四象風月

春嵐

第1話

 ふたつき、と名乗っていた。名字なのか名前なのか分からない。とにかく、ふたつき。二月。

 記憶に残りにくい顔、どこにでもいる髪型。それぐらいの印象しかない。


 だからなのか分からないけど、とにかく、気になった。周囲も年頃の集まりで、やたらと誰々が付き合ったとか誰々が別れたとか、そんなことばかりだからかもしれない。

 自分が、付き合うなら。たぶんこういう男。記憶にも残らないから、別れたあとも気にならない。そんなことを思いながら、意味のない日常を過ごす。


 第2倉庫。

 ここぐらいでしか、安らぐ時間はなかった。ここは、暗い。倉庫自体も外観がかなりさびれていて、入る前に敬遠されるような暗澹あんたんさ。

 もちろん、入れば明るいし内装も小綺麗。わたしがやった。自分の住み良い場所は、自分で作る。

 大体のひとは屋上とか保健室とか、そういう人気の場所にばかり寄りつく。そういうところを避けるわたしには、結局、第2倉庫。


「は?」


 なのに。


「ちょっと」


 ひとがいる。

 なぜ。

 第2倉庫はわたしの場所なのに。


「まいったな。ここなら誰もいないと思ったのに」


 二月。


 振り向いてこちらを見る顔が。違った。


「まいったな」


 2回目のまいったな。どうやら相当まいっているらしい。


「なにしてんの?」


 興味が先行してしまった。追い出すのが先決だろうに。


「儀式」


 あっやばい。そういう系か。


「これをやらないと、街の安寧に関わるんでね」


 光。


 急に現れて。


 光って。


 消えた。


「なに、いまの」


 ちょっとまって。


「なにいまの。えっ。なにしてんの?」


 私自身2回目のなにしてんの。私も相当なにしてんの状態。なにこれ。わけわかんない。


「やはりここか」


 二月。なにやらインカムみたいなのを取り出して。


「あっ」


 インカム。小さく爆発した。


「まいったな」


 二月。

 第2倉庫の出口の扉。


「わっ」


 思いっきり蹴る。大きな音。一度。二度。


「わっごめんなさい。やめてやめて」


「やめるよ。手遅れだった」


 倉庫の扉。閉じてる。


「閉じ込められた。この空間に」


 空間?


「隔離された」


「誰に?」


「狐」


 きつね。


「敵だよ敵。街を脅かす敵に、妨害された。ここから出れない」


「出れないって」


 扉を開けようと、してみる。開かない。


「なにこれ。出れないじゃん」


 あっさっきそう言われたっけか。


「巻き込んじまったな。すまん」


 さっきから。


「ねぇ。あんた誰なの」


 二月じゃないみたい。顔に表情がある。髪型も、たなびいている。


「二月」


「いやそれは分かるけど。わかんないじゃん」


「なにが」


「キャラ変的なのが」


 二月。第2倉庫の周りを見渡す。


「そっちもだろ」


「何が?」


「この倉庫。おまえの内装だろ。けばけばしい見た目のくせに、実に綺麗でしっとりした部屋だ」


「うるせえよ」


「ほめてんだけどな」


 あっそうなの。それはそれで受け取っておくわ。


「じゃなくて」


 出れないんだよ。


「出してよ」


「無理だ」


「おい」


 さすがに胸ぐら掴むまではいかない。顔が。髪が。


「なんであんた、そんなに良い顔なのに」


「良い顔に見えるか?」


「見えるよ」


「なら、最悪だ」


 ちょっと立ち入れなさそうな雰囲気なので、そこでいったん会話は区切った。


「飯でも食うか」


 二月。何やら開けはじめる。


「なにそれ」


「弁当。おまえも食うか?」


「は?」


 勝手に、ひとの居場所で何を。

 おっ。

 あっ。

 おいしそう。


「遠慮せずに食えよ」


「なんでよ」


「ガン見ってやつだろ、そっちの言葉でさ」


「なによ。けば語って言いたいわけ?」


 けばけばしいから、けば語。ギャルとかいう死語は、ここでは使われない。でもここいらに生息しているやつらはみんなギャルばっか。時代錯誤の勘違いどもが。


「ほら」


「うわ」


 放り投げられてくる。玉子焼き。口でキャッチ。


「うま」


 なにこれ美味。美味すぎる。


「え。なに。こんなの毎日食ってんの?」


「ああ」


「くそが。高級志向で良いですこと」


「ああ。スーパーで買う卵は安売りのやつじゃなくてちゃんとした中価格帯のやつだ」


「は?」


「中価格帯の卵」


「いやそうじゃなくてさ」


 手作り?


「あ、作り方か」


 手作りだぁ。


「なに。二月あんた、これ、手作りなの?」


「そうだけど」


 なんか急に、腹が立ってきた。なにこいつ。実はイケメンで料理上手か?


「隣座れよ」


「いやよ」


 と言いつつ、座る。渡された弁当箱。何も言わず食べる。おいしい。


「あっ」


 いただきます、って、言わなかった。


「いただきます」


 二月。ちょっと微妙な顔。


「おまえ、いつもひとりなのか」


 いたいところを衝かれた気分。


「いや、すまない。立ち入った話に」


「ひとりだよ」


 なんか、もうなんか、いいやって、気分。


「ずっとひとり」


「そうか」


「センシティヴって、わかる?」


「繊細さ、だったか」


「そう。わたし、センシティヴな体質なの」


 ずっとそう。だから、これからもそう。


「人の声とか視線とか、そういうのに感情が乗って来るのが面倒なの。なんかこう、ぐちゃぐちゃした感じで」


「だからギャル派閥に属してるわけだ」


「そう。けばけばしくしとけば、みんなわたしのことを、ギャルとしか認識しない。あざけりの視線がいちばんぐちゃぐちゃしにくいから」


「だから、いま少し嬉しいのか」


「まって。なんで?」


「俺は、」


「まって。俺やめて」


「は?」


「一人称を変えて」


「そうだな、ええと、私は」


「それだとわたしと同じ。二月にして。一人称。」


「二月は」


「ありがと」


「二月は」


「まって。二月だとわたしも二月って呼ぶから、やっぱ無し。ほかのやつない?」


「じゃあ、四象風月」


「四象風月?」


「俺の名前。任務中の」


「変な名前」


「まぁな。こっちのが本名で、二月が偽名だ」


「そうなんだ」


「話が逸れた。四象風月は、人が多少読める」


「読める?」


「というか、感じることができる。ありとあらゆるものの、あるべきかたちを」


「意味分かんない。おかわりある?」


「あるよ。任務柄よく閉じ込められるから、弁当はいつも多めに持ってる」


「わぁおいしそう」


「どうぞ」


「いただきます」


 おいしい。


「で、なんだっけ。あるべきかたちがどうとか」


「あるべきかたちを読み取る。そういう能力」


「ねぇ」


 といれ行きたい。食べ物食べたら、胃腸の活動が。


「行きたくないよ、トイレなんて」


「え?」


 あ。


「行きたくなくなっただろ」


「すごっ。どうやったの?」


「あるべきかたちを変えた。その、胃腸的なものの」


「えっそれ健康的にどうなの」


「どうもしないよ。もともと、この空間自体にあまり時間変化がないし」


「よく分かんない」


「まぁ、そうだよな」


 かちっ、という音。


「おっ」


 彼が、立ち上がり。扉を開ける。


「開いた開いた」


「えっ」


「いや、普通に増援。さ、トイレにどうぞ」


「あ、はい」


 倉庫を出る。普通に、いつものさびれた第2倉庫外観。


 戻ってきたとき、すでに彼はいなかった。


 あの会話は。謎の儀式とやらは。何もかも。夢だったのかも。


 食べかけの弁当箱だけが、そこに置いてある。なにも、なかったみたいに。





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