厄介者王子と落ちこぼれ魔法使い

ブッカー

第1話 厄介者王子

––––俺はこの城の厄介者だ。


山と積まれた書類を前に、俺はこっそりとため息を吐く。


「おはようございます、ローグ殿下。これは目を通していただく書類です。それから、こちらは返事が必要な手紙と決済が必要な書類」

「……多いな」

「まだあります。こちらはワンド殿下から頼まれている仕事のリストと資料です」


執務室の大きな机に、さらに書類が積まれて今にも崩れそうだ。


「仕事をする場所も無くなりそうだな」


苦笑いをしてそういうと、書類を持ってきた官僚は申し訳なさそうに小声で「すいません……」と言った。


「謝らなくていいよ。とりあえず急ぎのものから片付けるか……」


俺はそう言って書類を手に取った。

官僚はお辞儀をすると、そそくさと部屋を出ていった。


「はぁ……終わるのか?これ……」


もう一度ため息をついて、書類に目を通す。一気に全部処理するのは無理そうだ。

急ぎの物や重要な物をまず振り分けてから、片づけた方がいいだろう。

しかし、そうやって取り掛かろうとした時、ドアがノックされ誰かが入ってきた。


「すいません。ローグ殿下すぐに来てもらえませんか」


使用人を取り仕切る侍従長だ。少し焦った顔をしている。


「何があった?」

「王妃様が……」


濁すように言ったが、それだけで何があったのかわかった。俺は、何度目かわからないため息を吐いて立ち上がった。


「王妃様は今どこに?」

「お食事中で……」

「わかった」


俺はこのせいで、どれだけ仕事が遅れるのか頭の計算する。ただでさえ遅れているのに、さらに遅れるのは確定だ。頭が痛い。

大きな広間に大きなテーブル、そこには美しくセッティングされた食器や花瓶が並んでいる。

突然、ヒステリックな女の声が響き渡った。


「遅い!いつまで待たせるの!?本当に使えないわね!」


そこにいたのはこの国、ヤクナム国の第五代目国王アロイスの妻であり、王妃のミスティルテインがいた。

王妃は憎しみの籠った表情でこちらを睨みつけている。

いつもの事でもう慣れてしまったが、それでも気持ちのいい物ではない。


「申し訳ありません……どうかされました?」

「どうしたじゃないわよ!この使用人がスープをこぼしたのよ!あなたは使用人の管理もしてるんでしょう?どういう教育をしているの!」

「スープ?」


よく見るとテーブルにスープがこぼれていた。そしてその傍らには顔を真っ青にして縮こまったメイドがいる。どうやら何か失敗してしまったらしい。

ただ、見る限り数滴スープがこぼれた程度の失敗のようだ。


「そうでしたか。お怪我はありませんでしたか?」

「そうでしたかじゃないわよ!私を馬鹿にしているの?」


勿論、ここは王宮で国を治める場所だ。重要な場所で失敗や間違いは起こってはいけない、それは使用人にも求められる。

こんなことは起こらない方がいい。

とは言え、国を治める立場の人間がどうしてそんなことでそんな元気に喚けるのかわからない。

心の中でまたため息を吐く。

確かに、侮られてはいけないからある程度厳しくはしなければならないのかもしれないが……。

ここに集められた使用人は優秀な者ばかりだ、こんな失敗をする者はほとんどいない。

おおかた王妃がわざと手をぶつけるかなにかしてこぼさせたのだろう。


……いつもの手だ。


「申し訳ありません、そんなつもりは……」


とりあえず俺は、しおらしい表情をして謝る。

しかし、王妃はそれで納得しなかったようだ。またヒステリックに怒鳴りだした。うんざりしながら黙ってそれを聞く。

なにか言い返しても余計怒りが増すのだ。それは、経験で分かっていた。


「……これだから生まれの卑しい人間は……」


その言葉に思わず眉を顰める。何度も言われているが慣れない。


俺の不幸は生まれた時から始まっていた。

始まりはスキャンダルだった。

よくある話ではあるが、この国の王、アロイスが避暑地にある屋敷で、使用人に手を出した。

しかも、悪いことに子供も出来てしまった。


それが俺だ。


このスキャンダルを知った王妃は怒り、一時期王宮は大混乱だったらしい。俺を産んだ母は一応貴族の出ではあるものの、下級の貴族でほとんど平民と変わりないような立場の人間だった。

母はその後、罰せられ遠くの土地に送られたそうだ。

俺はというと、生まれてしまったものはしょうがないと城に残された。

王族の血を受け継いでいるのだ、簡単に放り出すことも出来ず、微妙な立場のままここまできた。


「聞いているの!」


頭を下げたままそんな事を考えていたら、王妃がまた怒鳴った。

一国の王妃がこんな大声で怒鳴るなんて品性にかける行為をして、そちらの方が問題じゃないのかと心の中で思ったが、口に出せないので黙っていた。

周りを見ても王妃という立場に誰も何も言えない。使用人も執務室長も怯えて俯くだけ。

その時、クスクスと笑い声が聞こえた。

その声の持ち主は王妃の向かいに座っている男だ。起きて間もないのか、ガウンのままでだらしない恰好の男、この男は一応俺の弟、アレフだ。

血は半分しか繋がっていない。アレフは王と王妃の息子で正当な血を受け継ぐ後継者の一人だ。

俺は聞こえなかった振りをしてもう一度、王妃に頭を下げる。


「申し訳ございません」

「っ……しらじらしい!」


王妃はそう言って手元にあったワインを俺にぶちまける。

ぽたぽたと赤い液体が床にしずくとなって落ちた。

アレフはそれを見てニヤニヤしながら見ている。アレフは王族とは思えないだらしない恰好でマナーも守っていない。

それでも母親の王妃はアレフになにも言わない。アレフは生まれた時からそうやって育った。


「母上どうされたんですか?」


その時、広間に誰かがやってきた。


「あら、ワンド聞いてよ。この厄介者が……」


入って来たのはこの国の第一王子、そして兄のワンドだ。ワンドも王妃と王の間で生まれ、この国の王位後継者第一位の王子でもある。


「またですか……」


ワンドは眉を顰めて俺を見た。そしてため息をつく。また気持ちが暗く沈む。

どこかに移動中なのか、第一王子の周りには沢山の官僚が付き従っている。


「そうなのよ!だから、ワンドからも言って……」

「わかりました、後から言っておきます」

「それから……」


王妃がそう言おうとしたところで、ワンドが遮るように言った。


「それよりローグには仕事をしてもらわないといけないので、もういいですか?」


ワンドはそう言って俺をギロリと睨んだ。今度はなんだか胃が痛くなってきた。


「……まあ、いいわ。役に立たないなりに働いて貰わないとね」


王妃は勢いが削がれたのか微妙な顔をしたが、最後に嫌味を言って満足そうな顔をした。

俺はワンドの後を気まずい気持ちで付いて行く。


「兄上、申し訳ありませんでした」

「……全く、困ったものだ……」


ワンドはため息をつきながら眉を顰める。そうして、俺をちらりとこちら見て何かいおうとしたが止めて、また歩き出した。俺はかけられたワインを拭きながら追いかける。


「……そう言えば、頼みたい仕事ってなんですか?」


おれは沈黙が辛くて聞いた。


「……それは、あとで言う。だまってついて来い」


空気を軽くしようと言ってみたものの、そう返され沈黙が降りる。

今、現国王であるアロイスは病気で伏せっている。

だから兄のワンドは、王の代わりに執務も行っているのだ。兄は昔から優秀でその役目をそつなくこなしている。むしろ、以前より国は安定していると言われているくらい執政にも優れていて実質王といっても変わりない。

しかも最近は威厳も身に着け、ローグには絶対に逆らえない人でもあった。


「はい……」


仕方がないので俺は黙ってついて歩く。

チラリと兄を見る。

兄はいつも寡黙だ。そしてだいたい今日みたいに眉を顰めていて、鉄仮面のように表情が動かない。

正直とっつきにくく、王妃とは違う意味で苦手だ。威厳があるといえばその通りだが、一緒にいると息が詰まりそうになる。

しかし、兄は誰にでもこんな態度だし、笑ったり嫌味なことは言わないのでまだましだ。

それに、兄がいるおかげで俺の被害もこれくらいで済んでいる。

俺は男だ。しかも、王族の血が入っている。もし兄がいなくて俺が長男だったら、継承問題でもっとややこしい立場になっていただろう。

このまま兄が王になったら、俺の微妙な立場ももう少しましになるだろうし、兄は俺が仕事をしていれば何も言わない。


「頼みたい仕事だが……」


兄の執務室に辿り着くと、早速ワンドはそう言って書類の山から数枚の書類を取り出しながら説明し始める。


「妖魔ですか……」


ワンドが言うには王都の外れで妖魔が出現し、人が襲われたらしい。

妖魔とは元は何の害もない妖精が、何かのきっかけで暴走したものだ。暴走すると殺さないかぎり止まらない。


「そうだ、本格的な被害は出てはいないが……」


そう言って書類を俺に差し出す。そして、さらに付け加えた。


「今のうちに対処しておかないといけない。お前も分かっているだろう。軍と一緒に討伐に出てくれ」

「分かりました。……しかし、わざわざ俺が行かなくてもいいのではないですか?他にも仕事があるんですが……」


兄はとても優秀な人だ。

しかし、俺はというと平凡でなにも取り柄もない。執務をこなすのがやっと、その上武術もあまりぱっとしない。

魔力でもあれば魔法使いにでもなれたのだろうが、そっちの才能もない。

そんな俺が妖魔退治に行く意味はない、むしろ足手まといになりかねない。


「近々、戴冠の儀があるだろう。そのイベントには国中から人が来る」

「あ、そうでしたね」


そう、近々兄は正式に王を就任する。理由は、現王がこの先まともに執政が出来そうにないからだ。前例はないがこのまま代理という形で執務をするのは対外的にもいいことがない。

反対する者もいなかったので、近く兄は王位につくことになったのだ。

ただ、その戴冠式が近いので仕事が山もりになっていたりするのだが……。


「その事を考えると討伐を早めるのは重要なんだ。向かうのは明日だから、急ぎの仕事以外は後に回していい」

「急ぐのは分かります。何があってからでは遅いですし、何か起こってしまえば印象は最悪ですから……」


これは王宮のメンツにも関わる話だ。だから討伐を優先するのは当然だ。

しかし、それなら余計に俺が行っても邪魔になるだけだ。俺はそこまで剣術も乗馬も得意じゃないし魔法も使えない。しかも一応地位は高いから、無駄に護衛が必要になる。

足手まといも甚だしいのだ。


「王族がいることが重要なのだ。市民に国の安全を国は考えているんだとアピールできる。そのために行って欲しいんだ」


どうやら、一応でも王族の血が入っている俺がいることが重要らしい。

王宮では血が入っていることで邪魔者扱いするくせに、こういう時は都合よく使うんだなと心の中でため息をつく。

そうは思ってもそれを口には出すことはない。


「……分かりました。出発は明日でいいんですね」


もう、反論する理由もなくなった。諦め半分に言う。


「ああ……討伐部隊の準備はこちらでしておく、お前は付いていくだけでいい」


兄は素っ気なくそう言ったあと早速、仕事を再開させた。その目線がこちらに向くことはない。

俺はもう用がないと判断して、執務室を出た。


「はあ、どの仕事から片づけるか考え直さないとな……」


部屋にもどりながら、頭の中で狂った予定を組み直す。急ぎの仕事だけすればいいと言っていたが仕事自体が無くなるわけではない、山ほどあった仕事に新たな仕事がねじ込まれただけだ。

しかも、俺は付いて行くだけであまり意味がない仕事。その時間を仕事に当てられれば良かったのにと思う。


「せめて、出来るだけ終わらせてから行くしかないか……」


部屋に戻ると、早速今日中に出来そうな仕事を選り分け、とりかかる。

兄が来たので王妃から解放されたが、結局仕事が増えてしまった。

しかし、悩んでも仕方がない。こんなに強引にねじ込んだのだから多少遅れても文句は言われないだろう。

そう思って気合いを入れて俺は仕事を片づけ始めた。


そうして、時間が経ち夜もふけり、城中が静まりかえった頃――


静かな部屋でノックの音が響いた。

顔を上げると、薄暗くなった部屋で灯りが揺れる。

仕事に集中していたら、随分時間が経っていたのに気が付かなかったようだ。もうすぐランプの灯りが消えそうだ。

使用人に言って取り換えさせないと。

思わずため息が漏れる。

朝から取り掛かっていた仕事は、当然のようにまだ終わっていない。


「入れ……」

「失礼します。王がお呼びです」


入って来たのは王の従者だった。深くローブをかぶり表情は分からない。


「…………わかった」


そう答えると、俺はもう一度深くため息を吐いて立ち上がった。

暗く誰もいない廊下を歩く。カツカツと足音だけが響きうるさく感じる。


「王のお加減は?」


何気なく聞く。王は何年も病に伏せっていて、人前にも出ていない。ずっと部屋に籠りきりだ。


「……今日は、食事もされて随分、良いようです」

「……そうか」


そうこうしているうちに王の部屋についた。扉の前で俺はまたため息を吐く。

気が重い。

重い扉を押して開く。従者はお辞儀をして扉の外に下がる。

俺は一人で部屋に入った。

部屋の中は薄暗く、明かりがベッドの側に瞬いている。

ベッドには白髪の老人。この国の王だ。ずっとベッドで伏せっていたせいかやせ細り小さく見える。

王としての威厳は豪華なベッドに埋もれてどこにも見えない。


「陛下、お加減はいかがですか」

「おお、リリアス来たか……近くに来てくれ」


ベッドに近づき声を掛けるとそう言った。

王の目は虚ろだ。

因みにリリアスとは、俺の母親の名前だ。


王はよろよろと上半身を起こすと、俺の手を握って引き寄せた。思わず鳥肌が立って振りほどきたくなったがそんな事をするわけにはいかない。

王は俺の手を愛おしそうに撫でまわす。どう見ても男のゴツゴツした手なのに何故気が付かないのか分からないが、それは止まる気配もない。


「陛下……」

「陛下などと堅苦しい……二人きりの時はアロイスと呼んでくれと言っただろう」


そう言いながら王は相変わらず手を撫でる。

王がこんな風になったのは俺の母が死んでからだ。

正確に言うと最初はそうでは無かった、少しずつおかしくなったのだ。

俺の母と王は立場の違いがあったが相当愛し合っていたようだ。しかし、俺が生まれ、それが王妃にばれて引き離されてしまった。

母は地方の修道院に送られ、数年で病気で死んだらしい。

王も当然それは知っているはずだ。それに加えて王妃のあの苛烈な性格のことも相まって心が疲弊してしまったのだろう。

年とともにおかしくなり、いつからか夜になると、俺を呼び出すようになった。

どうやら俺は母によく似ているらしい。

虚ろな目で母の名前を呼び、恋人のように扱うようになったのだ。

俺に王の命令に逆らう力はなかった。

ただ命令されるまま従うしかない。

しかも、これのおかげで王妃の憎しみがさらに増して、俺に向かったのは言うまでもない。


「そうだ、覚えているか。避暑地で過ごした日を。控えの者も下がらせて二人っきりで……あれは楽しかったな。最近体調がいいし、また二人で過ごそう」


王は嬉しそうにそう言った。この話は何度目だろう。俺はそれに適当な言葉を返す。

皺のある生暖かい手が腕を撫でまわす。

気持ち悪くて鳥肌が立つ。

仮にも父親にこんな事を言われるなんて、おぞましい以外のなにものでもない。


「陛下……っお体に触ります。おやすみになられた方が」


老人に似つかわしくない力で引き寄せられそうになり、俺は慌ててベッドで横になるように促した。


「大丈夫だ。わしはまだそんなに疲れてはおらんよ……そうだ、覚えているか。避暑地で過ごした日を……」


王は少しぼんやりした後、またさっきした話をもう一度話し始める。

部屋にはすえたような匂いと、それを消すためなのか強い匂いのお香が焚かれていて頭が痛くなりそうだ。

濁って白くなった虚ろな目がこちらを見ている。おそらくその目は、なにも見えていないだろう。

王の話は終わりそうにない。

ねっとりとした闇が俺にまとわり付いているように感じる。


俺が解放されたのはそれからしばらくかかった。やっと自分の部屋に帰り、残っていた仕事を再開しようとした時には空が白んできていた。

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