学校にて その4
フォセカの言葉が頭の中をぐるぐると旋回したまま、少年は翌日を迎えた。
変わらず学校に向かう。空はもうすっかり青色に染まっていた。
夏休みが近いという高揚感のためか、学校には人がすでにいて、雰囲気はいつもより柔らかくて温度があった。あのヴァジとメガネの子に会いませんように、そう強く願いながら少年は教室に入る。
おずおずと教室を見渡すと、いてほしくない姿はなく、いてほしい姿があった。しかも二つ。心を撫で下ろすと、少年はその二人に声をかけようとした。
「…あ、なんちゃらをすれば影ってやつじゃん。おはよー」
「おお! ほんとだ! あれマジなのか!」
ウヴとダルカが振り返り、少年を見てはしゃぐ。
「おはよう…?」
とりあえずカバンを置いて、困惑しながらも彼らの話題に追いつこうとする。
「なんの話、してたの?」
「あー、えーと…それ、の、話」
しどろもどろとウヴが指を差す。その先には白い封筒。
「多分ラブレター!」
陽気な声で言うダルカをギョッとした顔になったウヴと少年が顔を合わせる。
「ま、まだわかんねえから! 中身見てねえから!」
焦るウヴに戸惑いながら、苦笑を浮かべて少年は封筒を手に取った。ひっくり返しても白いまま。
「心当たりある?」
「ある?」
しゃがんで聞いてくる二人に少年は、ないよ、と首を横に振った。
「ホントに?」
「本当に」
否定してもなおダルカは聞いてくる。その間に封筒の封を開いた。薄くのりが塗られているようで、ペリペリと音が小さく聞こえた。
「か〜いふ〜う?」
「かーいふーう」
中から出てきた便箋には、綺麗な文字が書かれている。それじゃあ読もうかと少年の後ろからダルカが覗きこんだ。それをすかさずウヴが引っ叩く。
「あがっ」
「勝手に他人の手紙を見ない!」
「気になるじゃ〜ん」
最初に見えた言葉の衝撃を和らげてくれる二人のやりとりに笑いながら、少年は手紙を読み進めていく。
『ニゲラより
急にごめんね。話したいことがあるんだ。だから、今日の昼休み、グラウンドにあるベンチに来て欲しい。嫌ならいいんだ。君に決めて欲しからさ。
ノラへ』
短い、非常に短い、簡潔な手紙。
(これは確かに、ニゲラの文、な気がする)
手早く便箋を封筒に戻して、とりあえずバッグに突っ込む。
「なんて書いてあった?」
「あー…呼び出し、みたいな」
「やっぱり告白! あがっ」
目を輝かせるダルカをまたウヴは引っ叩いた。
「ウヴはなんでそんなにダルカに厳しいの?」
笑いながら席に座って、少年はウヴにきいてみる。そーだそーだ! と少年の後ろに隠れたダルカが声をあげる。
「なんというか、こう、今までずっとお前がモテることをネタにしてきたじゃん?」
「そうだね」
「だね」
気まずそうに目線を泳がせながら話すウヴに少年とダルカは首を傾げながら頷いた。
「だけどマジでお前に恋人とかできたら、もともとすげーお前がもっと別の世界にいく感じがして」
「要するに嫉妬だ」
「そうなるよな」
なんともいえない表情になったウヴを見て、ダルカと少年は顔を見合わせて笑った。
「大丈夫だって。僕は恋愛に興味ないから」
「そうそう! どっかの誰かよりオレらと馬鹿やってる方が楽しい!」
「…そうだよな! そっちの方が俺も楽しい!」
ウヴは吹っ切れて、いつもの眩しい笑顔になる。
「お、なんだなんだ、俺抜きで楽しそうなことしてんじゃん」
スマホを片手にイードゥがウヴの後ろから顔を出す。遅刻寸前の登校時間だ。
「イードゥおっはよー」
「おはよ〜って近っ⁉︎」
振り向いたウヴが叫び声をあげる。粘液つくぞ! と二歩ほど後ろに下がった。
「ま、ついたって平気っしょ」
肩をすくめてイードゥは調子に乗る。
「平気だけどかなり長い間こびりつくぞ。服にも物にも」
「やっぱ離れとこ」
「いうと思ったよ‼︎」
五歩も離れたイードゥに三人とも笑う。その瞬間に授業開始の鐘が鳴る。
「授業忘れてたっ」
「ヤッベ」
「はいセーフ。鳴ってる途中だからセーフ」
先生がため息をついて、少年が笑った。
◆
三時間目のメイカ語が終わり、次は化学だ移動だとクラスメイトたちは教室から出ていく。
「ダルカ〜移動だよ〜」
退屈で居眠りをしているダルカを揺さぶる少年に、イードゥが話しかけた。
「そういえば結局、今朝なんの話してたんだ?」
「ん? あぁ、僕の机に手紙が置かれててさ、それで話してたんだ」
「ラブレター?」
「同じ会話したし、ラブレターじゃない」
「内容は呼び出しだったけどね」
ダルカが顔を上げて水をさす。せっかくはぐらかせたのに、と少年は困ったような笑みを浮かべた。
「いやもうラブレターだろ」
「いや、違う。断言できる」
地に足ついた声で答える少年に、イードゥは「ほんとかぁ?」と疑ったように言う。だが少年を信じたらしく、それ以上は何も踏み込まなかった。
「つか、お前なんで寝たふりしてんだ?」
「あ〜、なんか目が疲れててさ。とりあえず目に優しくしよ〜って思って目閉じてた」
「授業中も?」
「そそ」
へー、と二人は声を合わせて感心する。教室の扉の近くにいるウヴが「移動しねーのー?」と声を掛ける。慌ててダルカは立ち上がり、イードゥと少年は早足で教室を出る。
「ちょ、ちょっと待つくらいしてくれねーの⁉︎」
矢継ぎ早に教室を出ていく友人たちにダルカは叫ぶ。三人の笑い声が廊下に響いた。その後を追ってダルカも飛び出す。四人とも急いで、でも笑いながら廊下を走っていって、理科室を目指した。
「あっ、ちょっ、俺足遅いの知ってんだろ」
なるべく早く理科室に着こうと走る四人だが、ウヴが遅れをとってしまう。
「知ってるけど、遅刻はしたくない」
「どうかーん」
少年に共感してダルカが頷く。その横でイードゥも「同じく」と共感した。
「無情!」
「じゃあどうすればいいんだよ。もうつくぞ」
呆れ顔でそう言うイードゥに、
「サボりたい」
とウヴは返答する。
「授業にはちゃんと出席しましょう」
「ほんっと真面目!」
少年の発言とともに、彼ら四人組は理科室のドアの前に到着し、急いでドアを開けてなだれ込むように教室に入った。すでに座っているクラスメイトたちが一斉に彼らを見る。少年だけは苦笑した。
「あっやばいやばい。あと三十秒で鳴る!」
壁にかけてある時計を見て、ウヴが言う。焦りすぎたダルカがずっこけた。
「まっっっじで⁉︎」
「よし、諦めよ〜」
「はい行くよ」
立ち上がるダルカに手を貸しつつ、少年は驚きに驚いているイードゥの背中を押す。前の方で見事に空いている席が五つ六つほど。横並び一列になっているそこに着席する。
「ふ〜、セーフ」
腕を伸ばしながらダルカは息を吐いて背もたれに体を預ける。隣にいる少年はあのねぇ、と言って、でも笑うだけだ。
ジリリリリと鐘がなって、授業が始まった。さっそくダルカが机に突っ伏した。あまりにも早いその動きに、イードゥが吹き出す。ウヴは笑いを堪えるのに必死だ。だが、三人とも彼がそうする理由を知っているから、起こそうとはしない。実際、ダルカの手はタブレットをいじっている。寝てはいない。ただ、とてつもなくだらしない格好で授業を受けているだけだ。
「フォンダは寝て…?」
「寝てないで〜す。目が疲れてるだけで〜す」
先生に呼ばれたダルカが、体勢を変えることなく答える。その追い討ちに耐えることができず、ウヴは腹を抱えて笑い出した。
クラス中から呆れた視線と小さな笑いが送られる。後頭部に当たるそれの流星群に少年は気まずい思いをしながらも、心の中では笑っていた。
「あー、まあいいか。授業はきけよー」
「へ〜い」
やっと授業が始まる、と少年はタブレットに目を向けた。ウヴとイードゥも笑いがおさまったようで、先生の方に目を向けた。
後ろの方から、聞き覚えのある笑い声が、小さく聞こえたような気がした。
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