3‐14「姐は幸せになるべきひとでした」
錦珠は予知された茶杯の底に毒をぬり、皇帝を毒殺した。
「
「悪趣味にも程があるな」
「ただ、坊ちゃまの憂さを想えば、致しかたないとも」
乳母は眉を垂らす。哀れみが滲んだ。
「錦珠坊ちゃまは御母君から一度たりとも褒められることもなく、御育ちになったので」
「
「福の星に産まれついたからこそ、です」
乳母は視線をさげ、言い難そうに続けた。
「
「ああ、……皇帝は、俺の母親を皇后から降格することはなかった。難産で、新たな御子を望めない身になっていたにもかかわらず、だ」
皇帝は
「妃様はたいそう憤られ、その御怒りはあろうことか、錦珠坊ちゃまにむけられました。失敗すれば、役たたずといって折檻をし、努力をなさって成功されても、皇帝になれなければ意味がないと頬を張り――」
乳母は涙ぐみ、言葉の端を濁らせた。
「十三年前、皇后様が儚くなられてからは、特に」
「皇帝が新たな皇后を迎えなかったからか」
「ご推察どおりです。妃様は
累神が顔をしかめた。
「……確か、錦珠の母親は病死だったか」
「左様です。医官は肺病だと診断しましたが、皇帝陛下の件があってからは……妃様も錦珠坊ちゃまに毒を盛られたのではないかと疑っています」
話の軸がずれてきた。
「
「……錦珠様が突如として月華様を斬り、御命を奪ったのです」
にわかには信じられない話に累神が眉をひそめた。
「なぜだ。それだけ有能な予言者を殺すなんて、錦珠にとっても大きな損失だろう」
抜けだして外部に告発したとしても、彼女のような後ろ盾のない女の証言を信じるものはいない。口封じで殺すとは考えにくかった。
「……あの晩、なにがあったのかは、私にはわかりません。ただ、夜更けに月華様の悲鳴が聴こえて。何事かとおもって
心神喪失したように黙り続けていた
「
良心の呵責に堪えかねたのか、乳母が泣き崩れた。
「錦珠坊ちゃまを、どうか制めてください……それができるのは累神様のほかにはおられません」
錦珠は人を殺すことにためらいがない。
仁徳なきものが皇帝となれば、いかなる悪政が敷かれるか。想像するだに恐ろしいと乳母は身震いして、
「わかった。そのかわり、貴女には密偵になってもらう」
「承知いたしました。罪を償えるのでしたら、命は惜しみません……」
風にあたれば、気分が落ちつくだろうかとおもったが、いっこうに収まらなかった。妙は降り続ける雨のなかに踏みだす。雨の雫が妙の頬を打ち据えた。
「……妙、濡れるぞ」
追いかけてきた累神が静かに声を掛けてきた。
妙は振りかえらなかった。ただ、ぽつとつぶやいた。
「姐はやさしいひとでした」
「……ああ」
累神は静かに肯定だけをかえす。
「損ばかりしてきたひとでした」
「ああ」
「つらくても、かなしくても、いつだって微笑んでばかりいて」
「ああ」
「幸せになるべきひとだった」
「ああ」
「やっぱり、神サマなんか
言葉の端が涙で滲んだ。
たえきれずにしゃくりあげて、
「……こらえなくていい」
累神が後ろからそっと妙を抱き締めた。哀しみに寄り添うように。
「累神、様」
強くならないと。
どんな時でも、笑顔を絶やさずに頑張らないと――そう思い続け、張りつめてきた妙のこころが、ひとつ、またひとつと弛み、ほどけていった。
「う……ううっ、あああああぁぁ……」
あふれだす涙は雨の雫に紛れても、湧きあがる悲しみはつきない。妙は声をあげ、累神の腕のなかで泣き続けた。
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