3‐17天才少年星辰がくる
「これ、なんですか」
「日蝕の日時だそうだ。はは、やられたよ」
占星師である
「私は無知なもんで。
「安心してくれ、俺もだ」
どうみても暗号だ。素人に読解できるものではない。
「いやがらせじゃないですか!」
「かといって、約束を反故にされたわけじゃないからな。責めるに責められない」
みているだけでも頭痛がしてきて、妙は窓に視線を移す。
累神の庭では
「休日にまで呼びだして、すまなかったな」
「とんでもないです。ただ、これはちょっと、私ではどうしようもないといいますか……うっぷ、みてるだけで気分が」
「さすがに占星師の知りあいはいないからな。どうしたものか」
ふたりして、頭を捻っていたところ、風もないのに、軒端に提げられた風鈴がちりちりと音を奏でた。累神が微かに警戒を滲ませて、腰をあげる。
「誰だ」
「あの、
「連絡もなく、訪れてしまい……ご迷惑だったでしょうか」
「そんなことはないさ。遠慮なくあがってくれ。とはいえ、こんなところまできて、よかったのか? 抜けだしてきたんじゃないだろうな」
「だいじょうぶです、母様からお許しをいただき、馬車に乗って参りました。皆様のおかげさまで、ずいぶんと体調が落ちついてきたので。あれ、それは……」
累神は「なんでもないんだ」と卓に拡げていた書紙を折りたたもうとしたが、星辰は興味津々に覗きこんできた。
「占星ですか? 星の周期を計算したものですよね」
「わかる、のか?」
「だ、だって、
妙は星辰の肩をつかみ、書紙を指さす。ゴキブリでもいるみたいな剣幕だ。星辰は瞬きをして、再度書紙に眼を通した。
「日蝕の周期、でしょうか。ええっと、この計算だと夏の終わりに日蝕があるんですね。ここの方程式を解けば、正確な日時、秒まで割りだせるようになっています」
「解けそうか?」
「え、はい、紙と筆をお借りできれば」
「九月の七日。午後三時八分から七分間に渡って、日蝕が続くそうです。昨日発表された即位の儀と同時くらいですね」
星辰が「素敵な偶然ですね」と嬉しそうに語る背後で、累神と妙は視線をかわす。妙の読みどおりだったということだ。
だが、例えば日時を教えられたところで累神にはそれを疑うすべはなかったが、方程式ごと渡されたおかげで、確証が得られた。禍を転じて福となすとはこのことか。
「ありがとう、星辰。助かった」
「
累神が星辰の頭をなでた。星辰は頬をそめて、はにかむ。
「ところで、なにか俺に用事があって訪ねてきたんじゃないのか」
「実は……その」
星辰は緊張して、瞬きを繰りかえす。
「都では今、八年に一度の
「ああ、そうらしいな」
「そ、そこで……なのですが、ぼくも祭を観にいきたいなと」
累神は難色を示す。
「気持ちはわかるが、おまえは病みあがりだろう。無理をして、また倒れるようなことになったら……」
「この頃、とても調子がいいんです。侍医は
星辰の口調が熱を帯びて、段々と速くなる。
「
星辰は垂れめがちの瞳を潤ませた。
(うわあ、捨てられた仔犬の眼だぞ、あれ)
いっさい他意なく、あんな眼ができるのだから、よけいに破壊力がある。累神は眉根を寄せ、葛藤していたが、結局は折れた。
「ほんとうにだいじょうぶなんだな?」
「げんきいっぱいです」
胸を張る星辰をみて、累神は苦笑する。
「わかった。一緒にいこう。そのかわり、ちょっとでも気分が悪くなったり、動悸がしたら、隠さずに言ってくれ。いいな」
「わあ!
星辰は感極まって累神に抱きついた。
その様子があまりにも微笑ましく、妙は笑みをこぼす。
(懐かしいな)
いつだったか。妙もまた、
風邪をひいた時、粥ではなく、揚げ鶏が食べたいとねだったのだ。あの頃は揚げ鶏といえば、年に一度食べられるか、という高級な食べ物だった。姐はこまったように笑いながら、うんと働いて、腹いっぱいの揚げ鶏を食べさせてくれた――にもかかわらず、風邪をこじらせていた妙は酷く鼻がつまっていて、味がわからず、後悔だけが残ったのだった。
「いつだって、ぼくの夢をかなえてくださるのは、哥様ですね」
屈託なく微笑む星辰は幼けなかった。熟練の専門家が組みあげた占星の方程式を、たった数分で難なく解いたとは想えないほどに。
それでいて、彼の微笑は、何処となく果敢げだった。
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