山の鹿

@uz610muto

山の鹿

僕の名前は謙。父さんと、母さんと一緒にハイキングに行ったんだ。父さんと母さんが、お米を炊いている間に、僕は川を下ってみることにした。川の石はごつごつしているが、下るうちにぐらぐらの地面を渡ってゆくのが楽しくなり、うきうきしてきた。

 そのままだいぶ進んでいると、小高く石が積まれた場所に辿り着いた。僕は何かと思って近づいてよく見てみると、竈のような造りになっている。なんだか面白いな。こんな風に石を組んで火を興しているんだ。父さんたら、家からカセットコンロを持ってきて。そう思った途端に、一陣の風が吹いたんだ。

「カアーッ。カアーッ」

外を見上げると、烏が飛んでいるのが見えた。

―帰れ、帰れ。

そう言っているような気がして、さっきまでの、うきうきした気分にとって代り、急に不安な気分になった。帰らなくちゃ、そう思って、後ろを振り向き・もといた方へと歩き出した。

行きは、下向いて転ばないように歩くだけで良かったが、帰り道を見ると見たこともないような景色が広がっていた。

しばらく歩くと、小川がふたつに別れている。うーん、途中小さい川を渡ったような。こっちだ。そう思って小さな川を渡り、再び砂利道を歩いた。

 5分ほど前を向いて歩いた。すると、目の前に大きな滝が現れた。こんな道来なかった。おそらく、さっき川が別れたところで、もう一方の道だったんだ。僕は、再び引き返して、川の別れ道まで戻ろうとした。

 少し歩くと、川が上流に向かっている別れ道があった。さっき見た景色とちょっと違った気がしたけど、多分と思い向かうことにした。

 歩けど歩けど、辿り着かない。おまけにお腹がすいてきた。どうしよう。いったい、合っているのかなぁ。

 その時、森の方から、「キュン」という音がした。そっちの方を向くと大きな鹿が一匹立っている。

「キュン」

ともう一回音を立てると、僕に背を向けて森の中へ入っていった。

―ついて来よ。

 そう言っているように聞こえた。何だろうと思ったが、ここで一人途方に暮れていてもしようがないし、ついて行くことにした。

 森の中に入ってゆき、鹿の去っていった方向へと歩いていった。辺りは鬱蒼と茂っているが、不思議と足元の地面は土が見えており歩きやすい。

 何だかすいすい行くな。僕はお腹がすいたことも忘れて歩くのに集中した。ふと、明るくなったと思ったら、少し開けた場所に出た。

「キュン」

大きな声が響き、大きな鹿が目の前に立っていた。僕は、

「キュン。こんにちは」

と返した。

「キュン。何だ。しゃべれるのか」

と返ってきた。僕は驚いた。家では犬を飼っているが、一度として人間の言葉で返ってきたことはないぞ。でも、この鹿には通じるみたいだ。鹿と話せるなんて楽しいな。

「キュン。僕の名前は謙。道に迷ったんだ」

鹿さんはふっと微笑むように空気を緩ませた。

「キュン、そうか。どこから来た」

「キュン。小川の小さな砂利の広場」

「キュン。何か目印はあるかね」

「キュン。山小屋から少し歩いたところにある砂利の広場だよ」

「キュン。ついて来よ」

鹿さんはそのまま背を向けて僕について来るように促した。夕暮れを過ぎ、あたりに闇が迫っていた。

 また、さっきのような欝蒼と周りを囲まれた道をしばらく通ると、小川にたどり着いた。ご飯の準備をしていた広場だった。僕は、しばらくあたりを見回したが、父さんと母さんの影も見当たらなかった。

「キュン。いなくなっちゃったみたい。暗くなってきたから父さんたちは帰っちゃったのかもなあ」

「キュン、そうか、でも川を下ってみよう」

鹿さんと僕は川を下っていった。緑が次から次へと横から迫ってきた。しばらく、足を棒のようにして歩いた。すると、滝に出たところで、一人の男の人がいた。

「キュン。あそこに人がいる。あの男に両親の所へ連れていってもらえ」

「キュン。ありがとう」

 僕は、その男の人に事情を話し、麓まで連れていってもらい。そこで両親に会った。

 鹿さんと話したことは、男の人と両親に話したが、ふんふんというだけで上の空だった。でも、鹿さんは話せるんだという意識は僕に残り、その後のああ僕を変えていくことになった。               

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

山の鹿 @uz610muto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る