百合営業はお断りです!
桐野
第1話 百合営業はお断りです!
今日も憂鬱だ。美優は死んだような目をしておもむろにスマホを取り出した。Night Lilyの店内はまだ閑散としている。魔の火曜日だ。
Night Lilyは元は有名キャバクラ店の姉妹店で、規模は小さいが長く続いている。黒と白を基調とした落ち着いた店内は評判も良い。
「おはようございます」
美優は不機嫌そうな表情を崩すことなく、声のする方に視線を上げた。声の主はわかっている。こちらの視線に怯む素振りは一切なく、爽やかな笑顔を浮かべている。
この女の、こういう所も本当に嫌い。
「……おはよう」
年齢は確か美優の三つ下だったはずだ。小さな頭にすらっとした手足。華奢な身体付きとアンバランスな豊かな胸。絵に描いたような美人だ、何よりもそこが一番嫌い。
Night Lilyは女の子の質にもこだわっている(らしい)。周りを見渡しても美人揃いだし、美優自身も負けていない自信があった。
だが、どれだけお金を掛けたとしても、彼女みたいに持って生まれた骨格からの美しさにはどうしたって勝てない。
(……いいや、天然美人なんて嘘に決まってる。顎は削ってるし、胸だって絶対に偽物でしょ)
整形してないって言ったって、どこまでが整形? 埋没はセーフ? そんなんこと言い出したら私だって天然美人ではない。……ああ、こうやって自分に対して自然と"美人"ってつけてしまうから炎上するんだった。
「なゆちゃん、美優ちゃん、準備して」
立ち上がる瞬間にさりげなくお互いの全身をチェックする。約束通りダークブルーのワンピースにお揃いのパールのネックレス。
スカートの丈はなゆの方が若干短い。彼女が動く度にかりっとくすみのない膝がちらっと覗く。
なゆちゃん、彼女の本名は何ていうのかは知らない。
そして、彼女が出勤の日は必ずと言っていいほどセットで呼ばれることが多い。それが魔の火曜日、美優にとっての最大の憂鬱だった。
「美優です」
「なゆです」
「「みゆなゆでーす」」
店長が3秒で考えたクソみたいな挨拶をしてテーブルに着く。不本意ではあるが、待機になるよりマシだった。この流れが定着するまで、しばらくの間だったが彼女とナンバー争いをしていた。
なゆがNight Lilyに来るまで、美優は二位と圧倒的な差をつけて不動のナンバーワンだった。
それが崩れてしまったのはなゆが入店したせいだった。彼女が来てからは胃が痛い毎日になってしまった。
(今はまた別問題で胃が痛いけど……)
「そうだ、インスタ見たよ」
常連の男性客がスマホをさっと取り出すと、なゆのアカウントが目に入った。その中から最近投稿された鍋の写真をタップする。
「これ、絶対二人で鍋食べに行ったでしょ? プライベートでも本当に仲良いよね。隠さなくてもいいのに」
得意げに彼が拡大したのは、二つ並んだグラスだった。そして続け様に私のアカウントをタップする。最新の投稿には別角度から撮った同じ鍋の写真がアップされている。
「えー、ジュンさんすごい!よく気付いたね」
美優は大袈裟に驚いて見せた。実はその写真はなゆが一人で撮ったもので、一緒に鍋なんてもちろん食べていない。
そもそも、美優はすぐに余計な一言を言って炎上するので店側からSNSを禁止されている。営業の為に作られた美優のアカウントは、なゆと若い黒服の子が作った偽物だ。
「せっかく二人で食べに行ったらもっと写真載せてよ。犬の写真を『可愛い』って載っけて自分しか写ってない女の子より好感度上がるけどさぁ……」
食べ物ばっかりで色気がないよ、とごもっともな意見だった。それはすでにコメント欄でも、店長からも指摘されている。
「なゆと一緒にご飯を食べても、当たり前のことすぎてつい写真撮るの忘れちゃうんだよね」
「美優さんってば冷たいんですよ、私は二人で写真撮りたいのに食べるのに必死なんですもん。そうだ、この鍋すごく美味しかったんですよ。薬膳鍋なんです」
「薬膳鍋……! あんまりそそられないなぁ、チゲ鍋はどう? でかいヤンニョムチキンが出る店で良い所知ってるよ、みゆちゃん辛いの好き?」
「大好き!ヤンニョムチキンって、まだ食べたことないよ」
「じゃあ、ちょうどいいね。今度二人で食べに行ってみなよ」
ジュンさんはこうやって女の子の好きそうな店をさりげなく教えてくれる。彼の良い所は一緒に行こう、と言わないところ。食事をして同伴出勤も偶にあるのだが、それよりもこうして二人にデートのネタを提供し、二人の関係について妄想を膨らませる方が楽しいらしい。
「なゆ、次はここ行ってみたいな。なゆとははじめてばっかり……」
こっそりと囁くように言うと、彼はますます機嫌を良くした。
「じゃあ、はじめてのお祝いにシャンパン開けちゃおう!」
ジュンさんは私たちの"はじめて"に弱い。普段より落ち着いた店内で、黒服の弾んだ声が響き渡る。
(……ちょろい)
美優は思わず吹き出しそうになるのを堪えながら、必死に穏やかな微笑みを保っていた。
なゆも嬉しそうにこちらを見ている。シャンパンが下りるこの一瞬だけ、私たちは繋がっていると思える。
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