狂気共鳴

和泉茉樹

第1話 時代

      ◆


 体の動きを意識せよ。

 そして律するのだ。

 頭の中で声が響くが、その声の主は剣を持った時の心得を説いたわけで、間違っても木を切るための心得ではない。

 たいして太い木でもないが、手斧を打ち付けて切り倒すのは容易ではない。

 何度も何度も、手斧を打ち付け、抜き、振りかぶり、そしてまた打ち付ける。

 刃が食い込み、木片が飛びする中で、やっぱり俺は頭の中の言葉を解釈しようとした。

 全てが剣に通じる、と説かれたこともあった。

 なら手斧の扱いも、剣に通じるのだろう。

 息が上がっているが、動きは止めない。剣を持って向かい合ったとして、ちょっと疲れたから小休止、などということはありえない。息が続かなくとも、腕が上がらなくとも、相手の剣を受けるなり避けるなりしなければ、殺されてしまう。

 力を込め、手斧をさらにぶつける。柄を握る手、その手のひらが痛む。いつの間にかマメができ、潰れているのだ。これが初めてではないが、手斧の柄が触れている部分は剣の稽古では擦れない場所なのが腹立たしい。

 刃が不意に深く食い込んだ時、ひときわ大きく木が揺れる。太ももよりふた回りほどの太さの木がゆっくりゆっくり傾いでいく。

 身を引いて、木を押してやると予定通りの場所に倒れていった。

 手斧を置いて、次は鉈で枝をはらっていく。木の高さはそれほどではないので、この作業もそれほど苦ではない。

 枝は枝で回収し、次は幹を短くするためにノコギリで輪切りにしていく。

 立ち枯れている木ならまだしも、生の木は薪にするには乾燥させる時間が必要になる。この木もしっかり乾く頃、次の冬に使われるはずだ。

 しばらく作業を続けて、人の気配に顔を上げた。

 がっちりとした体つきの、四十代ほどの男性が嬉しそうに笑っている。

「もう終わりそうだな。感心する熱心さだ」

「考えごとをしていた」

 答えて、そっとノコギリを置く。もう幹は肘から手首くらいの長さで幾つもに切り分けられている。

 男が持っていた水筒を無造作に投げつけてくる。受け取り、中身を一口飲んだ。汲んだばかりなのだろう、冷たい、澄んだ味がした。

「何を考えていた? ノコギリの切れ味か? 職人なら切れ味を整えられるが、俺にはそんな技はない。騙し騙し使っているんだ」

 言いながら男がどっかりと古い切り株に腰掛けた。俺は立ったまま、もう一口、水を飲んでから答えた。

「体の動き、かな」

 正直に、しかしだいぶ省略して答えたが、それだけで男には通じたようだ。

「剣の動きに繋がるか、ということだな」

「眉唾だけど」

「そうでもない。俺も何度か、試してみた。体の使い方にはいろいろある。瞬間的に力を発揮する動き、動きを連続させる時の力の込め方と抜き方、姿勢を乱さずにしかし体を動かす方法、そんなところかな」

「さすがに三剣豪は違う」

 俺が笑いまじりにそう指摘してやると、男は口をへの字にして舌打ちした。

「俺の時代も終わったよ」

「終わらせた、の間違いじゃない?」

「次の時代が来たんだ」

 男の目が俺の目を真っ直ぐに見る。

 その眼差しには激しい力がこもっていて、それでいて圧倒するというより、射抜くような鋭さがある。

 三剣豪と呼ばれる剣士は、解釈は様々にあるが、最も名が挙がるのはセオ、ユウイ、ゼンキである。

 目の前にいるのがその一角、ゼンキという男だと眼光の鋭さが証明している。

 並の人間、常人の目つきではない。普段はいかにも不敵な眼差しだが、気迫を解き放つと野の獣を前にしたような錯覚がある。その瞳の光には、激しい色、粗野なものが混ざる。

 喉笛に噛み付いてくる獣を夢想しながら、俺は水筒を彼に投げ渡す。

「あんたを切るために、俺はここにいる。しかしあんたは剣を持とうとしない。何故だろう」

 水筒を手元で弄びながら、ゼンキの眼差しから殺気が消える。普段の稚気が取って代わった。

「負けるのが怖いのさ。三剣豪などと言われても人であることに変わりはない。命は一つ、体は一つだ」

「死にたくないから剣を取らない?」

「そうでもないな。死んでもいい、と思えば、いつでも剣を手に取るよ。これだけははっきりしている。俺は剣で敗れて死にたいんだ。病だの、事故だので死にたくはない。剣を向け合い、負けて死にたい」

「あんたを前にして、生き残れる奴がいるかな」

 おいおい、とゼンキが相好を崩す。

「お前は俺に斬られたいのか、俺を切りたいのか、どちらなんだ?」

「もちろん、あんたを切りたい。そのためにこうして雑用をやって、待っているんじゃないか。あんたが剣を持つことを」

 ゼンキは元は小さな領地を持つ領主の元で剣術指南役をしていた。しかし今はそれを退き、人気のない山の中で悠々自適に暮らしているのだ。領主には留まるように懇願されて、だいぶ銭を積まれたらしいがすっぱり断ったという噂もあった。

 俺はその隠居した剣豪の住居、小さな小屋を訪ね、すでに半年が過ぎている。最初にここに来た時は春先だったのが、すでに夏は過ぎようとしていた。

 小屋の壁に、刀がかけられているのを俺は当然、知っている。

 しかしゼンキがその刀を手に取ったところは見たことがない。

 まさに剣を捨てた、という姿勢に見える。

 それを疑っているのは先ほども見せた目つき故だった。

 あれは本当に剣を捨てた人間の目つきではない。

 彼は俺を殺すこと、切り結ぶことを想像しているはずだ。

 あの目つき、瞳の奥にある色を俺はこれまでに、様々な相手の瞳の奥に、繰り返し見てきた。

 剣を手に取り、相手を倒すことを欲する、その衝動が見せる光り方。

 ただ、ゼンキの瞳の色は俺が知っているどの剣士のそれとも違う。

 深く、読みづらく、常に変転し、捉えどころがない。

 殺意さえも、明確に見せたかと思うと、次には綺麗に隠してしまう。

 俺は今も、ゼンキの真意を測りかねていた。

 一方のゼンキ本人は、飄々としている。

「お前に俺は切れんよ。逆に斬り殺されるんだから、さっさとどこかへ行っちまえ。旅を続ければ、俺よりも優れた使い手に会えるだろう。より若く、体力も気力も十分な奴がいる。老練な戦術や、研ぎ澄ませた技もあるだろう」

「しかしないものもある」

 即座にそう答えてやると、あるかもな、とゼンキは自然と頷いた。

 両者が同じものを想像している確信があったが、俺は一応、言葉にしてみる。

「人を切った経験、それは容易には身につかない」

「そうだな。俺は生臭い人間だよ。臓物の匂い、血と死の匂いがまとわりついている。お前も負けず劣らずだが」

 ゼンキは豪快に笑うと、立ち上がった。木立を隔てた小屋の方へ向かう彼を見送ろうとすると、「明日だ」と不意に声が飛んできた。彼は背中を向けたまま続ける。

「明日、相手をしてやる。それまでに薪を積んでおけ」

 彼はそのまま、普段通りの悠然とした歩調で去って行ってしまった。

 唐突に、待っていた日がやってきたようだ。

 明日が、願い続けた日になる。

 生死の境が、目の前にやってきた。

 しかし別に動揺することでもない。明日が最後の一日になるかもしれないし、あるいはそうではないかもしれない、ただそれだけの違いしかない。

 生きるか、死ぬか。

 死を恐れている自分をこういう時、どうしても感じる。

 何度も乗り越えたが、慣れることはない。

 ゼンキの姿が見えなくなってから、俺は作業に戻った。

 体を動かしている方が、楽な時もある。



(続く)

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