第43話 宴

       ◆


 宴の席には十二人ほどが並んでいた。あくまで小さな宴なのだ。

 上座にケイロウ、そしてタンゲ、モモヨがいる。他に家臣が六名、剣士をまとめるものが一人、そしてホタル、俺だ。

 この場でケイロウは、ホタルが剣術指南役となることを正式に言葉にした。全員が首を垂れるので、俺もそれに倣った。

 宴が始まると、家臣たちがホタルに酌をし始めた。誰もがアマギの娘としてホタルを昔から知っていたようだ。それでも家臣たちの言葉を聞いていると、誰もホタルが剣術を使うことを知らなかったと分かってくる。

 いつ教わったのか、という質問や、手合わせでは見事だった、という賛辞があったが、しかし俺から見れば家臣たちは揃って怯えているように見えた。

 剣術を身につけた女性、それも一流の使い手を堂々と下すほどの使い手というものが、恐怖を掻き立てるのだろう。家臣のうちの半数は、手合わせを実際に目撃してもいる。

 あの最後の、衝撃的な場面を目の当たりにして、恐怖を少しも感じるなというのは無理な話である。

 家臣たちは俺にも酌をしたが、今度は明らかに形だけで、会話らしいものもなく、大雑把に労われるだけだ。彼ら自身、どうして俺のようなものを相手にしなくてはいけないか、不服なようだった。

「あなたは何のためにここにいらしたのです」

 家臣の一人が酒の勢いもあってか、大声で俺にそう問いかけると、座に笑い声が満ちた。笑わなかったのは、剣士の代表とホタル、そしてタンゲだけだった。

 酒が次々と用意され、ホタルがケイロウの前に進み出て酌を受ける場面になった。

「剣士たちの教育を、よろしく頼む、ホタル」

 そう声をかけられたホタルが、短く返事をして頭をさげる。

 盃をゆっくりと傾けて干すと、歓声が上がる。

「私からも」

 ケイロウの隣のタンゲがそう言うと、ホタルがその前に移動した。

 ゆっくりとタンゲがホタルの盃に酌をする。ここでも徳利が使われていた。寒さが厳しい、夜ともなれば尚更だ。

 その徳利が床に転がった。

 一瞬の出来事だった。

 タンゲの左手が右手を固定している添え木に伸びる。

 いや、そこに短刀が括り付けられている。

 光が瞬いた時、タンゲの左手には短刀があり、一直線にホタルの首筋へ落ちた。

 鈍い音がした。

 床に盃が勢い良く転がり、透明な液体が飛び散った。

 切っ先は、ホタルに届いていない。

 タンゲの左手の手首をホタルの手が掴み止めていた。

 それも次の一瞬には、ホタルがタンゲを引きずり倒し、腕を極めてねじ伏せている。

 遅れてモモヨが短く悲鳴をあげた。

 家臣たちは驚きのあまり呆然としている。俺は片膝を立てたが、剣士の代表も似た姿勢だ。二人とも、ホタルとは距離がありすぎる。

 ホタルがタンゲの腕を完全に破壊するべく、力を込めようとする。

「やめよ」

 あまりに静かな声に、ぴたりと音が消えた気がした。

 ホタルが声の主、ケイロウを見る。

 ケイロウもホタルを見ていた。

「やめよ、ホタル。子どもの気まぐれだ」

 誰かが唾を飲み込む。

 ホタルはゆっくりと力を抜き、タンゲを解放し、素早く距離を取った。

「タンゲ」

 タンゲはいつの間にか泣き出していた。ケイロウの声も聞こえないようだ。

「タンゲ!」

 ケイロウの怒声に、ひきつるような息をしながら、タンゲが姿勢をとる。

「下がれ。興が削がれる」

 親子はしばらく、睨み合ったようだ。タンゲは肩を震わせていたが、言葉では何も言わずに、すっくと立ち上がると足音たかく、広間を出て行った。

「あのもののせいで、空気が台無しだな」

 ケイロウが笑ってみせるが、うまく返答ができるものは一人としていなかった。

「まだ酒はあるぞ、みなのもの。飲もう。新たなる剣術指南役は先ほどの通り、優れた使い手だ。彼女の稽古を受ければ、我が配下の者はさらに強力になろう。今日は前祝いだ!」

 家臣たちが声を揃え、盃に酌をしあう。ホタルに酌をするものもいる。誰からともなく声を掛け合い、酒が消費されていく。

 その様子を見ている俺は、もう一人、似たような態度でいるものがすぐそこにいるのに気付いた。

 それは剣士の代表として出席している一人だ。冷静沈着そのものの態度で、口を開かず、膳の上の料理を口に運んでいる。

 俺は彼に近づき、徳利を掲げてみせた。彼はかすかに笑みを浮かべると、盃を干してこちらに向ける。俺は酒を注いでやった。逆に男も俺に酌をしてくれる。

 やれやれ、こういう静かな連中と飲みたいものだ。俺は騒ぐのはどうも苦手だ。

 場を観察すると、もう家臣たちはタンゲのことは気にしないと決めたようだ。モモヨは青い顔をしていたが、表情は落ち着いてきている。ケイロウは何事もなかったかのようだ。ホタルもケイロウと同様である。

 しかし、何故、タンゲはホタルを襲ったのだろう。

 例の約束の件だろうか。

 カイリを殺したことをタンゲがそこまで重く見る理由が俺にはわからなかった。

 カイリとタンゲにつながりがあるとすれば、城内の道場で稽古を受けたこと、そして事故とされる怪我の原因になったこと、くらいしかない。

 二人の間にどんな関係があったのか、俺は知らない。

 タンゲがホタルに斬りかかるほどの理由があるとすれば、それはなんだろう。ホタルの父のアマギとタンゲの間には繋がりがあったはずだが、それは意味を持つのか。

 ここにいるものはタンゲの乱心として無視しようとしているが、そんなに簡単なものではないのではと俺は思っていた。思っていても、下手なことを言えばケイロウの怒りを買う。これ以上、宴の空気を乱すとケイロウの寛容さの限度を超えるかもしれない。

 まったく、こんなことに気を使わねばならないとは、ややこしいことだ。

 宴は進み、ケイロウがまず引き上げた。モモヨもそれに続く。

 家臣たちが残り、まだホタルを褒め称えている。いよいよ酔いが回ったものが、「ホタル殿は一騎当千の剣士」とおだてたり、「ハバタ家の守護神」などと笑ったりしていた。笑うのは別の家臣で、俺も剣士の代表も、ホタルさえもわずかな微苦笑を返す程度だった。

 家臣たちが一人、二人と下がり、ついに剣士である三人が残った。

 これにて、と代表の男は丁寧に礼をして下がっていった。

 広間には、俺とホタルだけになった。

 二人共が黙っている。

 城のものがやってきて、俺とホタルの様子に気づいて、ぎょっとしていた。少女だったが、お酒がいりますか、と掠れた声を向けてきた。それくらい俺とホタルの間にある空気は張り詰めていたんだろう。

 必要ない、と俺が答えると、少女は足早に去っていった。

「見事な反応だったな」

 俺が声をかけるが、ホタルは反応しない。

 まさか眠っているわけではないだろうが、座したまま動こうとしない。

「予想していたのか?」

「いいえ」

 返事があった。

 部屋は薄暗く、明かりがかすかに揺れている。

 ホタルが陰影に包まれているように、俺も陰影の中にあった。

 声だけが普段と同じ明瞭さで、空気を伝わっていく。

 静かだった。

 先ほどまでの不快な笑い声も、おどけた調子も、何もない。

 二人になっただけで、空気がまるで違う。

 祝いの場ではなくなり、手合わせの場のような空気に変質していた。

 無言。

 視線さえも明かりの揺らめきの中で、一緒に揺れている。

 二人の視線は重なるようで、重ならず、すれ違っていた。

 それは俺とホタルの関係そのものかもしれない。

 今まで、ずっとすれ違ってきた。

 そして俺はもうハバタの地を去ることになる。この地を離れれば、俺がホタルと会うことは二度とないだろう。

 なら今、彼女は俺に真意を口にするかもしれない。

 あるいはそれは油断かもしれない。もっとも、ホタルは油断しないかもしれない。

 試してみる意味はある。

「タンゲ殿を、なぜ裏切った?」

 言葉を向けられても、視線を向けられても、ホタルは姿勢を変えない。

 声はない。

 しかしふっと、彼女が息を抜くように、短く吐いた。

 影が動く。

 ゆっくりと、しかし確かに。



(続く)

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