第零章 君はあまりにも──
第1話 都会の陰
私はジル。飛び切りの美人。
自惚れる奴は嫌な奴。だけど嘘つきはもっと嫌な奴。
それに主人公は嘘をつかないんだ。
だから私も嘘をつかない。
生まれ変わってからというもの、人には褒められるし、優しくされるし、男は寄ってくるし、夢も、お金も・・・・・・ね。
「握手5エン、挨拶10エン!」
目の前に豚のような男達が屯している。
誰もが息を呑んで、猪のような男の声を聞いている。
「お喋りは20エンだ!・・・・・・デートは50エン・・・・・・あと見物も3エン!!」
人だかりの20%が去ってしまった。
でも残り80%の人は、イイ感じにくすんだ缶の前に一列に並んだ。
いや正確には、私の前に、なのだろう。
目の前の缶の中に、硬貨3枚が順番に入れられていく。
「おっさん!ほっぺにチューはいくら!」
可愛らしい鼠のような男が集団の中から声を上げた。
「200エン!」
「えー!餓死にしちまうよ!」
群衆からどっと笑い声が溢れた。
私も笑いたかったけど、微笑みは崩せない。
ああ。楽しい。
それから私は握手に応じた。
何人かは声も交わした。
確か3人。うん。3人だ。
そのうち一人は長めの会話もした。
全て私の仕事だが、何も苦しくはない。
むしろ楽しい。
なぜかって、私には夢があるからだ。
この美貌を不器用に使った、こんな商売をしてまで叶えたい、希望に溢れた夢。
それは──
ダウンタウンを出て革命を起こすこと。
生まれ変わった私が、排斥された国を乗っ取るんだ。
アツい。アツいね。
こんな夢を持てるのもダウンタウンの皆のお陰。
だから醜くても愛らしい。
ほら、目の前を見て。
様々な顔を持った動物達が、ひしめき合って波打っている。
「これ」
お客の列を捌いていた私に、突然200エンが入れられた。
「頼むよ嬢ちゃん」
・・・・・・今日もか。
私は後ろの客に悟られないように、男の頬に口を付けた。
「毎度、ありがとうございます」
「じゃあな。クソ女」
その男が去っても、私は微笑みを崩さなかった。
すぐに次の客が来るからだ。
私は愛らしい男の手を握って微笑んだ。
あの"金持ち"の男は帝国の兵士だ。
毎日ダウンタウンに忍び込んできて、私を侮辱して帰っていく。
私を辱めるのに200エンの価値があるのだろうか。
それもわざわざ毎日。
私は次の客を迎えた。
普通の客だ。
私はたちの悪い帝国兵に内心怯えながら、200エンの重みも噛み締めている。
何度も言うようだが、私はこの仕事を苦しくなんか思っていない。
「逢瀬は」
畜生の中から、透き通った声が聞こえてきた。
騒がしい都会の昼間が、影を落とした所もまた騒がしかった筈なのに、その一声で静寂が広がった。
「兄ちゃん、見ない顔だな」
「アルジェラか?襲われないうちに出ていきな」
声の主は好青年だった。
私達を冷やかすかのような、それでいて憂いげな目をしていた。
彼はアルジェラなのだろうか。
目鼻の整った顔に、ボロ衣でも、縒れたシャツでもない服を着て、土埃の目立つ靴を履いている。
あの帝国兵でもわざわざ汚い服を着て、このダウンタウンの空気に溶け込もうとするのに。
「おっさん!いくらなんだいくら!」
畜生達は嘲笑い出した。
場違いな人間を獣達が囲い、長の判断を待っている。
私も気になった。
一体、私の値段はいくらなんだろう。
「10イーガだな」
猪面の男はわざと考えたふりをして言った。
「おい!家が立つぞこりゃ!」
「分かったならとっとと出ていけガキ!」
青年は懐に手を伸ばした。
何かを掴んで、それを露わにする。
彼の白い手に握られていたのは銀貨だった。
私は目を見開く。
銀貨なんて初めて見た。
見ても銅貨だ。
豚達も、私の隣の猪も目を見開いていた。
「ダウンタウンの通貨は知らないけど、これで足りる?」
猪はゆっくりと彼に近づいて、私の背後、奥の部屋へと連れて行った。
残された私達は無言だった。
銀貨に驚いたのではない。
彼がこれからどんな仕打ちを受けるのか、考えただけでも背筋が凍ったからだ。
恐らくまず身ぐるみを剥ぎ取られ、幾分か殴られて・・・・・・最悪身柄も拘束されるだろうか。
ここよりもっと酷い場所に売られるかも。
私は身震いをしながら、目の前のお客と微笑みを交わした。
私達ダウンタウンの人間は好き好んで暴力を振るわない。
ダウンタウンにも人間社会があり、家族の生活があるからだ。
ただ、暴力による利益が、理性による利益を上回ることはある。
私達は何も、馬鹿な訳じゃない。
合理的に権利を行使する。
ただ、それだけだ。
「待て小僧!」
私が握手を続けようとしたその時、転がり落ちるように青年が飛び出してきた。
私は思わず席を立つ。
追ってきた猪面の男──青年より一回りも大きかっただろうか。その筈の体躯を青年は投げ飛ばした。
その所業を見て私は確信した。
間違いない、アルジェラだ。
猪を組み倒したアルジェラの彼は、私に向かって何かを投げて寄越した。
私はそれを反射的に掴み取った。
「それでそのサムい商売辞めろよ」
青年は豚共の間を堂々と歩いて通り、人々の視線を集めた。
私は握り込んだ掌を開き、中を覗き込んだ。
あの銀貨だった。
「待って!」
私は咄嗟に呼び止めた。
心の反射だった。
「貴方、正義の味方でしょ?私と友達になってよ!」
私は彼のことを急に知りたくなった。
彼はどこから来たのか。
普段は何をしているのか。
どうしてこんなところに来たのか。
革命に興味はないか。
私の期待とは裏腹に、彼は嫌悪感の溢れた顔で振り返った。
「正義・・・・・・?」
「すっごくアツかったよ!今の!」
彼は私から目を逸らした。
そして小さいため息をついた後、言った。
「サムい。サムいね」
正義のヒーローは、ダウンタウンの暗闇の中へと消えてしまった。
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