、アスモは持てるものを全て使って気に入ってもらおうとした──のだが。


『さぁ、勇者様。せっかくの機会ですもの、アスモの体を召し上がってくださいな?』


 そして、肉欲に溺れるのです!


 と、内なる心が透けて見えてしまったのか、勇者はアスモを痴女呼ばわりしてきた。

 挙げ句の果てには、グラマラスな美女が地雷だから来ないでくれと泣き出す始末。


『嫌よ。食べてくれるまで、帰りませぇん』


 帰らない、ではない。

 帰れないのだ。


 だってアスモが彼を射止めないと、地の国は焼け野原になってしまうかもしれないのだから。


 そうなれば、アスモがかわいがってきた恋人たちが悲しい思いをすることになる。

 それだけは回避せねばと頑張ったのだけれど……頑張りは虚しく空回りし、勇者は逃げてしまった。


 こうなってしまった以上、事情を知る者はベルにその役目を押し付けるだろう。

 なんだかんだベルに甘い魔王は多少融通がきくかもしれないが、宰相なんかは絶対にきかない。


 宰相は、魔族のくせに真面目すぎるのだ。

 魔族は適当な性格の者が多いから、そうならざるを得ないだけかもしれないが。


 頰いっぱいに食べ物を詰め込み、モキュモキュと咀嚼する愛らしい妹を思うと、とてもではないけれど肩代わりさせる気にはならなくて。


 だからアスモは、金さえ払えばなんでもする下衆な兄マモンに金を詰んだのだ。


『ベルが気に入らないの。だからちょっと、協力してくれない?』


 もともとルシフェルとは犬猿の仲であるマモンは、彼に気に入られているベルのことを追い出せるチャンスだと、相場よりも安い金額で手を貸してくれた。


 なかなかに大根役者でドン引きしたが、察したらしい魔王のおかげで無事にベルを遠ざけることができて安心した。


 なのに。なのに、だ。

 よりにもよって追放先で勇者とエンカウントするとは。

 あの時ほど、自分の無能ぶりを呪ったことはないとアスモは今でも思っている。


「それでも……ベルのあんな姿を見たら、悪くない判断だったって、思うわ」


 少し前に、アスモはこっそりベルと勇者のことを見に行った。

 ルシフェルから二人のことは聞いていたが、直接目で見て、確かめてみたくなったからだ。


 今も二人は、ゴミ溜めの森ホーディング・フォレストで暮らしている。

 厚い氷が張った湖の上で、小さなテントに身を寄せ合いながら、なにやら楽しそうに魚釣りに勤しんでいた。


 釣った魚に衣をまぶして、小さな鍋で熱していた油でカラッと揚げる。


 美味しそうに魚のフライを頬張っているベルは相変わらず頬擦りしたいくらいかわいかったし、そんな彼女に次々と魚を揚げて「あーん」する勇者を見ていたら、二人がくっつくのは当然だなと諦めもついた。


 そう、諦めだ。

 たくさん抗ったし、時には何にも知らないベルに八つ当たりしたこともあったけれど、それでも色欲姫として使命を全うしなくてはという矜持プライドがあった。


 今はもう、すっかりない。

 だから思いきり、恋人たちを愛せるのだ。


「さて。贈り物を開封しましょうか」


 最後の一人が退室したのを確認して、アスモは贈り物を隠していた包み紙ローブを取り払った。


 大腿四頭筋だいたいしとうきん大臀筋だいでんきん上腕三頭筋じょうわんさんとうきんに、大胸筋だいきょうきん……はち切れそうなくらいパンパンに詰まった筋肉は、実にアスモ好みである。


 魔族だったら容易にアスモを組み敷ける体格をしていながら、人の身であるゆえにアスモが負けることはない。


 なんて、好都合すぎる男だろう。

 ハムストリングスを磨く手にも、力が入るというものだ。


 彼の名前は、ボルグ・ラッカムというらしい。

 かつて勇者とともに戦士として地の国へやってきたこともあった彼だが、現在は囚人である。


 アスモが使っている屋敷から、永遠に出ることは叶わない。

 だが生涯アスモに愛してもらえる、甘い罰を受けている。

 もっとも、今朝到着したばかりなので、彼にその自覚はないだろうが。


 失礼ながら頭が良さそうには見えないのだが、どうやらこのボルグという男、勇者とともにもう一旗揚げようとしていたのだとか。


 けれど勇者本人から拒否され、やむなく計画変更。勇者を殺害し、彼の弔いとして地の国に戦争をふっかけることにしたそうだ。


「ルシフェルお兄様に全て言い当てられているあたり、やっぱり賢くはなさそうねぇ」


 でも、肉体奉仕なら上手そう。

 ニヨニヨと忍び笑いを漏らしながら、アスモは苦悶の表情を浮かべるボルグの眉間にキスを落とした。

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