第47話 最低

「妃乃。一つ、サイテーなことを言わせて」


 わたしからも妃乃を抱きしめながら、囁くように言った。


「……うん」

「わたし、銀子とも縁を切りたくない。銀子がわたしのことを好きだってわかっていても」

「……堂々と二股宣言?」

「違うよ。わたしの考え、もう伝わってるとは思うけど……この二年以上、わたしに銀子が必要だったのと同じように、銀子にもわたしが必要だったんだと思う。

 これはきっと、自惚れじゃない。妃乃がわたしを求めてくれるように、銀子もわたしを求めてくれているんだと思う」


 わたしは自分を過小評価するところがある。自分の存在が、他人にとってかけがえのないものになるということがイメージできていなかった。

 けど、妃乃を見ていたら、わたしも案外捨てたものじゃないのかもしれないと思えた。

 そして、それならば、銀子にとってのわたしも、かけがえのない何かなのだろうと気づいた。


「わたしは、自分が銀子を失うことばかり考えて辛くなってた。でも、わたしと同じくらい、銀子もわたしを失うことが辛いはず。

 わたし、銀子を放っておけない。これは恋の話じゃなくて、唯一無二の友達として、銀子を救いたい」

「そういう言い訳を並べて、私を不安にさせ続けるのね?」

「うん」

「……素直に頷かれるとは思わなかった」

「ごめん。妃乃。わたし、酷い人間だと思う。妃乃を大切にしないといけないのに、妃乃を一番に優先しないといけないのに、単純にそんなことはできないみたい。

 わたし、銀子のこと好きなんだ。妃乃に嫌な思いをさせてしまっても、銀子を忘れるなんてできないんだ。

 これは、わたしのサイテーなわがまま。妃乃。わたしと一緒にいたかったら、わたしが銀子を大切にすることを許して」

「……サイテーだね。私が瑠那を好きでしょうがなくて、一生離れられないと思っている弱みにつけこんで、自分のわがままを押し通すんだ」

「うん」

「……ばか」

「わたし、妃乃が好き。わたしと妃乃の絆は、そう簡単に壊れるものじゃないって思ってる。妃乃のことを、単なる恋人じゃなくて、人生のパートナーくらいに思ってる。だから……わたしの酷い一面も、受け入れてほしい。そしたらわたしは、妃乃のこと、生涯愛し続けるって誓うよ」


 妃乃が深い深い溜息。爪を立てて、わたしの背中を削った。


「私、瑠那がいないともう無理だから。そのわがまま、聞き入れるしかないよ」

「ありがとう。妃乃。大好き」


 ベッドの上で、お互いの体を温め合う。

 このたまらなく愛しい温もりは、一生手放さない。


 それからしばし時間が経ち。時刻は午後九時過ぎ。

 夕食も摂って、ちゃんと服も着て、妃乃の部屋でスマホを操作。妃乃も隣でそれを眺めている。


『七藤。電話で話そう』


 銀子に向けてメッセージを送った。

 五分程待つと、アプリ経由で着信。すぐに応答。スピーカー状態で話をする。


「こんばんは。銀子」

『……あたしが七藤だって気づいたのに、どうして連絡してくるの? 彼女いるのにダメじゃん。あたし……だって……ひまわりのこと……』


 昼間の陽気な雰囲気とはうってかわって、銀子の声は酷く沈んでいる。

 やっぱり、わたしが落ち込んだのと同じように、銀子も落ち込んだのだ。

 わたしたち、お互いのことを本当に大切に思っていたんだね。


「銀子の気持ちはわかってる。間接的だけど、聞いちゃったから」

『ああ、これってお別れの電話? そっか。そういう奴か』

「違うよ」

『じゃあ、何?』

「わたし、銀子と縁を切るつもり、ない。わたしにとって銀子はかけがえのない大切な人。今まで通りとはいかないかもしれないけど、わたし、銀子がいないとこ先生きていけない」

『……はぁ? バカなの? 彼女と別れてあたしと付き合おうとでも思ってるわけ?』

「違う。わたし、例の子と一生添い遂げるくらいのつもりでいる」

『あたし、ひまわりのことが好きなんだよ? ずっと言わなかったし、言うつもりもなかったし、ぼんやりとした気持ちだったけど……確かに、好きなんだよ。直接会って、水琴がひまわりだって気付いて、今までよりもずっとずっと、ひまわりのことが好きになった。

 顔を知らなければ、声を聞かなければ、自分の勝手なイメージを好きになっているだけだって誤魔化せた。ひまわりのことは好きだけど、こんなのは本当の恋じゃないって思えた。

 でも、もう無理だ。あたし……ひまりのこと、好きだ。すごく、好きだ……』


 銀子の声に嗚咽が混じる。

 銀子の気持ちに応えたいって衝動的に思う。

 妃乃と付き合い始める前だったら、じゃあ付き合おうよってすんなり言った。


「ごめん。銀子とは、付き合えない。でも」

『……でも?』

「わたし、銀子を失いたくないから、バカなお願いをさせて」

『何?』

「わたしへの想いを忘れて、他の誰かを好きになって」

『……最低かよ』

「うん」

『最低すぎるじゃん。バカでしょ。ふざけんな』


 わたしの最低な言葉に、銀子は傷ついただろうか。

 ごめん。銀子を傷つけたくはなかったけれど、良い案なんては浮かばなかった。正面からバカな琴をいうしかなかった。


「……銀子は、わたしを失ってもいいの?」


 最低な言葉を重ねる。銀子の嗚咽が聞こえる。わたしはなんて最低なんだろうって、自分に呆れる。

 長い沈黙があって。


『……嫌だ』


 ぽつりとこぼれた言葉は、わたしにとって嬉しい一言のはずなのに、胸を大きくえぐるような痛みを与えてきた。


「わたしも、銀子を失うの、嫌だ。お願い。わたしのバカな頼みを、聞き入れて」


 わたしの言葉は銀子を傷つける。

 わたしは最低で、汚れている。

 でも、清いままでいることよりも、銀子をつなぎとめることの方が大切だ。


『そんなの……頼まれたって、はいはい、ってできるわけないだろ……。あたしがどんだけ……ひまわりのこと好きだと思ってんだよ……っ』

「ごめん」

『ばか』

「うん」

『お前なんて、嫌いだ』

「うん」

『でも、好きだ』

「うん」


 また銀子の嗚咽が続く。

 胸が痛い。こっちも泣きそうだ。


『ひまわりへの気持ちを忘れるなんて……すぐにはできない。けど、ひまわりがいないのも嫌だ。これは、あたしに最低なお願いをしてきたひまわりにへの、同じくらい最低なお願い。

 あたしは、ひまわりを奪うつもりはない。でも、ひまわりへの片想いを抱えたままで、これからも付き合っていきたい。

 あたしのお願いを、例の子に聞き入れてもらって。あたしのことが好きなら、それくらいやってくれるだろ?』

「……滅茶苦茶言うなぁ!」

『ひまわり程じゃない』

「……わかった。説得する。わたし、もっと最低な女になる」

『うん。なれ。そんで、歪な三角関係を続けよう』

「……わたしが選ぶのは、銀子じゃないよ」

『知ってるよ』

「……なら、いい。ちょっと待ってて」


 隣の妃乃に視線をやる。ものすごくわかりやすくむくれていた。


「妃乃」

「バカ」

「……うん。わたし、バカだし、最低だ」

「銀子さんを拒絶してってお願いしても、聞いてくれるつもりはないんでしょ?」

「うん」

「最低」

「うん」

「もういいよ。わたしは瑠那のお願いを聞くしかない立場だもん。瑠那の好きにすればいい」

「……ごめん」

「一生許さない」

「わかった。じゃあ、ちゃんと、一生わたしを恨み続けてね? 代わりに、わたしは一生妃乃を愛し続けるから」


 妃乃が渋々と頷く。

 わたしはシンプルな恋がしたい人なのに、随分と複雑な関係になってしまった。

 意識を銀子に戻す。


「説得したよ」

『ご苦労さん。っていうか、例の子、そこにいて、全部聞いてた感じか。それは事前に言えよ』

「あ、ごめん。こういうの、こそこそ話すわけにはいかないから」

『まぁいいよ。ねぇ、これって今も例の子にも聞こえてる?』

「うん」

『じゃあ、これだけ言っとく。……ひまわりが付き合うべきなのはあたしだ。ぽっと出はをわきまえてさっさと別れろ。ばーか』


 おい。わたしを奪うつもりはないとか言ってなかったかい?


「……言いたいことはそれだけ?」


 妃乃が怒りを滲ませる声を発した。


『言いたいこと全部言ったら夜が明けるっつーの』

「ああ、そう。……負け犬の遠吠えね?」

『……は?』

「瑠那は私がもらう。あなたになんて絶対に渡さない。私と瑠那が愛し合っているのを想像して、せいぜい悔し涙を流していればいい」

『……お前』


 銀子が何かを言う前に、妃乃が通話を切った。さらに、スマホの電源も切ってしまう。

 大変、ご立腹のご様子。


「……妃乃?」

「一生許さないって、言ったよね?」

「……はい」

「瑠那がそうやって綺麗な自分を捨てるなら、私だって捨てる。瑠那を求めて、わがままになる」

「……うん」

「銀子さんとの交流はとめない。銀子さんの気持ちも放っておく。代わりに、私の持て余した気持ちは、全部瑠那が受け止めてよね」

 

 妃乃がわたしにキスをする。

 その勢いで床に転がされる。

 妃乃がわたしの上に覆い被さる。


「瑠那は私のだって、もう一回、体に刻み込んであげる」


 妃乃の勢いに気圧されてしまう。

 ぷるぷる震えながらも、これからもたらされるだろう快感を思って……溢れ出す。


「瑠那。好き」


 それからは、まぁ……長い夜になったとさ。

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