恋約指輪

月之影心

恋約指輪

 県外の大学に行っていたあらたは、就職先の内定者懇親会の為に地元に戻っていた。

 前日に懇親会を終えて、今日一日のんびりしてからまた大学に戻る予定だ。

 その一日を使って、隣の家に住んでいる幼馴染のゆいと久し振りに街に出ていた。

 刺す程ではないけれど、肌を撫でる風が冷たく感じるようになってきた12月初旬の街には、所々でイルミネーションの準備が進められている。


「夜見るとあんなに綺麗なのに、昼間見ると興醒めよね。」


「そうだな。」


 忙しく行き来するスーツ姿の人や、荷物を宅配している配送業者の人が目の前を通り過ぎて行くのを眺めながら、新と結はただその景色を眺めていた。


「ねぇママ、あの大きなタイヤの椅子ってなぁに?」


「こらっ!指差すんじゃありません!」


 何処かの野球チームの帽子を被った半ズボンの男の子が、二人の方を指差してそう言うのと同時に、その母親らしき女性が男の子を窘める。


「行こ……」


「うん。」


 新は幼馴染の座っている車椅子のロックを外し、少しだけ反動を付けて車椅子を前に押し出した。

 タイヤと地面が擦れる『キュッ』という音がして車椅子の向きが変わり、静かにその場を離れて行った。



 結は、高校3年の時に脊椎の病気で下半身の自由を失ってしまった。

 人生が終わったように嘆く結を元気付ける為に、新は入院中は毎日のように見舞いに行ったし、家に帰って来てからもほぼ毎日家に顔を出しに行っていた。

 その甲斐あってかどうかは分からないけど、次第に結も生きる為に何かしようという気になってくれて、結の両親も随分と新には感謝をしていた。


 新は、高校を卒業しても結を元気付け続けられればと地元の大学も受験したが敢え無く惨敗。

 辛うじて隣県の車で片道2時間程の大学に合格し、結には『休みには必ず帰って来るから』と言って地元を離れていた。

 その約束はずっと守っていて、その事は結も喜んでくれているようだ。



「ごめんね……」


「ん?何が?」


「さっき……」


 子供に脚が不自由な事を指差されて気分を害していた事を言っているのだろう。


「あぁ、うん、気にしないでいいよ。それより寒くない?」


「大丈夫。」


 新は車椅子を押しながら、結の肩に掛けてあるショールが捲れているのを直した。


「もうすぐクリスマスだね。」


「そうだな。」


「ねぇ新、今年のクリスマスはどうするの?」


「ちょうどイヴの日から冬休みに入るんで帰って来るよ。」


 結は首を後ろに回して新の顔を斜めに見上げてきた。

 その顔は少し不安そうな表情が浮かんでいた。


「どうした?」


「ううん……」


「気になる事があるなら遠慮なく言ってくれよな。」


 結は顔を正面に戻し、少し俯いていた。


「新……」


「ん?」


 再び結が振り返って新の顔を見上げた。

 少し無理をしたような笑顔で。


「新もそろそろクリスマスを一緒に過ごせる彼女作らないと乗り遅れちゃいそうだよね。」


「え……?」


 振り返った結の肩が小さく震えていた。

 唇も震えている。


「いつまでも私みたいなの相手にしてたら、彼女作る暇なんか無いでしょ?大学に誘える女の子とか居るなら、今年は帰らない方がいいんじゃない?」


 新は真っ直ぐに結の目を見詰めながら、結の吐き出す言葉を聞いていた。

 その新の目を、焦点の合っていないような目で、結がじっと見返している。


「そうして欲しいの?」


 出来るだけ静かに、出来るだけゆっくり、新が結に尋ねた。


「そういう訊き方は……ズルいと思う……」


「ごめん。」


「それに……質問してるのは私。質問に質問で返しちゃダメなんだよ?」


「そうだったな。」


 結は顔をゆっくりと前に戻しながら言った。


「可愛い彼女作って……人生初の……恋人とのクリスマスを楽しんでおいでよ……」


 新は結の少し赤味のあるサラサラのショートボブを眺めながら小さく息を吐いた。

 相変わらず、結の肩が小さく震えている。


「確かに、彼女とのクリスマス……いいね。」


 結の肩がぴくっと動いて固まる。


「でも、さすがに今からじゃ何か下心見え見えな気がして上手くいかない未来しか見えないんだけど。」


「彼氏が居なくて……新からの告白が嬉しいと思う子だったら……お互い様なんじゃない?」


「ふむ……そういう考え方もあるのか。」


 駅前から暫く歩いた線路沿いにある公園の前で、新は結の車椅子を停めた。

 何でもない公園の前で車椅子を停められた結だったが、顔は正面を向いたまま微動だにしていない。

 新は結の背後で車椅子のハンドルから手を離して小さく溜息を吐くと、ブルゾンのポケットに手を突っ込み、車椅子の前に回り込んで結の正面に立った。


「新?」


「はぁ……」


 新が少しはにかんだような顔をしながら周囲に視線を泳がせる。

 結は不安そうな顔で新の顔を見上げている。


「もうちょっと後のつもりだったんだけどな。」


「何が……?」


 新はポケットから手を出しながら、結の正面に片膝を付いてしゃがんだ。

 新が両手で包んだ手を結の膝の上に差し出す。

 開かれた手の中に、オフホワイトの小さなホタテ貝の形をしたプラスチックっぽいケース。

 両手を添えてぱかっと開けると、小さなハートがいくつか並んで付けられたシルバーのリングがちょこんと乗っている。


「え?」


 リングに注がれていた結の視線がゆっくりと新の方に向けられる。

 新は意を決したように引き締めた顔で結衣の視線を受け止めている。


「結、僕は結の事が好きだ。僕と、付き合う事考えてくれないか?」


「新……ん?」


 一瞬明るくなりかけた結の頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。


「付き合う事を考える?どういう事?」


「どういう事と言われても言葉通りなんだけど。」


 結が首を傾げる。

 『付き合ってくれ』なら分かる。

 『付き合う事を”考えてくれ”』……随分遠回しな言い方のような気もする。


「よく分からない。」


「本当ならクリスマスに帰って来た時に言うつもりだったんだ。『付き合ってくれ』って。」


「うん。」


「でもさっきの結の言い方からして、いい返事はもらえないんじゃないかと。だったら、付き合ってもいいかどうか考える時間があった方がいいと思ったんだよ。」


「考える時間?」


「そう。今からクリスマスまでの間、僕と付き合ってもいいと思うかどうか、考えて欲しいんだ。」


 結は膝の上で握られた両手にきゅっと力を入れていた。


「私も新の事は大好き……でも……私はこんな体だから……新に苦労ばかり掛けてしまう……」


「まぁそうなるだろうけど、僕はそんな事も全部含めて結と付き合いたいと思ってるんだ。だから考えて欲しいって言ったんだよ。」


 新はホタテ貝のケースの中からシルバーのリングを指で摘まんで取り出すと、結の左手を取ってその薬指にリングを通した。

 ちょっと緩い感じもしたがキツくて入らないよりはいいだろう。


「結に、僕と付き合う事へのわだかまりがある間は付けておいて。それは、結がそんなわだかまりも含めて僕と付き合ってもいいって思ってくれるまでの『恋約指輪』だから。」


 結は左の薬指で輝くリングをじっと見詰めていたが、やがてゆっくり顔を上げて新の目を見ながら柔らかい笑顔で小さく頷いた。







 新がゆっくりと結の車椅子を押している。

 車椅子で体を揺らす結は左手の指輪をじっと見詰めている。


「ところで『恋約指輪』って何?」


「結婚を約束する時に渡すのが『婚約指輪』だろ?だったら恋人になる事を約束する時に渡すのは『恋約指輪』じゃないか。」


「そんなのあったのね。」


「いや、僕が勝手に思い付いて作っただけ。」


「作っちゃたんだ。」


「まぁ、意味合い的には『恋人の仮予約』的な感じかな。だけど、よくよく考えたらリスクしか無いな。」


「リスク?」


「だって『婚約指輪』はもうすぐ結婚するってほぼ確定している相手に渡すだろ?」


「うん。」


「恋人にすらなってない相手に指輪渡すって、下手したら危ない奴認定され兼ねないじゃないか。指輪って何か重たいイメージあるし。」


「あ~……そんなに仲がいいわけじゃない人から贈られたらそう思うかも。でも仲のいい相手なら……ん~……それでも相手によるかな。」


「僕は危ない人認定されずに済んだんだ。」


「何年付き合いがあると思ってるのよ。」


「そだな。」


 傾いた夕陽が、二人の影を道路に長く伸ばしている。

 紅く染まった新と結の顔は、夕陽のせいだけではなさそうだ。







 結が左手の薬指に光る指輪を愛おしそうに右手の指で撫でている。

 少し前に流行ったデザインだったような気もしつつ。


「ねぇ、これっていつも持ち歩いてたの?」


「うん。結と会う時はいつも持ってたよ。」


「いつから?」


「高3の2学期頃かな。」


「そんな前から持ってたんだ。」


「うん。いつでも告白出来るようにと思って。」


「そうなんだ。」


「まぁ、今日のは告白とはちょっと違っちゃったけど。」


「ん?」


「どうした?」


「あ、ううん……ちょっと勘違いしただけ……」


「勘違い?何を?」


「な、何でもない……何でもないから……」


「そう?気になる事あるなら何でも言うんだぞ。」


「あ、ありがと……」


 自分が正式に返事をしたわけじゃないのに、左手に光る指輪を眺めている内に、すっかり新の恋人になったと思い込んでしまっていた結であった。







 結の左手の薬指に通された『恋約指輪』はやがて『婚約指輪』となり、その後新と結の二人の指に『結婚指輪』が着けられるのはもう少し先のお話。

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