九章 光の王女

 「あの娘は何をしている⁉」

 苛立いらだった声と共にエリンジウム公爵家の屋敷のなかを、若き当主アドプレッサのドスドス言う乱暴な足音が響いた。

 整いすぎた顔立ちと白すぎる肌、隙のなさ過ぎる物腰とでなにかと冷徹に見られがちなアドプレッサだが、『がさつ』とか『粗暴そぼう』と言った悪評を浴びることだけは決してない。それだけ、貴族の名にふさわしい品性をわきまえた人物である。

 エリンジウム家の使用人たちはそのことを知っているだけに、その当主がかくも乱暴に歩き、怒鳴るなど、いったい、何事かと目を丸くしている。

 実は『目を丸くしている』だけ、と言うのはすごいことなのだ。一般的な貴族の屋敷でかくも不機嫌な当主の姿を見れば、使用人はむちで叩かれたり、もっと悪い言いがかりを付けられたりするのを避けるために必死で身を隠すものなのだ。それが、『目を丸くする』だけで、逃げ隠れひとつしようとしない。それは、アドプレッサが普段、決して使用人に手をあげるようなことはしない人物であること、使用人たちがそのことを知っていることを示していた。

 「お荒れですな、アドプレッサさま」

 そう言ってアドプレッサの前に立ちはだかった人物がいる。

 先代エリンジウム公爵、つまり、アドプレッサの父親の代からエリンジウム家に仕える執事であり、アドプレッサ自らが『この屋敷の最高権力者』と認めるウッドワーディーである。

 若き当主を見つめる目が非難がましいのはアドプレッサの乱雑な歩き方が気に入らなかったからである。いくら、丈夫な貴族の屋敷と言えど、長身で大柄なアドプレッサが乱暴に歩けばさすがに痛む。長らくこの屋敷の管理をしてきた身としては、この屋敷は言わば子供。粗雑そざつに扱われて腹が立つのは当然だった。

 「それに……」

 ウッドワーディーはいっそ、どちらが主がわからないような態度でつづけた。

 「ご自分のお妹君を『あの娘』呼ばわりするのは感心しませんな」

 「むっ……」

 言われてアドプレッサは声を詰まらせた。不自然さに気が付いたらしい。

 「……では、改めて聞こう。メインクーンは何をしている?」

 初日にあれだけ『早くエリンジウム公爵家の一員として認めるように』と、せっついておきながらそれからの数日、まったく姿を見せていない。いったい、どこで何をしているのか、アドプレッサでなくても気になるところだろう。ウッドワーディーは練達れんたつの執事らしく慇懃いんぎんな態度で答えた。

 「メインクーンさまはダンスのお稽古中でございます」

 「ダンスだと?」

 アドプレッサの眉が急角度に吊りあがった。

 「他人に面倒を押しつけておいて自分はダンスか。呑気なものだな」

 「呑気かどうかは、ご自分の目で見られるのがよろしいでしょう」

 言われてアドプレッサは表情をかえた。

 数少ない信頼する人間であるウッドワーディーにそう言われては無視もできない。案内され、稽古している広間を訪れた。物陰からそっと様子をうかがう。

 そこで見たものは『呑気』などという表現からは程遠い、まるで武芸者が剣を極めようとするかのような真剣さでダンスを学んでいるメインクーンの姿だった。引き締まった表情と白い肌を流れる汗が目にまぶしい。

 「……どういうことだ?」

 アドプレッサは尋ねた。

 「ヴェガ貴族の一員になったからにはヴェガ風の礼儀と教養を身につけなくてはならない。そうおっしゃいまして。ダンスの他にも礼法から食事のマナーにいたるまで、毎日、欠かさず、訓練していらっしゃいます」

 しばらくの間、アドプレッサはその様子をじっと見つめていた。真剣そのもののメインクーンの表情が目に焼き付く。

 きびすを返した。背を向けて歩きだした。

 「……ふん。貴族の娘なら身に付けていて当然のことだ」

 その背に向かい、ウッドワーディーは深々と一礼したのだった。

 それから一週間後。

 執務室に呼び出されたメインクーンはアドプレッサから一枚の書状を差し出された。

 「なに、これ?」

 「お前をエリンジウム家の正式な一員として認める。そのことを示した公文書だ」

 「公文書?」

 メインクーンはまじまじと書面を見た。

 たしかにそこには『メインクーンをエリンジウム公爵家の一員として認める』という旨の文書が記されていた。国王自らのサインも記されている。

 「どうした? 念願が叶ったのだぞ。嬉しくないのか?」

 「あ、いえ、嬉しいわ、ありがとう」

 メインクーンは書状を丁寧にたたんだ。胸のポケットにしまい込む。

 「これ、わたしがもっていていいんでしょう?」

 「ああ」

 「ありがとう。宝物にするわ」

 「……ふん」

 アドプレッサは白皙はくせき美貌びぼうを人間にはわからないほどかすかに赤く染めてそっぽを向いた。その態度はどう見ても『初恋相手に照れて素直になれない少年』のものだった。

 メインクーンはそんな兄に向かってニッコリ微笑んだ。

 「思ったより早かったわね。町中で『お兄ちゃん大好き!』って叫んで抱きつくのはやめておいてあげる。それともぜひ、やってほしい?」

 そう言われたときのアドプレッサの複雑怪奇骨折な表情ときたら――。

 物見高い貴族たちが『全財産、払ってでも見たい!』と叫ぶようなものだった。

 「……と、とにかく! 準備をしろ。これから、お前にはある人物に会ってもらう」

 「ある人物?」

 「お前も正式にエリンジウム公爵家の一員となったのだ。ならば、目通りひとつしないというわけにはいかんからな」

 「だから、誰に会うの?」

 「王女フィッツェリアーナ。この国の王太女だ」


 王女さま。

 その肩書きをもつ人物に会うのははじめてではない。

 メインクーンもすでに名の知れた冒険者。よほどの大国の姫君だと言うならともかく、その辺の小国の姫ぐらいとなら会う機会は何度もあった。しかし――。

 これほど童話的な意味で『王女さま』という呼び名にふさわしい人物に出会ったのははじめてだった。

 波を打つ長く豊かな金髪。

 鮮やかな青い瞳。

 透明感あふれる白い肌。

 あどけなさを残した美しい顔立ち。

 細身だけれど決して痩せすぎてはいない肢体。

 薄い青のドレスがまるで、それ自体が肌であるかのようにしっくりと似合っている。

 そして、なによりも、見る人すべての心を奪わずにはいられないような愛くるしい笑顔。

 すべてにおいて童話の挿し絵に描かれる『王女さま』そのものだった。

 ――ここまで『絵に描いたような』王女さまって本当にいるのね。

 メインクーンがそう思ったほどの姿だった。

 国王エルウッディと王妃ドーナの娘。

 第一王女にして王太女。

 未来の女王。

 フィッツェリアーナ。

 エルウッディとドーナの娘と言うことは東北翼系と北方系のミックスというわけだ。金髪きんぱつ碧眼へきがんと白い肌は北方系のものだが、骨張ることのないしとやかな顔立ちや小柄で愛らしい体つきは東北翼系のものだ。どうやら、ふたつの血がうまく交わり、理想的な姿をとったらしい。

 名前が東北翼系なのは……まあ、当然だろう。国王が東北翼系なのだから。その国王を差し置いて王妃の家系である北方系の名前を付けたりしたら……それだけで、反王妃派の貴族たちが反乱を起こしかねない。

 アドプレッサは、長身のかの人の前では子供のように小さく見える王女に向かい、うやうやしく礼をした。あくまでも臣下の礼であることがふたりの関係を表していた。しかし――。

 〝知恵ある獣ライカンスロープ〟の鋭敏な嗅覚は、アドプレッサから『ある匂い』がしていることを感じ取っていた。

 「お久しぶりです、フィッツェリアーナ殿下」

 「まあ、アドプレッサさま。来てくだっさたのですね。嬉しいですわ」

 そう言って微笑むとあたり一面に華やかさが満ちた。

 まるで、その笑顔から光の粒が飛び散っているかのよう。人々から『光の王女』と呼ばれるのも納得の姿だった。

 「最近はちっとも姿を見せに来てくださらないんですもの。さびしかったですわ」

 そう言ってちよっとねた感じになる姿も愛らしい。

 思わず、抱きしめたくなる姿だった。

 「申し訳ありません、殿下」

 「もう。殿下だなんてそんな堅苦しい呼び方をなさらないでください。昔みたいに『リアナ』と呼んでくださればいいのに」

 フィッツェリアーナ――リアナは親密さを込めてそう言ったが、アドプレッサはむしろ、より一層、苦しい態度となった。

 「いえ、そうは参りません。立場というものがございます。我々はもう、あの頃の子供ではございません。フィッツェリアーナ殿下は王太女であらせられ、私はその臣下たるエリンジウム公爵。その分を越えることは許されません」

 「もう。幼馴染みだと言うのに本当に堅苦しいのだから。ところで……」

 と、リアナはメインクーンに視線を向けた。

 その視線には嫉妬しっと邪険じゃけんさと言った感情は一切なく、純粋な好奇心だけが踊っていた。

 「こちらの美しい女性はどなた? もしかして、アドプレッサさまのご婚約者さまですか?」

 「ち、ちがいます……!」

 アドプレッサはあわてて叫んだ。

 あまりの大声にリアナが驚いたほどだ。すぐそばで大声を張りあげられたので、メインクーンの鋭敏な聴覚にはいささかの痛手だった。

 ――本当、この手の話題となるとヘタレよね、こいつ。

 耳に痛手を受けた恨みもあって少々、意地悪くそう思うメインクーンだった。

 「これは妹です! メインクーンと申します」

 「まあ、あなたが! おうわさは聞いていますわ。アドプレッサさまに大層たいそうお美しいえ妹君ができたって」

 と、リアナはちょっといたずらっぽく笑って見せた。

 アドプレッサの白皙の頬にスッと朱が差した。

 「お目にかかれて光栄です、フィッツェリアーナ殿下。メインクーンと申します。以後、お見知りおきくださいますよう」

 アドプレッサも驚く完璧な礼法でメインクーンは挨拶した。

 リアナはバアッと明るい笑顔を浮かべた。

 「まあ、これはご丁寧ていねいに。こちらこそアドプレッサさまのお美しいお妹君にお会いできて光栄ですわ。わたしのことはどうか『リアナ』とお呼びください。『殿下』などと言う堅苦しい呼び方ではなく」

 「承知いたしました、リアナさま」

 メインクーンはそう答えたが、たちまちアドプレッサの怒声が飛んだ。

 「失礼だぞ、メインクーン! あのようなお言葉を真に受けるやつがあるか」

 すると、リアナが白い頬をふくらませた。

 「まあ。わたしが『リアナと呼んでほしい』とお願いしたんですよ。アドプレッサさまはわたしが心にもないことを言ったとお思いですの?」

 「い、いえ、そう言うわけでは……!」

 アドプレッサの白皙の頬がたちまち赤く染まる。

 ふふ、と、リアナは微笑んだ。

 「冗談ですわ。それより、せっかく素敵なお友達ができたのですもの。お茶にしましょう。ゆっくり、お話ししたいですわ」

 リアナは侍女に命じて紅茶と茶菓子とを運ばせた。かぐわしい芳香に包まれるなか、三人のおしゃべりがはじまった。

 と言っても、話すのはほとんどリアナであってメインクーンは答えるだけ、アドプレッサはときおり、メインクーンの言葉をたしなめるだけだったが。

 リアナはメインクーンに興味津々で、なんでも知りたがった。

 「失礼ですが、メインクーンさまはおいくつでいらっしゃいますの?」

 「一六です」

 「まあ、一六歳。わたしと同い年ですのね。メインクーンさまは冒険者として知られる方だそうですけど……」

 「はい」

 「それでは、さぞかしお強いんでしょうね」

 「強いです」

 自信満々……ではなく淡々と、自分の強さを認めるメインクーンに対し、アドプレッサは苦い表情をした。

 「少しは謙遜すると言うことを知らんのか、お前は」

 「じゃあ、兄さんは強くないの?」

 「強いに決まっている!」

 「人のこと、言えないじゃない」

 「お前はな……!」

 きょうだいのやり取りにリアナは笑い出した。

 「仲がよろしいのですね。わたしは一人っ子ですからうらやましいですわ」

 「しかし……」

 「いいではありませんか、アドプレッサさま。自分に自信がもてるのはすばらしいことですわ。わたしなど……」

 ふと、リアナの太陽のような美貌に影が差した。

 「リアナさま?」

 リアナの変貌振へんぼうぶりにメインクーンが声をあげた。

 リアナはハッとした様子で表情を戻した。再び、光の粒が辺り一面にはじけるような明るい表情となった。

 「いえ、なんでも。それより、メインクーンさまのお話を聞きたいですわ。冒険者として旅をされてきたからには多くの地方のことをご存じなのでしょう? ぜひ、聞かせていただきたいですわ。わたしはこの王宮から外に出たことがありませんので……」

 「では……」

 メインクーンは乞われるままにこの一年の冒険譚ぼうけんたん披露ひろうした。

 語られるたびにリアナは驚き、感心し、ときには怒りを見せた。コロコロとかわるその表情のどれもが愛らしく、美しい。

 ――これじゃあ、兄さんも『あの匂い』を出すわけよね。

 メインクーンはそう納得した。

 やがて、侍女がリアナを呼びに来た。晩餐会ばんさんかいの時間だという。

 「まあ、もうそんな時間。残念ですけど今日はこれまでですね。とても楽しかったですわ、アドプレッサさま。メインクーンさま。またぜひ、お越しくださいね。とくに、メインクーンさま」

 チラリ、と、リアナはいたずらっぽい視線をアドプレッサに向けてからつづけた。

 「今度はぜひ、おひとりで。大切な幼馴染みを放っておく、つれないお方への愚痴ぐちを聞いていただきたいですわ」

 「それはぜひ、聞かせていただきたいです」

 「聞かんでいい!」

 アドプレッサの慌てふためいた叫びが満ちたのだった。


 屋敷へ帰る道すがら、メインクーンは兄に尋ねた。

 「なんで、あんな他人行儀たにんぎょうぎな態度を取るわけ?」

 「フィッツェリアーナ殿下はこの国の王太女であらせられる。我らの主筋しゅすじに当たる方だ。礼儀を守るのは当然だ」

 メインクーンは溜め息をついた。

 「本当、人間って面倒くさい。好きなら好きって言えばいいのに」

 「な……⁉ なんだ、いきなり!」

 「隠しても無駄よ。ちゃんと、匂いがしたもの」

 「匂い?」

 「どんな動物でも感情が動けばそれに応じた匂いが出る。人間には感じられないだろうけど、〝知恵ある獣〟はその匂いをしっかりと嗅ぎ分ける。〝知恵ある獣〟同士は言葉よりもむしろ匂いで相手のことを知る。〝知恵ある獣〟がなにかと開けっぴろげなのは、匂いで全部わかっちゃうから隠す意味がないからでもあるのよ」

 「な……」

 「あの匂いの強さなら兄さんだって自覚してるんでしょう? なんで隠すの? 生殖せいしょくしたいなら生殖したいってはっきり言えばいいじゃない」

 「せ、生殖とはなんだ、生殖とは⁉ 若い娘が下品なことを言うな!」

 「何が下品なの? 子供を作るのはすべての生物にとって共通の目的じゃない。人間はすぐに恋だの、愛だの言うけど、その目的は結局、その一点に尽きるはずでしょう?」

 言われてアドプレッサはしばらくの間、忌々しそうな表情をしていた。

 やがて、吹っ切れたように言った。

 「ああ、そうとも! おれはリアナが好きだ! 幼い頃からずっとずっと好きだった。だが、おれはエリンジウム公爵家の当主であり、リアナはあの王妃ドーナの娘。政敵の娘だ。政敵の娘と愛を語らうなどできるものか」

 笑うなら笑うがいい。だが、おれにはそれ以外できん。

 アドプレッサはそう付け加えるとひとり、先に帰っていた。

 ひとり残されたメインクーンはまたも溜め息をついた。

 『本当、人間って面倒くさい。〝知恵ある獣〟なら地位だの立場だの関係ないのに」

 それから、付け加えた。

 「でも……残念だけど、リアナ姫からは『あの匂い』は全然しなかったのよね」

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