愛縁奇縁 ~二度目の彼女と 存在しなかった彼~
よろず
一部 現在の彼と彼女
第1話 初日1
同じ時、同じ場所で。
互いの存在に気付くことなく彼女たちは、最後の一回を願った。
その時、強く心にあった望みは――
幸福。
※※※
肌寒い日もあるが暖かくなり始め、花粉の飛散が気になる人も出てくる、うららかな春の日。
年度始めのこの日、品川にある大手飲料メーカーの本社オフィスでは、全社員がホールへ集まり朝礼に参加していた。
ホール内に新入社員の姿はない。新卒入社の社員たちはゴールデンウィークまでは一斉研修で、各部署への配属はゴールデンウィーク明け。今は本社ビルとは別の場所で、入社式が行われている。
前方に設置されたスクリーンから流れる社長の挨拶は、入社式の会場から中継されているものだ。
ホール内にいる新たな顔ぶれは中途採用者と、各支店から異動して来た者。いささかフレッシュさに欠ける年度始めは、毎年恒例のことだった。
社長の挨拶が終わりスクリーンへ会社のロゴが表示されると、進行役が進み出て新顔の紹介を始める。
その中の一人。仕立ての良いスーツをまとった二十代後半の青年に、若い女性社員たちの視線が集まった。
人事異動については、事前に社内ポータルサイトで周知されていた。顔写真も掲載されているため、社員は全員、彼の事を知っている。彼の経歴と容姿から、独身の女性たちはこの日を待ちわびていたのだ。
「おはようございます。本日付で経営企画部へ配属となりました、
経営企画部といえば、エリートが集められる花形の部署だ。
彼の左手に結婚指輪はない。
独り身の女性社員たちの心は浮き立っていた。
今日から同じ建物内で仕事をするのだ。「もしかしたら」が起こるかもしれない。
昼休み。
食堂に時任律瑠が現れ、ひっそりと注目を集める。
弁当持参者も食堂の利用は可能となっているが、時任律瑠の手に弁当の包みは見当たらない。
経営企画部の先輩と共に、食券を購入するようだ。
「でさぁ……どうよ?」
前後の会話との繋がりがない唐突な言葉は、時任律瑠の向かいへ座った男が発したもの。彼は、一年前にイギリスから戻って来た経営企画部の篠田だ。
「どうって、何についてですか?」
箸を手に、時任律瑠が微かに首を傾げる。
「朝からずーっと聞きたかったんだけどさ、雑談しづらい雰囲気だっただろう? だから、昼飯まで待ってた!」
「プライベートのことですか」
「それそれ!」
「教えません」
「口元にやけてんじゃねぇかよ! そっかぁ、最高だったかぁ」
「想像しないでください。
「どこまで想像したと思ってんだよぉ」
「一年振りの篠田さん、相変わらずうるさいですね」
とろろ蕎麦をすする時任と、天丼を頬張る篠田。
二人の会話に耳をそばだてながら、女性社員の一部が目配せと共に小声で会話する。
――彼女持ち疑惑浮上
――誰に聞く?
――時任さんの同期がうちの課にいる
――聞いてみろ
――ラジャ
食堂内の空気に気付かず、仲の良さそうな先輩後輩の二人は食事しながら会話を続けていた。
「ワンコは懐いてくれそうなの?」
「基本、人懐っこいんですけど、今の所、俺はお客さん状態みたいです。香乃に教わりながら、徐々に関係を築かないと」
「ワンコが人間の子どもだとすると、ママの再婚相手が家に来た状態?」
「モナに嫌われると破談にされかねないんで、やばいんですよね……」
「孕ませちゃう作戦は?」
「今の時点でやっても何のメリットもないです。それに、やったら本気で嫌われます。多分、香乃なら子どもは産んで育てるけど、お前は出て行けとか言いそう」
「あり得る~」
「帰国早々、婚姻届けを渡したんです」
「うわ! 結果は?」
「落ち着けって、言われました」
「だよな。とりあえず、落ち着こう?」
「だってですよ? 三年で帰って来られると思ってたのに二年延びて、お義姉さんも来月出産予定だし、もう待つ理由は全部クリアしたんです。何年待ったと思ってるんですか。高校の時から、ずっとですよ」
「お付き合いは二十歳からだったろー」
「篠田さん、俺香乃マスターですか。キモイです」
「俺って香乃ちゃんとも仲良しだし!」
「もしや、去年帰国してから香乃と会ったり――」
「してない! 落ち着こう? お前経由じゃないと連絡も取れない。香乃ちゃん関わるとお前マジ怖い。落ち着こう?」
「香乃も、篠田さんに会いたいって言ってました。今度うちに招待しますね」
「え、マジすっげぇ行きたい。愛の巣訪問、超楽しみ」
「篠田さんは、秘書課の彼女とどうなんですか」
「今のところ順調だよ!」
ただの彼女ではなく結婚間近。しかも彼女と彼女の愛犬と同居中。
優良物件が売約済みだと早々に判明し、女性たちの興味は違うところへと移る。
海外赴任へ妻を連れて行くというのは、よくある話。彼女のほうも仕事があったのは想像出来るが、赴任から五年が経過している。途中で結婚してイギリスへついて行くという選択をしなかったのは、どういう理由なのか。
これだけの優良物件を野放しにしたまま、五年間の遠距離恋愛。
もし自分がその立場だったら不安で堪らないと、女性たちは小さな声で会話する。しかもどうやら、主導権は彼女のほうにあるようだ。一体どれだけいい女だというのだ「かの」という女性は。
その疑問は、時任律瑠の同期への聞き込みにより、さらに深まることとなる。
「時任くんの彼女ですか? 入社時点で婚約者がいるって言ってたから、その人ですかね? 彼女は日本での仕事があるからついて行かなかったみたいですけど、『私がいるからってやりたいことが出来なくなる関係ならいらない』って言われて、時任くんは海外赴任を決めたらしいですよ。でも婚約状態で六年ってのもおかしな話なんで、別の彼女が出来たんですかね? 近々同期会やるんで、聞いてみようかなぁ」
のんびりとした雰囲気の、総務課の女性からの証言。
まさしくその彼女だろうという情報は、知っているのもおかしいと考え口にしなかった。
2009年入社組の同期会が終わるまでは食堂で、時任と篠田の会話を拾えばいい。探求心がある程度満たされたところで、彼女たちは業務へ戻った。
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