一二章 猫と王女と暗殺メイド

 「まあ、だいじょうぶ、ナナ?」

 ローサは転んだメイドに小走りに駆けよった。手を差しのべ、助け起こそうとする。

 ――仮にも王女さまともあろう人が、メイドを助け起こそうとするのね。

 ある意味で感心しながらメインクーンはローサを観察した。

 ドーナはローサのことを『リアナより、ひとつ上』と言っていた。と言うことはいま一七歳。本来ならば輝くような若さと生命力に包まれている頃だ。ところが、ローサからはそんな若さも、生命力も感じられない。

 どことなく沈み込んだ陰気な印象。

 枯れたような雰囲気。

 むしろ、人生の晩年を迎えた老婆のように見えた。リアナの、見ているだけでまぶしい輝きとはまったく対照的だ。おまけに痩せすぎだ。身長はリアナよりも少し高いだろう。しかし、それこそ骨と皮という印象で体重はずつと軽いにちがいない。

 肌は白いが、それはリアナのような健康的で魅力的な白さではない。単に血色が悪いのだ。怪奇浪漫かいきろまんのなかの吸血鬼を思わせる青白さ。そう言うのが一番しっくりくるだろう。

 おまけに、かなり荒れている。歳に似合わないかさかさの肌なのだ。

 一目で栄養が足りていないとわかる。別に冷遇れいぐうされているわけではないのだろう。ドーナの口ぶりからしてそんな扱いをするとは思えない。おそらく、この部屋に閉じこもりっぱなしで外に出ることがないのだ。そのため運動不足で腹も空かない。だから、食欲もかず、ろくに食べていないのだろう。だとすれば吸血鬼のような青白い肌も納得が行く。

 控えに目に言っても『魅力的な存在』とは言いがたい。リアナと並べばまったく、物語のなかから抜け出してきた幽霊のように見えてしまうことだろう。

 それが、ヴェガ王国もうひとりの姫、スクアローサだった。

 ――きちんと運動して、食べて、身なりを整えればかなりの美人になるはずだけど。

 メインクーンはそう思った。

 もともとの造形そのものは悪くないのだ。と言うより、かなり優れている。栄養不良と陰気な雰囲気のせいで埋もれてしまっているが、見るものが見ればわかる。本来の良さを引き出せばリアナと同等か、それ以上に魅力的な存在となるにちがいない。

 それがわかるだけに残念な姿だった。

 ナナと呼ばれたメイドはようやく起きあがった。上半身ごと頭をさげて主にお辞儀じぎする。

 花と香油こうゆの香りはナナの体からただよっていた。かなり強い香水をつけている。これほど刺激の強い香水、貴族の令嬢でもつけていることはめずらしい。主筋しゅすじの令嬢ですらつけないような強い香水をメイドがつけているなど、普通はありえないことなのだが。

「す、すみません、ローサさま! いつもいつもお手数をおかけしてしまって……」

 「いいのよ」

 ローサは短くそう言って微笑ほほえんだ。

 生気のない、下手な人形師の作った人形の笑みを思わせる表情だった。

  ローサはメインクーンの存在を思い出したように視線を向けた。いまさらのように尋ねた。

 「そう言えばあなたは? どこからここに?」

 「そ、そうです! あなたはどなたですか⁉」

 ナナも声をあげて尋ねた。

 尋ねたというより詰問きつもんだろう。メイドにしてみれば主の部屋に突然、押し入った人物に対して素性を問うのは当然の義務だ。しかし、妙に高い声質と素っ頓狂すっとんきょうな仕種のせいで詰問しているように聞こえない。まるで、子供が騒いでいるように聞こえる。

 メインクーンはローサに視線を向けた。

 ローサはまったく動じていない。突然の闖入者ちんにゅうしゃだというのに表情ひとつかえることなく相対している。一見すると、とんでもなく肝の据わった落ち着き払ったお姫さま、と見える。しかし――。

 ――この人は落ち着いてるんじゃない。

 メインクーンははっきりとそう感じた。

 ――反応が鈍いだけ。知力も精神力も衰えた年寄りのように。

 メインクーンでなくてもそう思わざるを得なかっただろう。

 外見こそは若くてもその中身は一〇〇歳にもなる老婆。

 それがローサだった。

 メインクーンは貴族の礼を取った。

 「エリンジウム公アドプレッサの妹、メインクーンと申します」

 「エ、エリンジウム公の……⁉」

 ナナが跳びあがり、ローサは小首をかしげた。

 「アドプレッサ?」

 ローサがようやく思いだしたように言った。やはり、反応が鈍い。空虚くうきょな微笑みを浮かべながら言った。

 「ああ、エリンジウム公のご子息ですね。何度かお会いしたことがあります」

 ――エリンジウム公のご子息?

 その言い方には大きな違和感を感じた。

 たしかに、アドプレッサは先代エリンジウム公の子息にはちがいない。しかし、その先代公爵はすでに亡く、アドプレッサはれっきとした成人。エリンジウム公爵の地位も継いでいる。いまの時点で『エリンジウム公のご子息』などと言う呼び方をするのはなんとも不自然だった。

 ローサは出来の悪い人形めいた笑みのままつづけた。

 「アドプレッサさまにこんなに大きいお妹君がいらしたのですね。お年のわりに大柄な方なのでいつも驚かされるのですけど」

 ――お年のわりに?

 またも飛び出した不自然な言葉にメインクーンはますます眉をひそめた。普通、二十歳はたちを過ぎた成人相手にそんな表現は使わないはずだ。

 ナナが突然、大声を張りあげた。

 「そ、そうです! せっかくお客さまがいらしたのですからお茶にしましょう! ねっ、ローサさま。みんなでお茶を飲んで、お菓子を食べて、おしゃべりした方が楽しいですよ!」と、ナナが幼い女の子のようにはしゃぎながら言う。

 はっきり言って、

 ――わざとらしい。

 メインクーンがそう思うような態度だった。

 ローサがやはり年寄り染みた緩慢かんまんな動作でうなずいた。

 「ええ、お願いね。ナナ」

 「ハイ!」

 ナナは跳びあがるようにして答えると、急いで部屋を出て行った。

 廊下に出た途端『ビタン!』という音がして『……いてて』と言う声がつづいたのは自分の立場をわきまえていると言うべきか……。

 ともかく、しばらくの間、メインクーンとローサはふたりきりになった。

 その間、ローサはなにもしゃべらなかった。メインクーンの存在を忘れたかのようにその場にじっとたたずんでいるばかりだった。

 やがて、ナナが芳香ほうこうを放つ紅茶とお菓子を三人分、そろえてもってきた。テーブルの上に並べられ、ささやかなお茶会がはじまった。

 お茶会は人数のわりに賑やかなものとなった。と言うのも、メイドのナナが主人を差し置いて十人分もよく喋ったからだ。実際、ナナがそうしていなければその場はお茶会と言うよりもお通夜のような雰囲気になっていたはずだ。

 メインクーンも決して明るくおしゃべりするような性格ではなかったし、ローサにいたっては話しかけられれば答えるけれど、自分から何かを話そうとはしなかったので。

 そんな態度がまた、相手の言葉に反応するだけの自動人形を思わせるのだった。

 ナナもそのことを承知していて、場を暗くしないためにおしゃべり役を買って出ているのだろう。とにかく、喋り通しだった。

 話題がふと、リアナのことになった。

 「まあ。リアナさまとお友だちなのですか」

 「友だちとまでは言いませんが、何度かお会いしてはいます」

 「リアナさまはとても素敵な方ですものね。いつも明るくて、かわいらしくて。あんなに小さいのに、とてもしっかりしていらっしゃるし……」

 会話を重ねるうちにメインクーンは違和感の正体に気付いた。

 ローサの言うことはすべて過去、もう一〇年以上も前の昔のことばかりなのだ。

 まるで、時の止まった世界に紛れ込んだかのようだった。ローサのなかではリアナはまだほんの幼女であり、アドプレッサも一〇歳になったかどうかの少年に過ぎないのだ。

 やがて、お茶会も終わり、メインクーンが退出するときが来た。

 「楽しかったですわ。またぜひ、いらしてください」

 ローサはやはり人形めいた空虚な微笑みでそう言った。本心なのか、それとも、単なる礼儀なのか。メインクーンの鋭敏な感覚をもってしても判断することが出来なかった。

 ――匂いもほとんどしないし……もしかして、本人自身、感情を感じていないの?

 感情を感じることなく反射的に行動しているのだとすれば――。

 まさに、自動人形そのものだ。

 「……はい」

 メインクーンはそう答えて退出した。


 メイドのナナに送られながら廊下を歩く。

 気になることを尋ねた。

 「ローサ姫はリアナ姫よりひとつ年上だと聞いたわ。と言うことはいま一七歳のよね?」

 「はい……」

 「とてもそうは思えないわね。まるで、思い出のなかに生きるおばあさんみたい」

 大きな目と、もっと大きなメガネ。そのせいで幼く見えるナナの顔が沈痛ちんつうなものとなった。

 「……昔はああじゃなかったんです。幼い頃のローサさまは本当に聡明そうめいで、利発りはつで、まだほんの五、六歳の頃からおとなと普通に話が出来るぐらいでした。将来はさぞ優れた学問を修めることだろうと期待されていたんです。でも……」と、ナナの表情がさらに沈み込む。

 「……あの出来事がすべてをかえてしまいました」

 「あの出来事?」

 「一〇年ほど前の政変劇です。ローサさまのご両親は謀殺ぼうさつされ、ローザさま自身も王女としての地位を失い、事実上の幽閉ゆうへい状態じょうたいに置かれてしまって……そのことがまだ幼いローサ様のお心には耐えられなかったんだと思います。心を閉ざし、過去の世界に閉じこもってしまわれた。いまではわたし以外の人と会うこともなく、話すことは過去のことばかり……」

 あんなローサさまを見ているのは正直、辛いです……。

 メガネの奥の大きな目に悲しみを湛えながら、ナナはそう言った。

 「くわしいのね。ローサ姫とは長い付き合いなの?」

 「幼い頃から存じあげております。母がローサさまの乳母うばでしたので。身分のちがいこそありますが『きょうだい』と言っていい関係です。その流れで、わたしが自然とローサさまのお付きのメイドとして選ばれました」

 「そう」と、メインクーンは言った。

 それから、ごく自然な流れで尋ねた。

 「もうひとつ聞きたいんだけど……」

 「なんでしょう?」

 「あなた、どうして、わたしを襲ったの?」


            第二話完

            第三話につづく

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