第16話 黒い影
絵美の目に映ったのは、柱と柱の間を移動する黒い影。
大きな犬のように見えた。柱の陰に入ったので見失ってしまったが、確かに四足歩行の生き物だ。
絵美が左の柱に気を取られていると、後ろにいた小久保が叫ぶ。
「あ、あっちにもいる!」
「えっ!?」
絵美と結菜が視線を向けた。今度は別方向に影が走り抜ける。
「一匹じゃない?」
全員が警戒して辺りを見回す。葉山は散弾銃を構え、青柳も拳銃を柱に向ける。
西森は左手だけで剣を持ち、どこから襲って来るか分からない敵を待ち構える。
誰もが息を殺し、神経を研ぎ澄ます。今やっているのは、ゲームであってゲームでない。
本当に人が死ぬ命のやり取り。気を抜けば一瞬で殺される。
シン、と静まりかえり、音が消えた。影は柱の陰に留まり、虎視眈々とこちらを狙っているようだ。
ショットガンを持つ葉山の頬に汗が伝う。
アゴにまで
地面に水滴が跳ねた瞬間、そいつは飛び出してきた。
「うわっ!?」
葉山が思わず仰け反る。目の前に現れたのは、黒い狼のような獣。
それもデカイ、小型のトラックぐらいはある大きさ。四つの目があり、鋭いキバと爪がギラリと光る。
葉山は足を踏ん張り、散弾銃の引き金を絞った。
発射された散弾が、狼の右肩や腹に当たる。狼は体勢を崩し、地面を転がった。
だが、すぐに態勢を立て直して柱の陰に飛び込む。
「お、おい! 今、当たったよな!?」
西森が驚いて葉山を見る。葉山は自分の持つ散弾銃に視線を落とした。
「威力が足りないんでしょう。かなり強い相手です」
誰もが息を飲んだ。今までも凶悪な化物が立ちはだかってきたが、今回の敵はさらに強さを増している。
絵美は体を強張らせた。自分を始め、結菜と小久保は鉄パイプしか持っていない。
こんな物で、あんな化物と戦えるはずがない。結菜が緊張から、一歩、二歩と後ずさった時、別の柱から狼が飛び出してくる。
咄嗟のことで絵美は動けなかった。
狼の化物は大口を開け、鋭いキバを結菜に向ける。
結菜は声にならない悲鳴を上げ、目を閉じて歯を食いしばった。死を覚悟したその瞬間――
「危ないっ!!」
小久保が結菜を抱きかかえ、横に飛び退く。
狼は西森たちの元へ向かったが、青柳が何発も発砲して撃退すると、また柱の陰に飛び込み、姿を消した。
「結菜! 小久保っち!!」
絵美が大声で叫ぶ。小久保は結菜を庇ったため、床に肩を打ちつけ、痛みで悶絶しながら唸り声を上げていた。
「だ、大丈夫? 小久保っち」
「え、ええ……なんとか……」
小久保は肩を押さえて立ち上がり、倒れたままの結菜に手を貸す。フラつきながら立った結菜だが、恐怖のあまり声も出せず震えていた。
「ありがとう小久保っち、結菜を助けてくれて!」
「あ、いえ、気づいたら体が動いてて……結菜さんに怪我がなければいいですけど」
謙遜する小久保に、絵美は「かっこいいじゃん!」と言って肩を叩いた。
だが、危機が去った訳じゃない。狼は銃弾を受けていたが、効いている様子はなかった。
だとしたら倒す方法はない。逃げるしかないんだ。
絵美の考えが伝わったかのように、西森が声を上げる。
「おい! あんな化物、相手にしてらんねーぞ。出口まで走れ!!」
西森が走り出すと、葉山と青柳も続く。絵美たちも置いて行かれまいと、すぐに駆け出した。
絵美は鉄パイプを握っていたが、結菜と小久保は襲われた時に落としていた。
狼のキバや爪を防ぐ手段はない。次に狼が来たら一巻の終わりだ。
六人が全力で走る中、柱と柱の間を恐ろしい速度で走る狼たち。二匹かと思っていたが、そうではなかった。
「三匹いる!」
絵美は走りながら数を確認した。柱を移動する影は三つ。狼は全部で三匹、かなりの速さで並走してくる。
一匹が柱から飛び出し、西森に向かう。
「くそったれ!!」
西森は左手に持っていた剣を振るう。狼の鼻っ柱に当たりそうになった刹那、化物は速度を上げた。
狼の突進に足をすくわれ、西森は派手に転ぶ。
「があっ!? 痛ってえな、くそが!」
もんどり打って転がった西森、立ち上がろうとした時、違和感に気づく。
「なんだ?」
西森は自分の足を見る。すると、右足の膝から下が無くなっていた。
一瞬、なにが起きたのか分からず、言葉を無くす。そして思い出したかのように、絶叫が口をついた。
「うわああああああああああああああ!!」
足から血が噴き出すと、今度は別の狼が葉山に向かって駆け出す。散弾銃を構えた葉山は、油断なく狼の眉間に狙いを定めた。
鳴り響く銃声。散弾は確実に化物の頭を捉えた。
だが――
「うわっ!?」
狼はかまわず葉山に飛びかかった。散弾を物ともせず、ライフルごと葉山の腕に噛みつく。絶叫がこだました。
葉山は右腕を食いちぎられ、散弾銃も奪い取られる。
青柳が悲鳴を上げた。
地面に倒れた葉山は、血が噴き出る自分の腕を見て絶句する。もはや震えるだけで立ち上がることもできない。
さらに別の狼が、青柳の後ろから迫る。
もう絶望しか感じることのできない青柳は、震える体を止めることができず、カチカチと歯を鳴らす。
持った銃も狙いが定まらない。それでも銃口を狼に向けた。
「あああああああ!!」
ありったけの弾丸を撃ち込むが、狼に効いている様子はない。
弾を撃ち尽くし、虚しくハンマーの音だけが響く。青柳に近づいた化物は、口を大きく開け、無慈悲に喰らいついた。
全員が目を見開く。青柳は首から上を失っていた。命を失った体は、壊れたマネキンのように崩れ落ち、動きを止めてしまう。
絵美は呆然とした。覚悟を決めてここへ来たつもりだったが、現実はもっと非情で残酷だった。
なにもできずに死んでいく。抗うすべなど無いのだ。
恐ろしい姿を現し、唸り声を上げる三匹の黒い狼。絵美たちに向かい、ゆっくりと歩みを進める。
三人は後ずさる。狼が飛びかかって来れば、逃げることも、抵抗することもできないだろう。
それでも、なにもせずに死ぬのは嫌だ! 絵美は一歩前に出る。
「私が食い止めるから、二人は逃げて」
「え?」
結菜と小久保はキョトンとする。この状況でなんとかなるなど誰も思ってない。
「絵美ちゃん、なにを言って……」
「いいから行って! 一分でも一秒でも、長く生きることを考えて。最後の最後まで助かることを諦めないで!」
「だったら絵美ちゃんも――」
結菜の言葉が終わる前に、絵美は駆け出していた。
もう希望が無いのは分かっている。持っているのは貧弱な鉄パイプ一本、これでどうにかできる訳がない。
絵美は後ろを振り向く。結菜と小久保が、手を伸ばして止めようとしている。
小久保はいいヤツだ。あとは彼に任せよう。
鉄パイプを前に突き出し、全力で突っ込む。
どうとでもなれ! と思った瞬間、声が聞こえた。
――下がれ!
男の人の声。でも小久保の声じゃない。西森でも、葉山でもない。
だけど聞き覚えがあった。絵美は反射的に足を止め、体を引く。
銃声が鳴った。左端にいた黒い狼が吹っ飛ぶ。残りの二匹は警戒して後ろに飛び退いた。
なにが起きたか分からない。
困惑しながらも絵美と結菜、そして小久保は後ろを振り返る。
そこには長い銃を構える一人の男が立っていた。ベージュのトレンチコートに黒のスラックスを履く、二十代後半くらいの男性。
硝煙の上がる銃を構え、黒い狼を睨みつける。
絵美は思わず口を開いた。
「生きて……たんだ」
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