第13話 確信に変わった瞬間


 悲しいことに、一時間も掛からなかった。

 漫画研究部の部室を出て、廊下を歩きながら腕時計を見れば……それぐらいしか時間が経っていなかった。


「……思ってたのと違ったな」


 啓太と漫画研究部に行って、部活で作ってる漫画を読むまでは良かった。しかし読み終わった後が俺の予想とは違っていた。

 漫画を読んだ後は長引くと思っていたのに、素直に漫画の感想と気になったところを言っただけで俺の役目は終わってしまった。

 もっと俺の意見に反発してくると思っていた。なんで普通に俺の意見を受け入れてるんだよ。ど素人の俺の意見なんて反発するのが普通だろ?


 読んだ感想を伝えたら素直に感謝されるとは思わなかった。むしろ俺みたいな人間の意見が参考になるって喜ばれたくらいだ。こういう創作をする人間ってプライドが高い生き物だと思っていたのに。

 なんかこう、どこが良かったか悪かったかを言えば熱い返答が返ってきて討論みたいになるもんだと思っていたから……拍子抜けだった。


 と言うか、素人が書く漫画だと思って読んでみたら思っていた以上に面白かった。意外と素人でも普通に面白いものを書けるんだなと感心したくらいだ。

 あの漫画に気になるところも特になかった。強いて言うなら程度のことだけ伝えて、聞かれたことに答えたら、それで終わってしまった。


「流石に……もう終わってるか?」


 歩きながら腕時計を見つめて、どうするか悩む。

 少し早いが、俺が教室を出てから約一時間は経っている。楓花の告白が終わっていてもおかしくない時間だろう。

 そもそも、かなり余裕を持って時間を潰そうとしていた。告白に一時間も掛かるとは思えない。呼び出して、会って気持ちを伝えて、二人が両想いになる。さくっと終われば五分も掛からないはずだ。


「なら、もう大丈夫か」


 廊下を歩いても、他の生徒を見かけない。部活で声を張り上げる生徒と吹奏楽部の演奏が聞こえるくらいだ。

 部活にも入っていない生徒がまだ学校にいるとは思えない。折角夏休みが始まったのに帰りたくない生徒なんて俺くらいなものだろう。


 そう考えれば、もう帰っても良い頃合いと思えた。

 廊下と歩いて、階段を下りてから昇降口で靴を履き替える。

 そして安心しながら、校門に向かって歩いている時だった。

 突如、今見ている光景に俺は強烈な既視感を感じた。


「あれ?」


 いつも帰りに見ている同じ景色のはずなのに、なぜか奇妙な違和感を感じる。

 いや、違う。いつも見ている景色に同じ光景なんてない。どこかしらに違うところは絶対にある。時間によって、見える景色は違うのが普通だ。

 聞こえる運動部の声と吹奏楽の音、視界の隅でグラウンドを走っている生徒達、空を飛んでいるカラスに青い空に流れる雲の景色。そのどれもが全く同じことなんて、あり得ない。

 普段なら帰りに見る景色なんて気にも留めないことなのに、どうしてか俺は思ってしまった。


 少し前に、これと全く同じ景色を見たことがあるって。


 俺が、そう思った時だった。

 俺の横を、誰かが全力で走り抜けていた。

 ふんわりとしたボブヘアーをなびかせて、俯きながら走る女の子。僅かに見えたその表情は――確かに、泣いていた。


「……楓花?」


 走り去る楓花の背中を唖然と見つめて、俺は言葉を失っていた。

 脳裏に蘇ったのは、あの時の記憶。夢の中で見た。彼女の泣き顔。

 気づけば、俺は自分の口に手を当てていた。変な声が出そうになったのを抑えようとしたのか、それとも叫びそうになったのを我慢しようとしたのか。


 背筋が凍る。寒気がして、鳥肌が立った。


 あり得ない。そんなことが本当にあるわけない。

 しかし時間は止まらない。楓花の背中は遠くなっていく。このまま放っておけば、確実に彼女を見失う。


「ッ――‼」


 それだけは絶対にできない。泣いている楓花を放っておくなんて、俺にできるわけがなかった。

 あの夢と全く同じ行動をしているとわかっていても、俺はそうするしかなかった

 震えている足を意地で動かして、俺は楓花の背中を追い掛けていた。


 全力で走って、楓花の背中を追い掛ける。昔から彼女の足が遅くて助かった。

 少し息が荒くなったところで、俺は楓花に追いついていた。

 彼女を逃がすわけにはいかない。そう思って、無我夢中で俺は彼女の腕を掴んでいた。


「なにっ! 離してっ!」


 急に誰かに腕を掴まれれば、女の子なら逃げようとするに決まっている。

 掴まれた腕を振り払おうとする楓花を離さないように手に力を込めて、俺は彼女に叫んでいた。


「楓花っ! 俺だ!」

「えっ……」


 俺の声を聞いた瞬間、楓花の動きが止まる。

 そして恐る恐る彼女が振り返ると、俺の顔を見た途端――彼女の顔は固まっていた。


「智明、なんで……まだ帰ってなかったの?」

「少し用事があって遅くなったんだ。と言うか、お前……なんで泣いてるんだよ」


 震える声で聞いてくる楓花に、俺はそう答えた。

 思わず言ったこの言葉も、前に一度言ったような気がした。

 俺の言葉を聞いて、彼女の目が揺らいだ。言いづらそうに俯いて、下唇を噛む。

 そうして数秒くらい経つと――楓花はなにも答えることもできず、その場にゆっくりと座り込んでいた。


「おい……どうしたんだ?」


 尋常ではない様子で座り込む楓花に合わせて、そう言って俺もしゃがむ。

 しかし俺の言葉に楓花は返事すらしない。抑え込もうとしても漏れる嗚咽が、彼女が泣いていることを知らせる。

 その声を聞いて反射的に俺が掴んでいた彼女の腕を離せば――そのまま彼女は両手で涙を拭っていた。

 座り込んですすり泣く楓花の姿を間近で見て、俺の身体は自分でもわかるくらい震えていた。ふと彼女の腕を掴んでいた手を見れば――小刻みに震えていた。


 この光景を知っている。だからこの後、どうなるか俺は知っていた。


 咄嗟に周りを見れば、通行人達が俺と楓花を怪訝な視線で見つめていた。

 歩道のど真ん中で泣いている女子高生と寄り添う男子高校生なんて異様にしか見えないに決まっていた。

 このままだとマズイ。変な正義感を持った人間に絡まれたら面倒なことになる。

 そう思った瞬間、俺は楓花の肩に手を添えていた。


「楓花、どうして泣いてるのかわからないけど……とりあえず場所を移そう。立てるか?」


 できるだけ優しい口調で伝えるが、楓花は小さく首を横に振るだけだった。

 その反応を、俺は知っていた。

 だから俺は……そっと彼女に背を向けていた。


「立てないなら、乗って。近くに公園があるから、そこまで行こう」

「……重いって思われるから、嫌」

「なに馬鹿言ってんだ。お前が重いわけないだろ? なにがあったか知らないけど、こういう時は甘えてくれ……家族なんだろ?」


 消えそうな声で嫌がる楓花に、できるだけ俺はいつも通りに振舞う。

 多分、バレてたのかもしれない。だけど彼女は少し黙った後、ゆっくりと俺の背中に乗っかっていた。

 制服越しでもわかる楓花の身体の柔らかさを背中に感じながら、俺は彼女を背負って立ち上がった。


「ほら、しっかり掴まれ。落ちたら怪我するぞ」

「ん……」


 俺の首に手を回して、ぎゅっと楓花が力を込める。

 彼女の身体が重いなんて思わない。むしろ彼女を背負える男になれたような気がして、誇らしいくらいだ。

 そっと足を動かす。彼女が背中から落ちないようにゆっくりと。

 公園に行けば、思う存分泣けば良い。歩道よりは目立たないから、涙が枯れるまで泣くと良い。

 それまでは俺の背中で我慢してくれ。嫌かもしれないけど。


「ぐずっ……」

「安心しろって。不安ならずっと一緒に居てやるから」


 俺の背中に顔を押し付けて、楓花が声を殺して泣く。そんな彼女をあやすように、わざと小刻みに身体を揺らして俺はそう言っていた。

 俺にしがみつく彼女の力が強くなる。そして少しだけ、彼女のすすり泣く声が大きくなったような気がした。

 この会話と、背中と両手に感じる彼女の身体の柔らかさに強烈な既視感を感じながら――俺は足を動かした。


 もう誤魔化しようがない。

 今までずっと胸の中にあった疑惑が――確信に変わった瞬間だった。

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