第19話 嘘

 わたしは人の心なんて読めないけれど、妃乃が嘘を吐いていることくらい、すぐにわかった。


「嘘じゃない」


 妃乃がしょうもない嘘を吐く。


「嘘じゃないってば。私、瑠那のこと、なんとも思ってない。瑠那と付き合うなんてありえない。そもそも私は女の子同士で恋愛したいと思ったことなんてない。私は瑠那と違う」


 全部嘘。痛いくらいにわかる。

 わたしも椅子から立ち上がって、妃乃の前へ。

 妃乃が一歩下がる。わたしは距離を詰める。

 妃乃がまた下がって、わたしは距離を詰める。

 結局、妃乃が壁に背をつける。もう逃げられない。


「妃乃、嘘が下手すぎるよ」

「……嘘なんて吐いてない」


 妃乃はわたしから必死で視線を逸らす。その体は、極寒の中にいるように震えている。


「……怖かったよね。わたしの告白なんかより、ずっとずっと、怖かったよね。わたしの告白なんて、ふられたとしてもそれで終わりだもん。女同士なんて気持ち悪いって言う人がいたとしても、それは、そんなことを思う人の心が狭いんだとも言える。

 でも、妃乃の秘密は、相手に受け入れてもらえなかったら、完全に居場所を失ってしまう。自分が積み上げてきたもの、全部を失ってしまうかもしれない。

 やっぱり、妃乃はすごいね。そんな秘密を、誰かに打ち明けられるだなんて。

 妃乃はとても勇気がある素敵な人。妃乃のこと、好きになって良かった」


 震える妃乃に体を寄せる。……そのまま、きゅっと抱きしめる。


「さっきはごめん。急なことで驚いちゃった。衝撃的なことだったんだから、それくらいは許して。仕方ないでしょ? わたしは特別に心が強いわけでもない、ごく普通の人間なんだから。

 わたしの全部を見られていたことは、もちろん恥ずかしい。妃乃の記憶を全部消してしまいたいくらいに恥ずかしい。

 だけど……だけどさ。

 わたしがどれだけ滅茶苦茶なことを妄想していたとしても、妃乃は、それを受け入れてくれていたんだよね? わたしの恥ずかしい部分を全部知って、それでも今日一日、一緒にいてくれて、あんな笑顔を見せてくれていたんだよね?

 だったら……わたし、いいよ。妃乃になら、全部見られてもいい。それでいいから……わたしの隣で、笑っていて。わたしの妄想全部覗いて、バカだなぁって苦笑いしてて。

 妃乃が魔女だったとしても、わたしは妃乃が好きだよ。ずっと側にいてほしい。一生側にいてほしい。わたしの全部、もらってよ」


 さらに強く、妃乃を抱きしめる。

 その冷えた体に、熱を届けるために抱きしめる。

 妃乃から、すぐに返事は来ない。だけど、わたしから逃げようとするそぶりはない。

 それが妃乃の答えなんだと信じている。


「……わたしの心、全部覗いたんだからさ。妃乃の心も見せてよ。それでおあいこってことにしよ。妃乃がわたしのことを好きだってことくらい、わたしにだってお見通し。妃乃がたった一人でここに取り残されて、寂しい思いをしているのもお見通し。だけど……ちゃんと、妃乃の言葉で伝えて。お願い」


 焦らずに妃乃の言葉を待つ。

 無言の時間。さっきとは違って、今は気まずい気持ちにはならない。

 妃乃にはまだ、わたしの熱が伝わるための時間が必要なのだ。それだけ。


「わ、私は……」


 五分くらいして、妃乃が口を開いた。


「うん」

「瑠那のこと、好きなの。私、色んな人の心を覗いてきたから、わかる。瑠那は嘘吐きで、いつもやらしいことばっかり考えてるけど……その心は綺麗に澄んでる。嫌な濁りがなくて、涼やかで、優しくて。月明かりに照らされているみたいで、安心した気持ちになれる。

 瑠那の心には、きっと、恋だけじゃなくて、愛があるんだと思う。自分が幸せになりたいだけの恋だけじゃなくて、誰かを幸せにしたい愛。

 私、ずっと瑠那の心に触れていたい。隣にいて、安心したい。

 お願い、瑠那。

 私の側にいて。私から、離れないで……」


 妃乃の言葉がすっと奥深くに染み込んでくる。

 想いが、伝わってくる。

 心が読めなくても、その心は、言葉に乗ってわたしに流れ込んでくる。

 幸せだ、わたし。今が、一生で一番、幸せな瞬間だ。きっと。


「……わたし、妃乃から離れない。ねぇ、答えを聞かせて。わたしと、付き合ってくれるかな?」

「……うん」

「良かった。嬉しい。すごく、嬉しい。幸せ」


 妃乃の体を強く強く抱きしめる。

 いっそ一つになってしまえばいいのにと思いながら、抱きしめる。

 胸のどきどきも、伝わればいい。心を読むだけじゃ伝わらないものも、全部伝わればいい。

 わたしの幸せな気持ち、言葉にするよりずっと深く届いてるのかな? だとしたら、心を読まれるなんてむしろいいことじゃないか。わたしの伝えたい気持ちが全部伝わるなんて、最高じゃないか。


「……瑠那、ごめん。ちょっと、離れて」

「なんで? 嫌だよ」

「……瑠那の気持ちが伝わりすぎて……どうかなりそう」

「どうかなっちゃえばいい」

「そんなこと言って……本当に、どうなっても知らないからね」

「わたし、どうなってもいいよ」

「……そう」


 妃乃もわたしを抱きしめ返してくれる。

 妃乃はまた体を震わせていて……だけどそれは、涙を流しているだけだとわかっているから、それをとめようとは思わなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る