五章 出生の秘密

 〝マウンド〟の近くに騎竜をとめ、徒歩で町中に入っていく。町のなかは重苦しい緊張感に包まれていた。それでも、事が起きた様子はない。

 ――間に合ったようね。

 メインクーンはホッと胸をなで下ろした。

 すでに事が起きてしまっていて、恩を売る機会を逸してしまっては元も子もない。

 「それにしても、一領主に過ぎない身で天下のエリンジウム公爵家に反乱を起こそうだなんてね」

 メインクーンはあきれるのを通り越して感心する口調で言った。

 「もしかして、あなたって相当、舐められてる?」

 言われてアドプレッサはかすかに顔をしかめた。これが常人なら思い切り顔をしかめ、苦虫の百万匹もまとめて噛み潰しているところだ。それを必死で押さえ、ギリギリのところで『冷徹れいてつ貴公子きこうし』という印象を保ったのだからたのだからたしかにこの男、自制心は強い。

 ――ただの格好付けで自分のイメージ守りたいだけかも知れないけどね。

 やや意地悪く、メインクーンはそう思った。

 このスロードロップの〝丘〟で一体、何が起こっているのか。

 その事情に関してはここに来るまでの道中で聞いていた。もちろん、アドプレッサが素直に話すはずもない。最初のうちは何度、聞いても、

 『お前には関係ないことだ』

 その一点張り。

 普通の女の子ならその冷淡な態度に腹を立て、何も聞かなくなるだろう。まあ、それ以前に『普通の女の子』では、とても話しかけられないだけの冷徹な雰囲気をまとっているのだが。

 あいにく、メインクーンは良くも悪くも『普通の女の子』ではなかった。アドプレッサのまとう冷徹な雰囲気などどこ吹く風。そっけない態度もてんで気にしない。何度すげなくあしらわれようともしつこく、しぶとく、聞き続け、ついに口を割らせてしまった。

 「どうせ、そうなるんだから最初から素直に話しておけばよかったのよ」

 ついに根負けしたアドプレッサが渋々、事情を話しはじめたとき、メインクーンはそう言ってのけたものである。

 「辛抱強さで男が女に勝てるわけがないでしょう。最初から素直に話していればお互い、時間を無駄にすることなくすんだのに。まったく聞き分けがないんだから」

 「子供相手のような口の効き方をするな! ……まったく、お前のような頑固な女ははじめてだ」

 「辛抱強さで女に勝ちたかったら、子供を産めるようになって出直してくるのね」

 「お前は子供を産んだことがあるのか⁉」

 「あるわけないでしょう。わたしをいくつだと思ってるの?」

 「………」

 さしものアドプレッサもこのときばかりは表情の選択に困り果てたのだった。

 それはともかくとして、アドプレッサは結局――きわめて渋々と――事情をメインクーンに対して話しはじめた。

 「……グラウカのやつが反乱を企んでいるとの報があった」

 「グラウカ?」

 「スノードロップの領主だ。父の代からのな」

 アドプレッサは忌々しそうに舌打ちした。

 「グラウカめ。父が元気なうちはそれなりに真面目に励んでいたはずなのだがな。病に倒れたとたん、なにかと小悪に手を染めるようになった。父が死んだいま、自分が取って代ろうとでも血迷ったか」

 「つまり、あなたには部下を統御する力がなかったと」

 ジロリ、と、アドプレッサはメインクーンを見た。メインクーンはお澄まし顔ですっとぼけた。

 「ふん。結果を見ればその通りだな」

 ――へえ。言い訳も反論もしないなんて結構、男らしいじゃない。

 ちょっとだけ、鉄面皮てつめんぴの公爵に対する好意が増した。

 「それでどうするの?」

 「まずは様子を見るつもりだったが、ゴロツキを雇って襲撃させてくるとなればその必要もあるまい。このまますぐに領主邸に乗り込み、グラウカを始末する。反乱など起こさせるわけにはいかん」

 「領民を罪人にはできない?」

 「おれの領地でそんな不始末を起こすわけにはいかんと言っているのだ」

 「同じことじゃない」

 「黙れ、急ぐぞ」

 「はいはい」

 そして、ふたりは領主邸に向かった。総領主であるアドプレッサの前をさえぎるものなどむろん、いるはずもなく、ふたりはすんなり執務室に入り込んだ。

 仰天したのはグラウカだった。突然の総領主の来訪に転げるようにして椅子から立ちあがり、窓辺に後ずさる。その姿を見てメインクーンは眉をしかめた。

 スノードロップ伯グラウカは見るからに欲が深く、弱いものいじめが好きそうな中年男だった。そんな男が泡を食って驚く様はなんとも醜いものだった。『スノードロップ伯』というその肩書きは美しく、清楚な響きなのに。

 「ねえ」

 と、メインクーンは声をかけた。

 「鏡を見るたび、肩書きを冒涜ぼうとくしてる気にならない?」

 その言葉に――。

 ふたりの男は無言で少女を見つめた。

 「……お前は少しは黙っていられないのか?」

 「女の口をふさぐのは男の役目でしょ」

 澄ました顔で言い放つ。言われてアドプレッサがかすかに頬を赤らめたところを見ると意味はちゃんと通じたらしい。

 ――まるっきりの朴念仁ぼくねんじんではないみたいね。この歳で、この純情ぶりはどうかと思うけど。

 〝知恵ある獣ライカンスロープ〟に人間的な意味での『恋愛感情』などはない。徹底した個人主義者であるだけに『恋愛』などで自分を他者に縛り付けたりはしないのだ。反面、『子作り』の本能に対してはいたって正直で開放的。

 ――この相手と子作りしたい。

 そう思えば率直に、そう口にする。言われた方も男女を問わず、率直に返答する。そんな習性をもつ〝知恵ある獣〟にとって『純情である』とは、すなわち『ヘタレ』という意味でしかない。

 「グラウカ」

 と、アドプレッサ。制御不能のワガママ娘は放っておくことにしたらしい。

 「きさまの送った手合いは始末しておいた。いまごろは土中でミミズの餌だ」

 「? ミミズは肉は食べないけど?」

 またしても――。

 ふたりの男の視線が少女に集まる。

 「グラウカ」

 アドプレッサは無視して配下の領主に向き直った。

 「父の死後のゴタゴタでずいぶんと小細工をしてくれたようだな。それも今日で終わりだ。せめて名誉は汚さぬようにしてやろう」

 「ヒ、ヒイイィッ、お、おれのせいじゃない! 不作つづきなのはおれのせいなんかじゃないっ、天候のせいだ! なのに、あの愚民どもはおれのせいにして何度もなんども……」

 「なにを言っているの?」

 グラウカの言葉にメインクーンは眉をひそめた。

 グラウカは突然、目をギラギラさせるとアドプレッサを指差して叫んだ。

 「お、お前だ、お前のせいだ、アドプレッサ! 下賎な犬ころ、恥知らず! お前のような下賎の輩がエリンジウム公を名乗ったりするから神罰が下ったのだ! だが、それも終わりた! きさまを殺し、おれが新しいエリンジウム公になるのだ!」

 グラウカは泡を飛ばしながらそう叫ぶと、下品な大声を張りあげた。

 「で、出会え、出会えー、曲者だ!」

 突然、二〇人あまりの革鎧をまとった兵士たちが部屋になだれ込んできた。準備はしていた、というわけだ。その準備が反乱に対するものか、それとも、アドプレッサの突然の来訪に対するものかはわからないが、先手をうって刺客を送っていたことといい、我欲の強い小悪党ではあっても無能ではないらしい。

 「殺せ、そのふたりを殺せ!」

 グラウカの叫びに兵士たちが動きだす。総領主であるアドプレッサにためらいなく襲いかかったところを見ると正規の兵ではなく、グラウカが小金で雇った私兵だろう。しかし――。

 しょせん、ケチった金で雇った傭兵崩れ。まして、室内では数の多さを生かしきれない。この卓越たくえつした剣士ふたりに対抗できるはずもなかった。

 二本のサーベルと二本の刀がひるがえり、たちまち兵士たちを血の海に沈めた。アドプレッサのサーベルが七人目の敵を自身の血のなかに沈めたとき、残りの兵士たちは一斉に逃げ出した。

 「もう逃げるの? 根性ないわね」

 「金で雇われたにしては忠実なほうだ」

 グラウカの方は目の前で起きた出来事が信じられないかのように口をパクパクさせている。

 エリンジウム公爵家の配下として、もちろん、アドプレッサの剣士としての評判は聞いている。しかし、まさかこれほどまでとは思っていたなかったにちがいない。まして、よりによって〝知恵ある獣〟まで一緒だなどとは想像できたはずもない。予想外に予想外を重ねた結果にすっかり自分を見失い、呆然としていた。

 ムッとするような濃密な血の匂いのなか、メインクーンはグラウカに言った。

 「血の匂い。食欲が湧いちゃうわね。あなたの肉はまずそうだけど……」

 ペロリ、と、指先などを舐めあげながら、濡れた瞳でそう語るメインクーンは――。

 まぎれもなく〝知恵ある獣〟の『めす』なのだった。

 残念ながらグラウカはメインクーンの言葉を聞くどころではなかった。アドプレッサがサーベルを手に詰め寄ったのだ。

 「これで終わりだ。言い残すことはあるか?」

 「お、おれの口を封じてももう無駄だぞ、アドプレッサ! きさまの秘密はもうつかんでいるんだ!」

 「秘密?」

 眉をひそめたのはメインクーンであってアドプレッサは文字通り眉ひとつ動かさなかった。

 「アドプレッサ! この貴族とは名ばかりの平民め! きさまが実はエリンジウム公の後継ぎでもなんでもない、騎士上がりのきさまの父親が町娘に生ませた卑しい犬っころにすぎないのはもうわかってるんだ! そうとも、おれはきさまの父親が娘に当てた手紙を手に入れたんだ。

 そこにははっきり書かれていたぞ。『私たちの子供』とな。おれはその手紙を陛下にお送りしたんだ。これできさまも終わりだ、ざまあみろ。それがいやなら這いつくばれ、土下座しておれの靴を舐めろ、それをしたらおれの奴隷として使ってやるぐらいのことはしてやるぞ」

 グラウカは口汚く罵りつづける。恐怖にかられて自分でもなにを言っているのかわからなくなっているのだろう。

 「黙れ」

 アドプレッサがしずかに言った。

 「縛り首だ、縛り首だぞ、平民のアドプレッサ、卑しい犬っころ、ざまをみろ……」

 「黙れ」

 その一言と共に――。

 突き出されたサーベルがグラウカの口を貫いた。白い切っ先は後頭部まで突き抜けていた。サーベルを引き抜き、刀身に付いた血を払い、鞘におさめる。

 メインクーンはじっとアドプレッサを見つめた。

 アドプレッサは白亜の彫像のように血の海のなかに立ち尽くしていた。

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