第2話

 私は山中市緑区に生まれました。第一子ということもあり、順当に寵愛されるはずでした。しかしながら私に母の思い出はありません。私が二歳の頃に離婚が成立したそうで、母は親権を捨て、待っていた男の元へ走ったと聞いています。私は父親と二人、木造のアパートで暮らしました。


 保育園に通っていた頃に私は自分に母親がいないことを知りました。当初、親というものは男か女のどちらかがランダムで決まるものと思っていました。しかし友達の話には決まって「パパとママが」と枕詞が付くので、自ずと違和感が芽生えてきました。


 保育園の先生に訊いても不明瞭な回答ばかりだったので、友達全員にパパとママがいるか尋ね回ったことを憶えています。幸いにも片親なのは私だけではなかったので、そこで救われましたし、その友達とはより仲良くなりました。それでも、自転車で迎えに来て友達をぎゅっと抱きしめるママという存在が、とてもうらやましかったことを思い出します。もっと言うなら「ママ」という言葉自体に高貴な畏敬すら感じていました。


 迎えに来る私の父は決まって笑顔が引きつり、先生にペコペコと頭を下げ、私の手を引っ張ると急いで保育園から出ていました。父は市役所に勤めていたので迎えが遅れることもさほどなかったのですが、常に時間に追われるように足早で忙しなく、あまりこちらの会話を聞いてくれませんでした。保育園での出来事を喋っても、「それより明日は」と遮られ、次の日の予定を確認させられるだけでした。


 父は酒も飲まず、煙草も吸いませんでした。ましてや私に手を上げたことなど一度たりとてありません。どんなに忙しくても朝早く起きて台所に立ち、朝食と弁当を作り、夕食も食材をこしらえて一から調理をし、栄養管理にも気を配っていただろうと思います。


 ゲームも流行りに合わせて買ってくれましたし、ねだればアニメキャラの運動靴も漫画本も大抵は買ってくれました。これといって不自由さを感じたこともはありません。小学校の運動会も学芸会も必ず観覧に来てくれました。

 それはきっと片親であることの埋め合わせなのでしょう。父なりの精一杯の育児の形だったのだと思います。


 しかし私はほとんど笑った父を見たことがありません。能面のような顔で、年相応の笑いじわが目尻にはありません。私が笑い掛けても笑い返さない白壁のような人でした。


 淡々と抑揚のない日々を暮らしていく、そんな無味乾燥した空っ風のような生活でした。父親に対する不満を述べたいわけではないのです。ただこの満たされながらもモノクロの幼年期こそが、私の人格の根幹を形成していると思うのです。

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