城を追放された魔王の娘ですが、森で勇者を拾ったのでいっしょに珍味生活はじめます!

森湖春

プロローグ

第1話 冤罪なのですが⁈

 真っ先に目に入ったのは、おどろおどろしい紫色の空に浮かぶ、毒りんごのような深紅の月。


 仄暗い室内を、稲光が照らす。

 特に天気が悪いわけでもないのに雷鳴が聞こえているのは、いつものことだ。


 ひと月ぶりに入った、魔王城のダイニングルーム。

 大きな窓から見える風景は、変わらず陰気なものだった。


 つまらないと思う。

 だけれど、そんなことはどうだっていい。

 それよりももっと大事なことが、これから始まるのだから。


 とめどなくあふれ出る期待を制するように、唇を舐める。

 ベルは案内されるまま、六番目の席へ腰掛けた。


「それでは、はじめるとしよう」


 どうやら彼女が最後の招待客だったらしい。

 上座に座った父──魔王が厳かに宣言すると、メイドたちが静々と料理を配膳し始めた。


 はじめはオードブル。

 角切り野菜のスモークサーモン包み。


 ここ最近、魔王は人がつくる食べ物に興味を持っているらしく、食材も人の国産のようだ。

 瘴気しょうきに満ちた地の国で得られる食材と違い、人の国のものは澄んだ味がする。


(人の国や天の国に存在する日光は、瘴気を浄化させる効果を持っているのかしら? だとしたら、地の国の食材が汚染されているのは日光不足ということになるわね)


 ドレッシングで和えた野菜はみずみずしく、上に載せたディルというハーブが良いアクセントになっている。

 オードブルは、あっという間にベルのおなかの中へ消えていった。


 魔王城ではしばしば、魔王と七人の子どもたちだけの食事会が開催される。

 いつもは週に一度くらいの頻度で開催されるはずなのだが、今回は前回からひと月も間が空いていた。


「ところで、父上。勇者はその後、どうなさったのですか?」


「ああ、勇者か。とりあえず地下牢にぶち込んだが、どうしたものかと悩んでいるところだ」


 傲慢ごうまんの兄・ルシフェルの問いに、魔王は悩ましげに答えた。


 食事会の間隔が空いてしまった理由。

 それは、人の国から勇者と名乗る青年が地の国へ乗り込んできたからだった。


 なぜか人は、地の国の生き物を敵認定している。

「魔族め」「魔獣め」と怒りをあらわにしながら、こちらから何かしたことなんてないのに、定期的に勇者とかいう厄介な存在を送りつけてくるのだ。


 種族が違う。

 ただそれだけの理由なのに、なにが気に入らないのか。


 天の国、人の国、地の国。

 それぞれがそれぞれの国で、よろしくやればいいだけなのに。

 ベルにはちっとも、理解できない。


(本当に厄介だわ。勇者様のせいで、人の国ディナーがひと月も延期されたんだもの)


 魔王の娘という権力を行使しても、人の国の食べ物はなかなか手に入らない。

 このひと月は、暴食の姫であるベルにとって、ひどく長い時間だった。


 オードブルの次は、スープ。

 緑色の底なし沼みたいな色合いをしているが、そら豆のポタージュなのだそうだ。

 独特の豆の味を和らげるようなクリームのコク。玉ねぎとジャガイモのまったりとした口当たりがたまらない。


 続いて出されたのは、魚料理。

 オレンジが香る、サーモンのムニエルだ。


「チッ」


 思わずベルは舌打ちした。

 だって、またサーモンだなんて。


(使い回しなんてひどい!)


 せっかくの珍味、ぜいたくに何種類も食べてみたかったのに。

 前菜と同じ食材を使うなんて、怠慢だろう。


 持っていたフォークが、グニャリと曲がる。

 ベルの背後から漂いだす不満に、メイドたちが「ヒッ」と小さな悲鳴を上げた。


「……姫様。次の肉料理は、特別なものをご用意しております。ですから、お怒りを解いていただけないでしょうか?」


「そう? わかったわ」


 フォークを取り換えに来た古参のメイドに耳打ちされて、ベルはおとなしくうなずいた。


 食べ物のことになると、どうにも気分が変わりやすくて困る。

 暴食の性質さがを持って生まれたのだから仕方がないと言えばその通りなのだが、それでも魔王の娘として生まれた以上、多少の制御ができなければ恥ずかしい。


 ベルやそのきょうだいたちは、皆それぞれ悪癖を持っている。

 傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰。


 生まれ持ったその性質を制するか、極めるか。

 それは各々に任されているが、ベルは極める方向で頑張っていた。


「相変わらず食い意地はってんなぁ、ベル」


 小さな声が聞こえて前を向くと、強欲の兄・マモンがニタニタと笑っていた。


 なまじ顔が整っているだけに、腹が立つ。

 もっとも、魔族は美しいのが標準なのだけれど。


 わざわざ言い返すのもおとなげない気がして、ベルはプイッと顔を背けた。


「ま、いいけどよ」


 マモンの言葉に、ベルはおや? と首をかしげた。

 いつもなら、この程度で引き下がるはずがない。

 それなのにどうして、今日はおとなしく引くのだろう。


 不思議に思っている間に、サーモンのムニエルは姿を消していた。


(あら、ムニエルはどこへいったのかしら?)


 口に残る爽やかなオレンジの香りが、犯人はベルだと告げている。

 使い回しとはいえ、貴重なものだったのに。

 もっと味わいたかったと、ベルはむくれた。


 そんな彼女の機嫌を取るかのように前に出されたのは、肉料理。

 メイドが特別だと言っていた料理は、色とりどりの香辛料を使用したステーキだった。


 ガレットの上にステーキが乗っていて、仕上げにいろいろな種類の小さな葉がトッピングされている。

 一切れ食べてみると、肉汁がじゅわっと口の中に広がった。


(うーん……これは牛かしら。それとも、羊?)


 どちらとも取れるが、とにかく美味しい。

 さすが特別と言うだけのことはある、とベルが納得したその時だった。


「ベル」


 マモンの冷ややかな声が、ベルの名を呼ぶ。

 顔を上げると、いつもおどけた表情しか浮かべていない彼が、見たこともないような真剣な表情をしていた。


「食べたのか?」


「え?」


「──を食べたのか、と聞いている」


 何を食べたと聞かれたのか、ベルには聞き取れなかった。

 しかし、いつの間にか周囲の視線はベルに注がれていて。

 すぐに答えないといけないような雰囲気を、ひしひしと感じた。


「えっと……この皿のことですか? それでしたら、食べましたけれど。肉汁がじゅわぁっと、甘みが強い脂とうま味が、噛めば噛むほどあふれ出してきて……美味びみでした」


 ベルの答えに、マモンは突然テーブルへ突っ伏した。

 ガシャァン! と勢いよくテーブルの上が乱れる。

 放置されていた誰かのスープが皿の上で波打つのが見えて、ベルはもったいないと思った。


「なんてことだ!」


 信じられない! とマモンはテーブルに拳を打ち付ける。

 なんのことかわからず、ベルは困惑した。


 周囲を見ても、ベルと同じような顔をしている。

 わかっているのは、マモンだけのようだった。


「まさか、勇者を食うとは!」


「はい?」


 意味がわからず呆けた顔をするベルを見ることなく、マモンは魔王のもとへまっすぐ駆けていく。

 そして、父の腕へすがるようにして、彼は言った。


「父上、お聞きください。ベルはメイドに命じて、牢にいた勇者を……牢にいた勇者を……くっ」


 芝居がかったしぐさで、マモンは嘆く。

 言葉を詰まらせる彼に、魔王が叫んだ。


「勇者を、どうしたと言うのだ!」


「こともあろうに食べてしまいました!」


 犯人はあいつです!

 マモンは突き立てた人差し指を、ベルへ向けた。


「そんなわけはなかろう。いくらベルとて、勇者を食うなどと……」


 唇をひくつかせる魔王に追い打ちをかけるように、ダイニングルームの扉が荒々しく開かれる。

 程なく伝えられた勇者行方不明の一報に、ベルは捕らえられたのだった。




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