六節 「遠い記憶」

 「アルバム…?」


 幸代が唖然としているのが当然なのは、言うまでもない。 由梨花は、慌てて誤魔化そうとした。


 「あ、いや、アルバ…」


 「はい。 …学校行事で幼少期の思い出についての発表があるので、アルバムで思い出したらどうかと、由梨花ちゃんに僕が」


 「あら、そうなのね。 それなら、確かこっちの方に…」


 なんともまぁ、上手い嘘を吐いたものだ。 やけに饒舌じょうぜつな霞澄に、由梨花はつい感心してしまった。 …けれど、すぐに我に返った。


 「——他人の親に急にアルバム見せろって言うとか、普通にめっちゃ怪しいじゃん!」


 小声で話す由梨花に、霞澄も小声で返した。


 「うん、言ってから気付いた」


 「えぇ、なんて無鉄砲…」


 そう言いつつも、霞澄のおかげで修羅場を脱せたことには間違いない。 …霞澄が作った修羅場を。




 「あ、あったわよ~」


 そう言って、幸代が分厚いファイルを片手に歩いてきた。 それをリビングのテーブルに置き、ページを幾枚いくまいかめくった後、一つの写真を指差した。


 「ほら、これとかどうかしら?」


 幸代が差す写真には、砂場で遊ぶ小さな少女が写っていた。


 「この子ったら毎日毎日、日が暮れるまでずっと泥団子作って遊んでたのよ~」


 「——え、ちょ…本当に?」


 由梨花は身に覚えがあるはずもなく、間髪入れずに聞き返した。


 「本当本当。 砂場の砂で、手も顔も真っ黒に――」


 「わかった、大丈夫。 ねえ、それよりこれ何の写真?」


 由梨花は無理矢理話題を移した。 所以は言うまでもない。




 「———今日は、ありがとうございました。」


 お喋りな幸代と一緒にアルバムを最後まで見た後、霞澄は立ち上がり幸代に言った。 どうやら用事は済み、ここを発つらしい。


 「あら、もう帰っちゃうの? もう少しここにいてもいいのよ」


 「いえ、少し用事が立て込んでるので」


 「そう。 忙しいのね」


 幸代は少し残念そうに返し、由梨花を見た。


 「由梨花、霞澄くんに迷惑掛けないようにするのよ」


 「迷惑って…私もう子供じゃないんだからね!」


 無意識に口調が強くなる。


 「そっか、それはごめんなさいね。 もう、一人暮らしだってしているものね」


 幸代の幼子をなだめるような口調にも少し苛立ちを覚えたものの、わざわざ食いつく気はもはやなかった。


 「では、お邪魔しました」


 そう言う霞澄と由梨花を見送る幸代は、少し寂しそうにしていた。


 本当は、由梨花も留まりたかった。 特に何もせず、テレビを見て、くつろいでいたかった。 でも、そのために、旅発つのだ。 いつも通りを取り戻すために、慣れないところへ飛び込むのだ。


 これから…




 家を出た後、バス停に向かって二人畦道を歩いていた。 心地よい朝の日差しと共に、ツクツクボウシの声が青空に響く。


 「ねえ、霞澄くん。 欠片ってどうなったの?」


 霞澄は振り返った。


 「実体がないって言ってたけど、それじゃ、戻ったかどうか分からなくない?」


 「あそっか! まあでも、僕は分かるから気にしないで~」


 「・・・」


 「…どうかした?」


 由梨花はつい引いてしまった。 あれだけ無感情で無愛想だった霞澄が、いきなり明るい陽キャになったのだ。 落ち着こうとしてみても、霞澄がポジティブ100%にしか見えない。


 「もしかしてさ、変化って、これ…?」


 「知らないけど、多分そうじゃない?」


 「—— …」


 もしや、取り戻した感情が霞澄に反映される仕組み…そういうキャラ? 考えれば考えるほどに分からなくなる。 自分でも何を言っているか分からないが、もしそうだとすれば、アンバランスな感情で、キャラ崩壊でも起こしているのだろうか。


 由梨花は混乱したが、少なくとも厄介なことになった予感はしていた。


 「ところで由梨花ちゃん」


 「…はい」


 「次の欠片があるのはどこだと思う?」


 「さぁ…」


 由梨花は、返す答えも見つからないほどに、未だに混乱していた。


 「次は、多分福井県とか石川県とか、その辺りだと思うんだよね~」


 小さなバス停のベンチに腰掛けながら、霞澄は言った。


 「福井県?」


 由梨花も、少し距離を置きつつ腰掛けた。


 「…もしや、何か心当たりでも?」


 霞澄が少し寄る。


 「確か、何年も前の話だけど。 旅行に行って、釣りとかした気が――」


 「行こう!」


 霞澄はやや食い気味で、由梨花の話を遮った。


 「…今から⁉」


 「もちろん」


 即答する霞澄を止める口実も理由も見当たらず、由梨花は溜息を吐いた。


 「…分かった、行こう。 でもさ、いくら新幹線でも、日が暮れちゃうんじゃない?」


 「飛行機で行けばいいじゃん」


 由梨花は呆気あっけにとられた。 あれほど印象が変わってもまだなお、謎に軽いノリは健在のようだ。


 「…それじゃ、とりあえず最寄りの空港探してみるね」


 「それなら僕は、釣具店検索しとくから」


 こんなにはしゃぐ霞澄は初めて見た。 …初めて会ったのもつい昨日だとはいえ、これじゃまるで遠足前日の小学生だ。


 ベンチの背もたれに寄り掛かり、逆光を手で遮りながら、由梨花は地図を開いた。 風が木々の葉を揺らす音、碧々あおあおとした田んぼで反射する柔らかな日差し。 そのどれもが心地よく感じられる。


 電柱には、小鳥が留まっていて―――

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