第4話「一本目――後手、ヴァージニアス」

「落ち着いた?」

「うむ……恥ずかしいところを見せた」

「いまさらじゃない?」

 ガンケインが片膝を立てて座っているところは、更地のようになっている。彼が鎧を着たまま転がったためだ。

 ジニーは満身創痍となってなお凄まじいガンケインの膂力りょりょくおののきながらも、表向きは余裕たっぷりに、

「とにかく、勝負はあたしの勝ち! だから、樹に願うのもあたし! いいわね!」

 と宣言し、立ちあがろうとした。

「待った」

 しかし、不屈のガンケインは不屈だった。

「たしかにわたしの願いはついえた。だが、きみの願いも潰えぬとはかぎらぬ――いってみぬことにはな! そしてわたしと同じく潰えたならば、この勝負は引きわけ……! 続行……!」

「はあ!? なにいって――」

「天才ならいえるはずだ! わたしになにをいわれようと、潰えるはずもあるまい!?」

「ううっ!?」

 ジニーはもじもじした! 彼女は「天才」という言葉に弱い! 魔術的!

「し、しかたないわね……わかったわよ、いえばいいんでしょ!? いえば! 天才の願いを聞かせてあげるわ!」

 やがて彼女は、捨てばちにそういうと座りなおしたが、その表情はまんざらでもなさそうだった。


【一本目――後手、ヴァージニアス】


「あたしの願いは……」

「願いは……?」

 ジニーは無論のこと、ガンケインも神妙であった。

 稀代の天才魔術師は、いったいなにを願うのか? 世界の真理だろうか? そういえば、彼女はあの名状しがたい者たちのことを知っているようだった。もしかしたら、やつらがやってきた空の遙か彼方へ行きたいと願うのかもしれない……

 ガンケインは考えるのをやめた。ジニーの小さな口が動きはじめたからだ。はたして、彼女は呪文を唱えるときと同じように、声高に叫んだ。

「恋人が欲しい‼」

「わたしと同じではないか!?」

「全然ちがうったら! 最後まで聞きなさい!」

 嘘である! 正確には半分嘘で、半分本当であった!

 ジニーは当初、樹に願って天才である自分と釣りあう男性を喚んでもらうつもりだった。これまで世界じゅうを旅してきたが、そうだと思える男性はひとりとして見つけられなかったからである。

 しかしガンケインの願いを聞き、これを諦めさせるべく言葉をつむいでいるうちに、天才の彼女は気づいてしまったのだ。


(あれ? これって、あたしの願いにもいえることじゃない……?)


 と! 実際、彼女の当初の願いはガンケインの願いとほとんど同じであった! 人間、自分のことは意外とわかっていないものである。色恋沙汰ならなおさらだ。それは天才とて例外ではなかった!

 だが、ジニーはそれで願いを諦めるタマではなかった。彼女はガンケインを責めたてながら、同時並行的に自分の願いに修正を加えていたのである! そしていま、その願いを開示すべきときがきた! ジニーは矢も盾も堪らず立ちあがると、細い腰に左手を当て、右手でガンケインを指さして叫んだ!

「あたしはね、こう願うの――『この世界にいる、あたしと同じくらいの、もしくはあたしに次ぐ天才の男性を恋人にして!』ってね! どう!? これならなんの問題もないでしょ!」

 裂帛れっぱくの気合いに、彼女の頭上にあった葉は弾け、草地はさざめき、ガンケインにぺちゃんこにされた芝草も注意された学生めいて直立した!

 しかし、ガンケインは不動であった。腕を組んだまま、身動みじろぎひとつしない。やがてジニーがいぶかしみはじめたころ、彼はためらいがちに口をひらいた。

「……きみはそれでいいのか?」

 その言葉は、ジニーをいい負かしてやろう、いいくるめてやろうというような戦術的な響きをまったく欠いていた。代わりに、彼女を案じるような響きを湛えていた。

 ジニーは一瞬ひるんだが、その事実を認めまいとするように強がった。

「えっ? な、なによ。いいに決まって――」

 彼女がいいおえるよりはやく、ガンケインが低い声を発した。

「樹が選んだ男性が、百歳を超えた天才でもいいのか?」

「あっ!?」

 いいわけがない! ジニーは苦しまぎれに反論する!

「そ、それは……そうよ! 年齢制限をもうければ……」

「樹が選んだ若い男性が、決して風呂に入ることも歯を磨くことも着替えることもない、不潔きわまる天才でもいいのか?」

「ああっ!?」

 いいわけがなかった! ジニーは願いの修正に注力するあまり、願いが最悪の形で叶ったときのことを想像しわすれていた! それゆえに当然、そうなったときの覚悟もできていない! 付け焼き刃が露呈した形だ!

 ジニーはよろめき、蹈鞴たたらを踏んだ。そんな彼女に、とどめの一撃が放たれた。今度の言葉には、相手をやりこめてやろうという気持ちがふんだんに込められていた。

「……というか、そもそもそれは魅了魔術では? 相手の気持ちを考えず、樹の力に頼って自らの恋人とする……それでいいのか!? 人として!」

「きゃあああああああ!」

 魔術的! ジニーは花がしおれるようにゆっくりと倒れ、横座りした! そして、指先で赤毛を巻きとっては離しながら、ぶつぶつと呟きはじめた。

「こ、このあたしが……このあたしが、いい負かされるなんて! こんな……こんな、思春期をこじらせたおっさんに!」

 敵愾心てきがいしんに燃える赤い瞳が、ガンケインを射抜く! ガンケインは怯まざるをえないが、そこは不屈! 地に突きさしたメイスを握ると、即座にいいかえす!

「な、なんだと!? それはそのとおりだが、いいかたというものがあるだろう! きみこそ、天才をこじらせているではないか!」

 売り言葉に買い言葉だ! 大人げない! しかし、実際年端もゆかぬ少女でもあるジニーには有効だった!

「なんですってえ!? へたれのくせに!」

「なんだとう!?」

 一触即発!

 不意に、一陣の風が吹いた。「願いの樹」の枝葉が揺れて、ふたりの顔に落ちていた影が取りはらわれ――ふたりの目に、ほとんど同時に陽の光が飛びこんだ。そのときすでに、ふたりは動きおえていた。

「どりゃあっ!」

「『我が毛は尖る』!」

「「ぎゃあああ!?」」

 ガンケインが投擲したメイスは、ジニー――を背後から斬ろうとしていた盗賊の顔面にめりこんだ。

 ジニーが指先で巻きとり、抜いて投じた一本の赤い髪の毛は、鋭い針と化してガンケイン―を背後から殴打しようとしていた痩身の騎士の兜のスリットを縫って、その右目に突きささった。彼はガンケインを隊長、あるいは先輩と呼んでいた騎士である。

 恐るべきふたりの刺客は、同時に後ろに倒れて丘を転がりおちていったが、ガンケインもジニーも彼らを一瞬としてかえりみることなく、ただ叫んだ。

「「第二ラウンドだ!」」

 ふたりとも、戦いの昂揚感――といえば聞こえはいいが、その実、口喧嘩に夢中になっていて、回復しはじめた力を使って相手よりさきに樹に触れればいいことなど、すっかり忘れはてていた。

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