とある職場の昼休み7)一杯一杯複一杯
「学習指導から漢文を無くそうって考え方があるらしいね」
同僚の言葉に私は驚いた。
「何で、私、あれ好きなのに」
別方向から声が飛んできた。
「何か意外だけど」
堅苦しいものは嫌いなはずの同僚だ。
「李白の漢詩にね、友達と語り合いながらの酒はいい、一杯、一杯、また一杯って漢詩があって、私それ、好きなのよ。李白もなかなか面白い人だし。玄宗皇帝に仕えたこともある唐代の歌人。私は各地を旅したという印象のほうが強いかな。詩仙と言われるくらいの人」
「仙人の仙か。面白そうな人ね」
李白と同僚が口にした一節を検索にかけたところ、漢詩が見つかった。
「あ、これいい」
友人と酒を酌み交わして会話を楽しみ、明日気が向いたら来てくれなどと、よほど気の置けない相手なのだろう。会ったこともない唐代詩人と友人の気の置けない楽しげな会話が聞こえてくるようだ。
「漢詩と言えば私、中途半端に覚えてるのが、あれ、『ただ見る長江の天際に流るるを』なんだけど。詩から情景とその心情が浮かび上がってきて凄いなって思った」
「それも李白。孟浩然という友人、漢詩を沢山残している人だけど、を見送る漢詩。私もそれ好き」
「あなた李白が好きなだけじゃないの? 」
「まぁね。いかにも酒豪って雰囲気の漢詩もあって面白い人よ」
「それ聞くと、面白そうね」
これがいい、あれもいいと二人はスマートフォンの画面で検索した漢詩を見せあっている。
「『国破れて山河あり』も、平家物語の『祇園精舎の鐘の声』とか、芭蕉の『兵どもが夢の跡』みたいで、なんというか、染み入るものがあったけど」
「杜甫の漢詩ね。あの制限された文字数と形式を駆使しての表現は素晴らしいからこそ、海を渡り、千年以上の時を超えた今の日本でも伝えられているというのに。何かもったいないなぁ」
「良いものは、国境も時代も超えるのに、不要だなんて、情緒無いねぇ」
「漢文、使えるよ。俺、ユースホステル泊まった時、台湾の人達と相部屋でさ。片言の英語と、筆談で会話した。筆談出来たのは漢文のおかげ。台湾人の中に俺だけ日本人だったけど、盛り上がった」
「すごいな、それ。江戸時代に漢文で外交してた人達みたい」
「なにそれ」
「江戸時代は、朝鮮通信使と漢文で意思疎通してたって聞いたことが有る。通訳もいたけれど、お互いに漢文の素養があったから」
「お、じゃぁ俺、伝統を現代に復活させたわけか。時代を越えたね」
楽しそうな経験談に、場が明るくなる。
「これか。ほら、古文・漢文不要派の意見、見つけた」
「何それ。古文も巻き添え? 酷いじゃない。世界に誇る源氏物語を知らない日本人を生み出すつもりなの」
箇条書きになった三つの項目を、私達は覗き込んだ。
1「そのことは、古典以外でも学べるんじゃないですか」
2「それは、原文で学ばなくてはいけませんか」
3「必修でなくてはいけませんか」
「これ、学校の勉強の意味を極端に狭く考えているようにみえるわ」
「文化を知り、心を育てるのも教育でしょうに」
「試験で効率よく点数とるなら、科目減らして勉強時間を少ない科目に注ぎ込めば、点数はあがるだろうけど。人間がそれだけ知ってればいいってなるのは辛いね」
「今役に立つことだけ、学校で教えたら良いという考え方かもしれないけれど、何が役に立つかなんて、すぐに変化するからさ。狭い知識しかないと、すぐに行き詰まるよ。職業訓練だけで、人間育てようなんて、人間は人工知能や機械じゃないのに」
「芸術とか感性とか人それぞれだしな。それこそ、初めから与えないだなんて、多様性の否定だよ」
三項目はあちらこちらから非難轟々だ。
「古文漢文不要論の人は、チャップリンの『モダンタイムス』とかを見たらどうかな」
「『モダンタイムス』?」
「いい映画だよ。あらすじだけなら○○pediaにある。パート・トーキ映画。チャップリンはサイレント映画が素晴らしいけれど、この、『モダンタイムス』も良い。俺、英語の授業で、別のチャップリン映画見せてもらってから、チャップリンのファンになって今も映画好き」
「素晴らしい先生だね。生徒の人生に映画という彩りを与えてくれたわけだ」
「そう。俺もそう思う。感謝してる。名前忘れたけど」
正直な告白を笑い声が包む。
「パート・トーキーってことは無声映画でもあるわけよね。漢文不要論の人達の評価をぜひ聞いてみたいわ」
「○○pediaによると、実際に公開当時は、時代遅れと呼ばれて、あまり高い評価は得られなかったらしいよ。今は代表作の一つだけど」
「では、漢文不要論の人達のご意見を予想してみると」
「まぁ、当時モダンタイムスを批判なさった方々と似たような視点で、物事を考えておられるとお見受けしますが。この三項目を見る限り」
「まぁ、見る目が無いだなんて、あなたも正直な」
「そうよ。見てもわからないなんて、決めつけてはダメよ。たとえ可能性が雀の涙であっても、あるかもしれないわ」
あからさまな皮肉が飛び出した。
「自分が良さを理解できないからって不要と断言するなんて、みっともないわ」
「こらこら。この場に居ないとはいえ、すでに成人して、社会でそれなりに意見を口にしながらも、これから先、さらに深く一般的な教養を身に付けていく可能性に満ち溢れる人達に、教養が無いなんて言ったらだめでしょう」
今度は強烈な皮肉が炸裂した。
「おー怖い。若干、流れ弾が飛んできた気がする」
「これだけ知っておけば良いと思い込んで満足した時点で、人間終わりでしょう」
「正論だね。時代は進歩する」
「とにかくだ。変化する時代の荒波を残り越えた良いものは、国境も時代も言葉の壁も越えるだけの価値があるだろうから、知る機会は、人に平等に与えられてもよいはずだ」
「学校で教わらないってことは、知る機会が奪われたことすら気づかない子もいるわけか」
「各家庭で与えられる機会なんて、経済力に左右されるからさ。せめて学校で教えて貰わないと、子供が可哀想だよ」
すべての家庭が子供を美術館に連れて行ったり、海外留学させたり出来るわけではないのだ。
「春眠暁を覚えずってのも、親近感あるよ」
「気持ちよくて寝過ごしたってのを、高尚な表現に高めるとは凄いね」
「だから、現代まで残っているのよ」
「受験とか試験に必要かとかは、ほら、大学受験なら大学側も都合もあるからなんとも言えないけれど。情操教育には必要よねぇ」
「『春眠暁を覚えず』とかなんとか、寝坊の言い訳で使われたら、何か怒る気失せるな」
「確かに。季節限定だけど」
笑い声の花が咲いた。
*2022年2月はお休みです。
「小説家になろう」での、作者のドタバタ劇が話題ですので、「小説家になろう」に投稿しております。
3月にまた、お目にかかりましょう
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