第5話「二本目」

【二本目――先手、ガンケイン】


 いま、ガンケインの鎧は樹に近い側が影のなかにあり、反対側が光のなかにあった。あたかも、ジニーとの言葉の応酬のなかで「願いの樹」の光と闇を思い知った彼の内面をあらわすかのようであった。

「今度の願いは、いままでとはわけがちがうぞ」

「御託はいいから、さっさといって。わけはちがっても、結果は同じなんだから」

「ぐぬぬ……ならば、聞くがいい! 今度のわたしの願いは――」

「願いは……?」

「女性に対する苦手意識を消しさりたい!」

「……確かに、いままでとはわけがちがうわね」

「そうだろう、そうだろう。わたしとて、縁がないわけではないのだ。女性に対する苦手意識さえなくなれば、恋人のひとりやふたり……いや、もちろんひとりで十分なのだが……」

「でも、いいの?」

「……いいの、とは?」

「あんたがいつからそうなったのか知らないけどさ、もう長い付きあいなんでしょ? その苦手意識あってのあんたなんじゃないの?」

「それは……そうかもしれぬが。だが、たとえば、生まれてから大人になるまでずっとわずらっていた病気を治せる機会があるのなら、治してもよいのではないか? 別に病気ではなく、ほくろとかでもよいが」

「そうかもね? でもあんたの場合、女の子が苦手だっていう理由で騎士団の総長を何度も断って最前線で戦いつづけて……その結果、この国は平和になって、あんたは伝説の騎士って呼ばれるようになったわけでしょ? つまり、あんたが女の子を苦手としていたからこそ、この国はいま平和なのよ! あんたの女の子への苦手意識こそが、伝説の騎士の生みの親なんだわ!」

「な、なんだと――――――!?」

「そんな護国の英雄を消しさろうなんて……ひどい……」

「う、うう……!」

「それにね、いままであんたを好きになってくれた女の子たちは、あんたの女の子への苦手意識も含めて好きになったのよ! そんな女の子がいたかどうかわからないけど、いたとしたら多分ね! あんた、その子たちを裏切るの!?」

「う、うおおおおおおおおおおおお! わたしは、わたしはどうすればいいのだあああああ!」

「ちょろいなあ……」


【二本目――後手、ヴァージニアス】


 ジニーの赤い目は、影のなかにあってなお、猫みたいに煌めいていた。その赤い髪もまた、影に落ちても鮮やかで、彼女という天才が目立たぬ時や場所はないと訴えているかのようだ。

「いい? ここからが真の魔術師の戦いだから! さっきまでのはお遊びだから!」

「わかった。わたしも心して聞き、心を鬼にして問うとしよう」

「ま、真面目すぎる! ここからがお遊びだっていえばよかった……とにかく、あたしの願いはね!」

「願いは……?」

「みんなを天才にする!」

「えっ?」

「あっ、男の子だけね? みんな天才になれば、みんなあたしと釣りあうでしょ? そうしたら、あたしにだって恋人ができるにちがいないわ!」

「いいのか? きみの唯一性が損なわれてしまうが……」

「なにいってるの? いいに決まってるじゃない! だいたい、あたしの子どもだって天才に決まってるんだし……考えてもみなさいよ。天才が増えるのよ? 世のなかは絶対よくなるし、あたしには恋人ができる! いいことづくめじゃない! それに何人天才が増えたって、どうせあたしが一番だしね!」

「なんという自信だ……しかし、はたしてそううまくいくだろうか?」

「なによ!? なんか文句あるの!?」

「きみこそ、よく考えてみたまえ。彼らの多くは天才でなくとも恋人がいるし、いずれできるのだ。そんな彼らが天才になったら――きみのいう天才が、なんの天才なのかはわからないが――とにかく、彼らにはもっと恋人ができやすくなるだろう。しかも、彼らの多くはきみとちがって相手に天才性を求めていないから、きみが天才だからといってきみを選ぶとはかぎらない。むしろ、見ず知らずのきみよりも近しい者を選ぶのではないだろうか?」

「……」

「それに、きみは生まれつき天才だからその才能の使いかたをよく心得ているだろうが、降って湧いた才能を正しく使える者がはたして何人いるか……破滅する者のほうが多いかもしれない。わたしは似たような者たちを何人も見てきた……邪悪な魔術師に力を与えられ、わたしたちを裏切った暗黒騎士……ダンジョンで手にいれた呪わしいアーティファクトに魅せられた冒険者……若くして驚くべき遺産を継いだ貴人……頭を打った拍子に眠れる才能が開花した粗忽者そこつもの……

 きみの願いで、なんの罪もない男たちを軽率に破滅させてもいいのか?」

「……」

「そもそも、これはわたしの理想論だが、釣りあう、釣りあわないというのは才能の有無ではないと思うし、極端な話、釣りあっていなくともおたがいのあいだに愛情があれば――」

「どうしてそんなこというの……」

「えっ!?」

 ガンケインの主張は中断された。ジニーの声が天才魔術師らしからぬ、すりきれて毛羽立ったような、か細く抑揚の乱れたものであったからだ。見れば彼女は、茫然自失といったてい! その赤い瞳は火勢めいた力を失ってくすぶっているではないか!

「な、なんでといわれても……そういう戦いではないか。わたしはただ、きみの願いの弱点を突いただけで――」

 しどろもどろないいわけは、火事が生じてしばらく経った密室のドアを開けるに似て、少女を爆発させた!

「じゃあ、どうしろっていうのよ! あんたたちときたら誰も彼もみんな、『天才にはわからない』とか『住む世界がちがう』とかいってさ! 天才のあたしにわからないことなんかあるわけないでしょ! 住む世界だって同じだっての! なにもわかってないのはあんたたちのほうでしょ!? あたしは百年後、二百年後のことを考えていろいろやってるのに、『やりすぎ』とかいって! 騎士団に相談までしたんだって? ほんと、わかってない! だからみんな、天才にしてあげようと思ったのに! みんな天才になれば、あたしのことわかるだろうって思ったのに、それじゃダメだっていうの!?

 ……そうね、ダメね! あたしは天才だからわかる! 完璧に理解したわ!

 ……どうしろっていうのよ!?」

 白磁の肌は赤熱したように赤い! 地団駄を踏むたびに揺れる赤毛は、世の理に反して逆立っている! ガンケインは、その触れる者みな焼きつくさんばかりの激情に恐怖をおぼえながらも踏みとどまり、両手を翳して叫びかえした!

「わ、わかった! わかったから落ち着きたまえ!」

「あんたになにがわかるってのよ!?」

「わかるとも! きみの『やりすぎ』につき騎士団に相談があったにもかかわらず、きみに追っ手がかかっていないのは何故だと思う? 騎士と宮廷魔術師とで調査と議論を重ねた結果、『やりすぎ』ではないことがわかったからだ! 時間はかかったがな! たとえば、きみがふたつの川をひとつにしてしまった件では、村人たちから魚が獲れなくなったという訴えがあったが、ふたつのままだったらいずれ大氾濫が起きるにちがいなかったし、いまでは魚も獲れるようになっている。きみはわかっていてやったのだろう?」

「……へ、へえ? あんた、少しはわかってるじゃない」

 予想外の方向から理解を示されたジニーは、鼻白んだ。その張りのある頬はなお朱に染まってはいたが、いまは色合いに微妙な変化が生じていた。照れているのである!

「というか、きみがちゃんと説明すればよかったと思うのだが……」

 ガンケインがそういうと、ジニーの頬の色が赤みを増した。彼女はそっぽを向くと、呟いた。

「……だって、説明するの苦手なんだもん」

「さっき、苦手なものはないといっていなかったか!?」

「うるさいわね! 敵に自分の弱点を教えるわけないでしょ!?」

 あにはからんや、天才たるジニーに苦手なものがあったとは!

 だが、それも道理である。彼女は確かに天才だが、他人との話しあいに時間を割いたことはほとんどなかった。相手が彼女の天才性や自身の才能の欠如をいいわけにした瞬間――それこそ、『天才にはわからない』だの『住む世界がちがう』だの『自分は凡人だからわからない』だのといった瞬間、彼女は相手を切りすててきたからだ。そして、自分と釣りあう人間――天才探しに戻った。

 いかな万能の天才といえども、コミュニケーションの才能ばかりは数という名の水をやらねば開花しない! 人の数だけ接しかたがあるからだ! 正しく唱えれば発現する魔術とはちがうのである! 

「……で、なに!? だから、わたしがなにを願えばいいかもわかるっていうの? そりゃすごいわね!」

 ジニーは挑発的な物言いで話を戻す! あからさまな照れ隠しだ!

「いや、皆目見当もつかぬ」

 しかし、ガンケインの返事はあくまで真摯だった。呆気にとられて二の句を継げぬジニーに、ガンケインは説いた。

「わたしひとりではな。だが、きみの『やりすぎ』の件と同様、ひとりではわからないことも、みなで力を合わせればわかることがある――きみがどう願ったらよいか、ふたりで考えてみようではないか!」

 そして、鎮火したようにきょとんとするジニーを見て安堵の吐息を漏らすと、一言付けくわえた。

「……もっとも、つぎはわたしの番だが」

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