第5話

 

 あの日、間抜け面4人衆にこの世界の服を着せてから、1か月が過ぎた。

 そう、なんともう1か月も経ってしまったのだ。


「おい蘭。流石に靴が1足だけはないだろう。そろそろ俺たちも買い出しに行けないか」


 そう言ってトラヴィスは、相変わらずの仏頂面で文句を言う。

 今は髪を真っ黒に染め、あの目に痛い色合いは鳴りを潜めている。

 と言っても、顔立ちが華やかすぎて派手なのは変わらないが。

 家の中では付けていないけれど、外に出る時は黒いカラコンをしているため、全く別人に見える。


 王子の持つ銀髪金眼は、フロース王国の王になる資質の証なのだ。

 だからきっと、髪や瞳の色を変えることに抵抗があるだろうと思っていた。



 フロース王国の建国の歴史には、こんな話がある。

 その昔、いくつかの部族が争い混沌としていた時代があった。

 それを嘆いた女神が、善良な心を持つ青年に「お前がこの地を治め、民を導け」と言って祝福を与えたそうだ。

 すると青年の茶色だった髪は眩い銀色に染まり、同じく茶色だった瞳は金に輝いたと言う。

 それ以来、王家には必ず1人だけ、銀髪に金色の瞳を持つ子が生まれる。

 その子こそが国を束ね民を導く資質を持った、王と成るべき者なのだと。


 この話を聞いた時、私は「アホか」と思った。だって現に銀髪に金の瞳を持つトラヴィスは、とんでもない厨二野郎だったから。

 トラヴィスに兄弟はいないけれど、王兄の子ども、つまりトラヴィスの従兄弟は居る。

 王の子どもでなくとも色さえ現れれば、王位はその者に渡される。

 つまり彼は、幸運にも持って生まれた色によって、将来を約束された。

 だから、その色は絶対に変えないだろうと思ったのだ。


 けれど。

「永遠に変わるわけではないのだろう? これまでも身分を隠して城下に出る時は変装していたから平気だ」と、トラヴィスはあっさりと快諾してしまった。

 なんと。この王子様はそれなりの頻度で街にお忍びで出かけていたらしい。

「人々の生活を肌で感じることも、施政者として大切なことだ」そうだ。

 私はびっくりした。

 この王子がそんな心を持ち合わせているなど知らなかった。

 あんなに厨二な理由で私を無視していたから、てっきり自身の義務と権利を履き違えた頭お花畑ボーイだと思っていたのに……。

 まぁ、実際はただ街に遊びに出ていた可能性もなくはないが。


 とにかく問題なく髪と目の色を変えたら、元の色の時はザ・王子という風貌だったけれど、今はどことなくミステリアスで、現代の服を着ているともうただのモデル系イケメンになってしまっている。

 オーラが出まくっている。

 まだ近所のスーパーやコンビニくらいでしか外に出ていないためそこまで問題はないが、繁華街に出たらどうなるんだという危険感を感じてしまう。

 スーパーに行くだけで近所の奥様方の視線が集中し、『一体彼らは何……? 芸能人?』『何かの撮影?』と噂になってしまうくらいだ。

 けれど元々注目を集める立場だったためか、本人たちはあまり気にしていないようだ。

 スーパーのように一処に食材や日用品が揃う場所はあっちの世界にはないから、最初は皆んな興味津々で人の視線など気にせず、この世界のことについて質問攻めだった。

 ウォルトなど店員さんにまで声を掛けようとするものだから、押し留めるのに苦労したものだ。




「私もそう考えていました。ある程度この世界のことは分かりましたし、そろそろもっと活動範囲を広げても良いように思います」


 お前そうやらないと喋れないのか? というほど眼鏡の鉉をクイっと人差し指で持ち上げて言うのはウォルトだ。

 何を隠そう、髪の色と髪型を変えるのに反発したのは彼だけだった。

 髪の色を変えることも、長い髪を切ることも嫌がった。

 現代に溶け込むにはそうした方がいいとは思いつつ、カラーリング剤を怪しむと言うよりはどうにも髪自体にこだわりがあるようだったから、それならそのままでもいいと私は言った。

「その髪色は目立ちますし髪の長い男性も珍しいですが、まあ長さだけなら珍しいだけで居ない訳ではないですし、最終的に帽子をかぶってしまえばいいですしね。皆さんが全員髪を隠すほど深く帽子をかぶっていたら目立ちますけど、1人くらいならおかしくないでしょう」

 そう言うと複雑そうにウォルトは目を伏せた。

 ニコラス辺りが「殿下もやっていることだぞ! 何故出来ない!」と怒るかと思いきや、意外にも彼らは何も言わなかった。

 もしかしたら私の知らない何か事情があるのかしら?

 兎にも角にも、そんな訳でウォルトだけ髪はそのまま。

 外に出る時はハットで髪を全部隠し、眼鏡を外して度入りのカラコンを入れている。

 眼鏡までかけているとちょっと怪しいからね。

 視力検査もある程度ネットで測定できるし、度入りでもカラコンは通販で買える。

 便利な世の中だ。

 眼鏡を外し髪を隠していると、案外ウォルトは幼く見える。

 ウォルトはトラヴィスより1歳上なのだけれど、側近として同じ学年になるために一年遅れてアカデミーに入学した。

 なのであの私が婚約破棄された時の卒業パーティーでは、トラヴィスやニコラスと同様卒業生の立場だった訳だ。

 彼はこの中で、私に次いで二番目に年長の19歳。その割に、なんというか意外とベビーフェイス?

 私への辛辣で冷酷な言葉と眼鏡の印象でもっとキツい顔立ちだと思っていたけれど、そうではなかったようだ。




「お前の料理も上手いが、そろそろ俺は肉が食いたいぞ! 肉!!」


 マッチョへの偏見が加速しそうな発言をしているニコラスは、いわゆる赤毛に、瞳は少し元の色を暗くしたような茶色になっている。

 ニコラスの顔立ちも相まって、完全にヨーロッパ系イケメンだ。

 ただのパーカーが胸筋と上腕二頭筋の隆起によってこんなにもセクシーに見えるとは思わなかった。

 元々マッチョは趣味ではなかったけど、悪くないな……、と性癖が変わりそうだ。

 意外なことに、ニコラスは私が作った料理を美味しそうにたくさん食べてくれてありがたい。

 最初こそ「悪女の作った料理など食えるか!」と警戒していたけれど、私が食べて安全だと見せてみると、食欲に負けたのか一口食べ、その後はものすごい勢いで平らげていた。

 なんの変哲もないカレーライスを絶賛され、逆にちょっと微妙な気持ちになってしまったのは内緒だ。

 元々体作りのためにたくさん食べるからか、ニコラスは食事が好きなようだ。

「食べられる料理のレパートリーを増やすためには避けて通れない」と説明したら、箸の使い方も4人の中で一番熱心に練習していた。

 まあ、一番下手だったのだけれど。

 しかし練習の甲斐あって、みんな箸は問題なく使えるようになった。

 彼らをまだ外に出すのは不安で外食はしていなかったけれど、確かに彼らの食欲を考えれば、食べ放題の店なんかに行ってもいいかもしれない。




「僕はあの塔に行ってみたいな。一番上まで登れるんでしょう?」


 キラキラした瞳で私を見つめるシリルは、ブリーチしてかなり明るい髪色をしている。

 自毛が緑なので、ブリーチするとちょっとアッシュっぽいオシャレな感じになった。

 元々肩丈の髪のため、かなり中性的な印象だ。

 しかし何より、この世界にやってきて一番キャラが変わったのが彼だ。

 元々無表情で感情が分かりにくく、可愛らしい見た目に反して冷たい印象だったシリルが、この世界ではかなり柔らかくなり、年相応にはしゃいでいることが多い。

 私に対して何とも言えない微妙な敬語を使っていたけれど、今ではそれもなくなって親しげにタメ語で話している。

 一度「どういう心境の変化?」と聞いたら、「もう感情を殺す必要はないのかなって振り切れた」と言っていた。

 なんと。

 シリルは元から無表情ボーイだったのではなく、わざとそうしていたようだ。

 フロース王国きっての魔導士は、私の知らない色々なしがらみがあったのかもしれない。

 そうだよね、まだ16歳だもん。

 もっとたくさん遊んでアオハルしたかったに違いない。

 そう考えると、もしかしたらシリルはもうちょっとこの世界で羽を伸ばした方がいいのかもしれない。

 私がそう言うと、「そうだね。僕はずっとここで姉さんと暮らしたいな」と言っていた。

「愛しのミシェル嬢と離れていてもいいの?」と聞くと、ひどく不機嫌な顔で「彼女はそんなのじゃない」と言って黙り込んでしまった。


 ?????


 ごめん弟よ。

 姉ちゃんは君の気持ちがいまいちわからない。

 まあでも、とりあえずこの世界の暮らしを気に入ってくれているようで良かったけれど。

 あー。

 なんだかんだ、私も弟には甘いのかも知れない。






 さて、4人からの熱心な説得により、ついに私は決心した。

 彼らを連れて電車に乗って、繁華街まで行くということを!



 と言っても、本当にガチの繁華街に行く勇気はなく、とりあえず前回私が買い物をした押上まで行くことにした。

 シリルはスカイタワーに登りたがっていたしね。

 皆カラコンを装着し、ウォルトはしっかりと帽子を被って、いざ駅へと向かった。



「すごい! この電車ってやつの中はこんな風になってるんだね!」

「線路や駅の整備には時間がかかるが、確かに効率的な移動手段だな」

「確か原動力は電気でしたよね? これだけの人数を乗せた大きな箱を移動させるには、どれだけの力が必要なのでしょう」

「すげぇ! 窓開けていいのかこれ!! 開けていいか!!?」


 私は早くも後悔し始めた。

 電車に乗る前、車内では静かにしなければならないというマナーを教えたから皆小声ではあるのだけれど、もう全身からウキウキワクワク感が出てしまっている。

 もう完全に車内の注目の的だ。

 まぁ外国人観光客も多く利用する電車だから、日本に初めて来てはしゃぐ外国人だと思われていますように……と私は祈った。

 でも切符を買う券売機にも自動改札にもいちいち感動していて、『一体どこの国から……?』と言う不審な目を向けられていたことは言うまでもなかった。



 押上で降り、スカイタワーの麓から見上げる。

 かつてよく見ていた私ですら、久々に見ると息を呑んだのに、彼らが圧倒されないはずがない。

 4人とも声を失い、只管に見上げていた。


「下から見ると……本当にすごいな。まるでダフォルの塔だ」


 トラヴィスが思わずと言うように呟いた。

 ダフォルの塔とは、向こうの世界の神話に登場する天を貫くように高い塔のことだ。

 神を討ち自らが神になろうとした愚かな男、ダフォルが建てたもので、その傲慢さが神の怒りに触れ、彼は塔もろとも雷に打たれたと言われている。

 要は身の程知らずの傲慢さは身を滅ぼすという教訓だ。

 確かにこのスカイタワーを見ると、そういう発想になるのもおかしくない。


「どうやら地上634mくらいでは神の怒りに触れないみたいですね。さあ! 中に入りましょう! まずは上まで登ってみましょうか!」


 私はシリルとトラヴィスの腕を両手で絡め取って、ずんずんと進んだ。

 実を言うと、私はワクワクしていた。

 元々高いところから遠くまで見通すのは気持ち良くて好きだし、スカイタワーに登るのは17年ぶりだ。

 いや、もう20年以上は登っていないかもしれない。

 近所だと逆に登らないよね。


 お金は高くなるけど、どうせならと一番高い所まで行けるチケットを5人分買う。

 自動券売機で購入していると、「これは電車に乗る時にもやったのと同じやつか?」「指で触れるだけで画面が変わるのはスマホと同じなんだね」「ええ、原理は同じなのでしょうか」「確かにこのダフォルの塔なら金を払っても登りたくなるな!」とやいのやいのしていて、隣のチケットカウンターのお姉さんに注目されてしまった。

 あ、でもお姉さんの顔が少し赤いから、イケメン集団を目で追っているだけかもしれない。


 出発ゲートを通りながら軽く原理を説明してエレベーターに向かうと「本当に落ちないでしょうね!? 紐で吊った箱に乗るなんて、正気じゃありません!!」と後退りするウォルトをニコラスに抱えて運んでもらった。

 冷静沈着キャラはどこに置いてきたのだろう……。

 どうやらウォルトは怖がりだったみたいだ。

 壁に張り付いて顔を引き攣らせているウォルトを除き、他の3人はエレベーター内の幻想的な音と映像に興味津々の様子だ。

 観光客向けだけあってエレベーターまで凝ってるよね。

 でもあまりの興奮具合(とウォルトの怯え具合)に、同乗している人たちがすごい引いてるからやめて欲しい。

 マナーを守って小さな声なはずなのに、全身から滲み出る興奮がウザイ。

 私がはぁと一つ溜息を吐くと、ちょうどエレベーターが到着し、扉が開いた。


 まぁ、その後の展開は予想通り。

 彼らは興奮に興奮を重ねてはしゃぎ回り、床がガラスになっている場所での記念撮影まできっちりやって堪能した。

 小学生の子どもですらここまで満喫しないのではないかしら……。



 けれどトラヴィスが最後、遠くを見つめたまま静かにしているのが気になって、声を掛けた。

 もしかしてホームシック? と思い放っておこうかと思ったけど、何となく、私に何か言いたそうに見えたのだ。


「……お前は、この国で育ったのだな」

「ええ、そうです。生まれも育ちもこの国、この街ですよ」

「…………」


 トラヴィスが黙り込む。

 何、私がここで育っちゃ何か悪いわけ? と心の中で悪態を吐こうと思ったが、どうにも真剣な様子で、どこか悲しげ?切なげ?と言った表情を浮かべていて、そんな気もなくなってしまった。


「……お前から見れば、フロースなど本当に……古代の遺物のようなものだろうな」


 あら。

 どうやらこの王子様は、自国と日本を比べて自信を無くしてしまったようだ。


 まぁそりゃそうか。

 フロース王国はあっちの世界ではかなりの大国で、技術力でも軍事力でも右に出るものはほぼいなかった。

 そんな自慢の国と比べても、この日本の豊かさと繁栄とは大きな乖離を感じてしまったのだろう。

 だってあっちの世界は、大体こっちでいう中世ヨーロッパな感じの時代だ。

 魔法のおかげでこっちのその時代よりはかなり発展しているけれど、それでもこっちの現代と比べてしまえば、やはり差は歴然だ。

 それはでも、時代の違いであって国力の差という訳ではない。

 つまり、んなもんしょうがないじゃん、ということだ。


「んなもんしょうがないじゃん」


 おっといけない。声に出ていた。

 ギョッとしたような顔でトラヴィスが私を見る。

 そんな言葉遣いをされたことが今までなかったのだろう。

 すまんついうっかり。


「えぇーーと、つまりですね、うん。私が言いたかったのは、フロース王国って建国してから300年ちょっとしか経ってないじゃないですか。建国前の各部族が興った時代から数えても、700年そこそこですよね。でも、この国は建国してから2500年以上経ってるんです。なのに、文明レベルが同じな訳ないじゃないですか。これでフロース王国と同じ水準だったら正直日本人のレベル低すぎです。それに、フロース王国の文化水準はこっちの世界の中世ヨーロッパ……今から500年程前の別の国に近い感じです。むしろ魔法技術が発達している分、フロースの方がずっと進んでいるかも。そう考えると、フロース王国ってすごいですね!」


 私はあたふたと早口で喋り通した。

 失言を誤魔化すためだったけれど、言ったことは本心だ。

 確かにスマホやネットがないのは不便だし、人々の考え方や社会の在り方が古臭いなあとは思っていたけれど、そんなものはしょうがない。

 当たり前のことだ。

 時代が変われば人々の思想も変わる。

 思想が変われば社会が変わるのだ。

 それに、そういうゲームとして作られた世界なのだから、そんなものは製作者のせいだろう。


「お前は……、いや、何でもない」


 トラヴィスは何かを言いかけ、ふいと窓の向こうに視線を移し、またあの切なげな顔を見せた。


 私は、あ、と思った。


 これまで私は、トラヴィスとずっと婚約関係にあったにも関わらず、彼とほとんど話したことがなかった。

 だから、彼の為人を知らない。

 王子としての教育をきちんと受けていることは知っているし、執務やアカデミーの勉強だってきちんとこなしている『優秀な人物』であるということは知っている。

 けれどそれは彼の対外的な評判であって、私が判断したことじゃない。

 正直、彼も私のように怒られないために教育を受け、執務だって優秀なウォルト辺りに手伝わせているのだと思っていた。

 だって、彼は個人的な理由で婚約者を蔑ろにするような男だから。

 だからこれまでの私なら、彼のこの顔は、自慢の自国が急に劣って見えることへのいじけた気持ちか、そうでなければ残してきたミシェルを思ってのものだと判断しただろう。


 けれど、私は分かってしまった。

 彼はきっと今、フロース王国を想っている。

 想像するより、ずっと強く。

 彼は私が思っていたよりずっと、王子として、あの国を愛していたのかもしれない。




 じゃあ何故。

 彼はあんなことをしたのだろう。

 フロース王国を想うなら、私たちの婚約はかなり重要なものだったはずだ。

 少し調べれば、私の無実などすぐに分かったのではないか?

 それとも……調べる必要がなかったのか……?


「あの、殿下……」

「あ! 居た居た姉さん! ニコラス先輩がガラスの床から動かなくてウォルト先輩が怒り狂ってるんだよ! 早く来て!」


 駆けてきたシリルの声で、私の疑問の声は打ち消された。

 私とトラヴィスは、ガラスの床を名残惜しむニコラスを引っ張って動かし、「落ちそうで怖いからやめろ」とキレまくっていたウォルトを宥めるのに終始して、そのまま有耶無耶になってしまった。


 良かった。

 彼の口からどんな答えが返ってくるのか、私はまだ聞く勇気がなかったから。

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