蒼焔の剣姫
黒陽 光
プロローグ:上弦の月夜に巫女は舞う
プロローグ:上弦の月夜に巫女は舞う
――――草木も眠る、丑三つ時。
人も動物も、誰も彼もが寝静まった夜更け頃。夜空に浮かぶ上弦の月の、青白い月明かりだけが淡く照らす中……鬱蒼とした竹藪の中を、一人の少年が息を切らしながら必死に駆けていた。
「はぁっ、はぁっ……!!」
青竹が生い茂る竹藪の中を、少年――
ボロボロの出で立ちだった。身に着けた着物も袴も泥だらけで、身体には擦り傷ばかり。何度も転びながら、それでも懸命に逃げ続けていたと分かる、酷い格好だ。
そんな凛の左腰には、大小の刀が差さってはいたものの……しかし凛はそれを抜かぬまま、ただひたすらに逃げていた。
必死に、死に物狂いで逃げる凛。
どうして彼が戦おうとしないのか、抵抗しようとしないのか。
その理由はただひとつ。彼を背後から追い立ててくるのは――――人ならざる、異形の者たちだったからだ。
「ウ、アアア――――」
この世のものとは思えぬ不気味な声をあげながら、錆びた刀を振り上げて追いかけてくる幾つもの影。
それは……一見すると人間のようだ。刀も鎧もズタボロなれど、確かにパッと見の出で立ちは鎧武者のそれだ。
だが鎧を纏う、肝心の身体の方はといえば――――単なる土くれの塊だったのだ。
土人形、と言った方が分かりやすいだろうか。
大雑把に人間の形を模っただけの、不気味な土人形。そんなものが、まるで落ち武者のように不気味な声を上げながら……凛の背中を、追い立てていた。
――――
追われている凛は知るよしも無かったが、その落ち武者のような土人形たちは……傀儡と呼ばれる、その名の通りの人ならざる人形兵に他ならなかった。
「くそっ……! 来るな、来るな……っ!!」
そんな傀儡たちに追われながら、凛は必死に竹藪の中を走り抜ける。
傷だらけ泥だらけの身体に鞭打って、息を切らしながら凛は走り続けた。迫り来る傀儡から、恐ろしい異形の鎧武者たちから逃れるために。
「あっ――――!?」
――――だが、そんな彼の努力も虚しく。凛はなんてことない小石に
「う、ぐ……っ」
着物がまた泥にまみれてしまった。擦りむいた肘や膝がズキズキと痛む。体力はとうに尽き果てて、もう一歩も動けそうにない。
(それでも……僕は!)
凛はそれでも、動かぬ身体を気力だけで動かした。立ち上がることこそ叶わないが、凛は逃げようと必死に地面を這いつくばる。ほんの少しでも、傀儡から逃げるために。
「グググ、アアア――――ッ」
だが、そんな凛の努力も空しく……背後から迫り来る傀儡たちは、凛にトドメを刺すべく刀をバッと振り上げる。
そんな振り上げられた刀を目の当たりにして、凛の胸中に過ぎるのは……諦めの気持ち。
(ここで、終わり……?)
――――もう、駄目なのか。
今まさに振り下ろされた刃を見つめながら、凛がもう駄目かと思った――――その時だった。
「――――――そこまでです!」
どこからか、凛とした乙女の声が木霊してきたのは。
「アア……?」
突然、どこからともなく響いてきた乙女の声。
それを耳にした傀儡たちは思わず動きを止め、凛を斬るのも忘れて辺りを見回す。
「…………っ!?」
当然、その声は凛にも聞こえていた。
傀儡たちがきょとんとした様子で見回す中、ハッとした凛は声の聞こえた方を見上げる。
そうして凛が見上げた先には――――上弦の月を背にして立つ、見目麗しい巫女の姿があった。
「あの、人は……一体……?」
鬱蒼とした竹藪の中、傀儡たちに恐れることなく、月を背にして立つ一人の巫女。そんな彼女の姿に凛は、そして傀儡たちでさえも釘付けになっていた。
――――端的に言えば、彼女は美人だった。
凛の背丈よりも高い長身に纏うのは、紅白の巫女装束。腰まで伸びた青い髪を風に靡かせ、月のように輝く金色の瞳で鋭く睨む彼女は……凛だけじゃない、きっと誰が見ても美人だと言うだろう。傀儡でさえもが、彼女の美貌に見とれていたのではないかと……そんな馬鹿みたいな錯覚を覚えさせるほどに、その巫女は美しかった。
そんな彼女は……巫女だというのに、何故か腰に太刀を差している。
それも、右腰にだ。つまり彼女は巫女であるのに、剣士……しかも珍しい、左利きの剣士だった。
――――勇者。
見つめる凛の瞳には、太刀を帯びたその美しい巫女の姿が……絶体絶命の危機に颯爽と現れた、まさに勇者のように映っていた。
「これ以上の狼藉は、私が許しません!」
凛や傀儡たちが見つめる中、巫女はそう言って腰の太刀にそっと左手を掛けて。
「
雄叫びとともにザンッと太刀を抜き放てば、神速の抜刀術で以て刃に空を切らせた。
すると……どういうことだろうか。空振ったはずの刃から、真っ青な焔の刃が放たれたではないか。
三日月型のそれは、まさに焔刃というものだろう。彼女が空を切らせた太刀より放ったその焔刃は、そのまま音よりも早く飛翔すると……たった一太刀で以て、凛を追っていた全ての傀儡をバッサリと両断し、その青の焔で以て焼き払ってしまった。
「ググ、オオオオ――――ッ!?」
焔刃に灼かれた傀儡たちが上げる、断末魔の叫び声が木霊する中。凛はその光景を……地に這いつくばった格好のまま、ただ呆然と見つめていた。
「ふぅ……っ!」
巫女は傀儡たちが燃え尽きたのを見て、そっと太刀を鞘に納めて。巫女は這いつくばる凛の傍に駆け寄ると。
「……もう、大丈夫ですよ」
と、しゃがみ込んだ彼女は凛の顔を覗きながら、そっと声を掛けてくる。
――――上弦の月を背にしながら、もう心配要らないと微笑む、見目麗しい巫女。
そんな彼女の、微笑む顔を目の当たりにした途端。凛の中で今まで張りつめていた緊張の糸が、ぷっつりと途切れる音がして。
「よか、った…………」
そして――――そのまま、凛は意識を手放してしまう。
「あっ!?」
力なく倒れる凛をサッと支えながら、巫女は気を失った彼の様子を見る。
どうやら、息はあるらしい。着物も袴もすっかり汚れてしまっていて、細かい傷も目立つが……しかし、
よく見ると、どうやら武家の少年らしい。気品のある中性的な顔立ちといい、腰に差した大小の刀といい……身なりも雰囲気も、明らかに武家のそれだ。
「ただならぬ気配を感じて来てみれば……この子は、一体……?」
巫女は独り呟いていたが、しかし当人たる凛が気を失っている今、その答えを導き出すことは叶わない。
だが、ひとつだけ分かることはある。この少年が……鷲尾凛が、確かにあの傀儡たちに
「不思議ですね……この子からは強い力を感じます。とても、とても強くて……暖かい、力を……」
この少年は、一体どこの誰なのか。どうして彼のような少年が、傀儡なぞに追われなければならなかったのか。
理由は分からない。だが巫女はこの少年から、強くて暖かい力を感じていた。ある意味では自分と同質の、とても強くて……優しい力を。
それと同時に……彼女は強く感じていた。音もなく迫り来る、不穏の気配を…………。
「…………何かの、予兆でなければよいのですが」
凛の身体を抱き抱えながら、巫女は頭上の月をそっと、憂いの瞳で見上げる。
吹き抜ける夜風が、生い茂る青竹をさあっと揺らす中……淡い上弦の月夜に、二人は出会った。竜の運命に導かれた、一人の少年と巫女が…………。
(プロローグ『上弦の月夜に巫女は舞う』了)
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