9-3 鉄血山を覆うて(2)

 火薬庫、襲撃--!!

 その知らせを、利良は根占沖(現・鹿児島県南大隅町沖)に停泊中だった軍船・赤龍丸の船内で聞いた。

 利良が拘束・拷問されてから、さほど日も経過していない内に起こった襲撃事件。

 利良は堪らず、荒縄の痕が未だ残る腕を壁に叩きつけた。

(何故、おいは説得できんかったとか! 何故、私学校生が抱えっちょい燻りをさぐることができんかったとか!)

 湧き上がるのは、己の不甲斐なさと後悔ばかり。利良は拳を握りしめたまま、舷窓(※ 船の窓)から見える鹿児島を強く見据えた。


 「……っ」

 遮る物もない陽光が、舷窓の特徴的な輪郭そのままに、船内に差し込む。

 あまりの眩しさに、利良は顔をしかめた。

 無意識に体に力を入れたせいか。ほぼ全身が、強烈な痛みを放ち悲鳴を上げる。利良は歯を食いしばり、叫びそうになる声を抑えた。

 見慣れない部屋。

 見渡しても誰もおらず、利良は、壁に寄りかかるように体を起こした。そして、舷窓の縁を掴み、必死に体を伸ばして外を見る。

 深い紺碧の海。その向こうに見える陸は--。

「城山……? まさか!?」

 夢ではない。

 確実にその場所にいたはずだ。

 晋祐の屋敷にいたこと。それが辛さと痛みを伴って、断片的な記憶が残像として脳裏に蘇った。

 それが、何故か今。利良は鹿児島の街を臨む洋上にいる。自身に何が起こったのか、全く見当がつかない。利良は、壁伝いに歩き出した。

(甲板に……甲板に出らんな!)

 妙な予感と焦る気持ちが、利良の生魂いっだましいを突き動かす。どうしようも無く言うことを聞かない体を引き摺り、利良は壁を支えに、一歩足を踏み出した。

「どけ行っとな」

 低く響く聞き覚えのある声が、耳を掠める。辿々しく不安定な足元から目を離し、利良は顔を上げた。

「……大久保様おおくぼさぁ

「そげん体で、どけ行っとな」

「いや、そん前に説明ば、しっくいやんどかい(※ してくれないだろうか)?」

「説明? 何の説明な」

おいはいつ船に乗ったたろかい!? 晋祐殿しんすけどんは!? 晋祐殿は、大丈夫っじゃろかい!?」

「……」

「晋祐殿な俺を助けっじくいやったせいで、どげんか目にうちょらんどかい!!」

 全身の痛みを跳ね飛ばすほどの焦る気持ちの勢いが、無意識に利良を突き動かす。

 怒鳴りながら、倒れ込むように大久保の胸倉を掴んだ。

「大久保様っ! 答えっくいやい!」

「無事と、報告ば受けちょいど」

「……報告? 報告、っち……まさか」

 まさか、また密偵を? 

 西郷の下野により、中央政府への不満を爆発寸前まで宿している私学校生。政府や密偵に尋常じゃなく過敏になっている彼等に見つかることがあったら……。

 利良の脳裏に考えうる様々な危惧がよぎる。サッと血の気が引いた利良は、その場に崩れ落ちた。

「まだ……そげんこっを」

「私学校生の動向は、予断を許さん所まで来ぃちょっ。多少の危険と犠牲は想定内じゃ」

「……多少の危険と犠牲!?」

 淡々とした抑揚のない大久保の言葉が、余計に利良に渦巻く不安を掻き立てる。

 跪く利良は、大久保に縋りついた。相変わらず冷たく光を放つ目をして、大久保は利良を見下ろす。

「草牟田ん陸軍省砲兵属廠(※ 当時、鹿児島にあった政府の武器庫)ん武器を、大阪に移す」

「……え?」

「お前も分かっちょっはっじゃ」

 目を見開き驚く利良を他所に、大久保は舷窓の向こう側に臨む鹿児島に視線を移した。

「鹿児島はふとないすぎた。俺殿等おいどんら政府に反旗をひるがえっ機会を、今か今かとうかががっちょい」

「しかっ(※ しかし)!」

「陸軍省砲兵属廠が、いつ掠奪りゃくだつさるっかもしれん」

「!?」

 当時、陸軍はスナイドル銃を主力装備としていた。

 その弾薬等は旧薩摩藩が設立した兵器・弾薬工場、鹿児島属廠で製造され、ほぼ独占的に供給されていた。長年にわたる薩摩の強兵政策によるものだと言える。

 スナイドル銃の弾薬(実包)は、薬莢の主材料である真鍮を特殊な技術で成形していた。この薬莢こそが。これが無ければスナイドル銃は、銃としての機能を果たさないのである。

 構造的には個人で作成できるほど、単純な作りであった弾丸。

 しかし、個々の小さな生産では、海外との有事に突入した場合を想定すると、弾丸の供給は目に見えて困難を極める。大量生産が可能な専用の設備を有しているのは、当時の日本国内には存在していなかったのだ。

 工業基盤の有無等一つをとっても。遥か南で独自の発展を遂げた鹿児島と、海外の知識をと中央政府の力関係を拮抗させていた主要因の一つであったのだ。

「話を……話ば、せんなッ!! 武器庫は薩摩ん誇りじゃ!! 政府が持っじたっち分かれば!!」

 大久保の言っていることは正しい。

 正しいのはわかっているのだが。

 同郷同志の歪み合いをこれ以上見たくない、そう思った利良は、大久保に強く反論した。

「少なくとも、ふっとか内乱は回避でくっじゃろ」

「ふっとか内乱は回避でくっかも知れんどん! くすぶいは、消ゆっどこうかふとなっしも!!」

 利良が自分の思いの丈を叫んだ、その時--。

 ドォォォン! と、凄まじい爆発音が響いた。生じた空振が、赤龍丸の船体を揺らす程の強烈な爆発音。

 利良は体の均衡を失った利良は、堪らず床に手をついた。

「城山っ方角に、黒か煙があがっちょ!!」

 頭上で飛び交う怒号と足音に、一気に船内が騒がしくなる。

「川路殿、おはんは暫くここで休んどっきゃい」

「大久保様ぁ!!」

 そう言い残し、大久保は利良に返事をすることなく踵を返した。

 圧迫されそうなほど強い鼓動が治らない利良は、壁にしがみついて舷窓の枠に手をかける。軋む体を精一杯伸ばして、利良は舷窓の向こうに広がる鹿児島を見た。

「……まさか! 本当ほんのこっな!?」

 錦江湾から見える小高い山・城山の向こう側から、黒い煙が黙々と上がる。

 その煙は鹿児島を覆いつくさんばかりに、大きく広がっていった。

「ッ!!」

 その様子に、利良は堪らず唸り声を上げる。後悔と悔しさが余計に胸を締め上げ、利良は荒縄の痕が未だ残る腕を壁に叩きつけた。


 ✳︎  ✳︎  ✳︎


 一方、晋祐の身の回りは、急速に反政府の風が強くなっていった。

 俗にいう「弾薬掠奪事件」からしばらく。私学校に足を運んだ晋祐は、手にしていた教科書を落としてしまうほど驚愕した。

 に人集りができている。

 厭な予感しかしない--!!

 晋祐は人集りを掻き分け、小屋の中を覗いた。

「……どうして、こんな!!」

 目の前に半宙吊りにされた若二才。

 その体にはおびただしい数の深い傷跡。

 晋祐の心臓が、痛いほど締め付けられる。

 掠奪事件に勢い付いた私学校生等は、鹿児島に残る警視庁帰県者の中原尚雄等を再び拘束。利良より酷い拷問を開始したのだ。

 若二才の姿が、利良の姿と重なる。晋祐の体が咄嗟に動いた。

「こんな事! すぐに辞めるんだ!!」

 晋祐は、鞭を持つ私学校生の腕にしがみつく。

「こんな事しても、何もならない!! 政府に何か言いたいのなら、正々堂々と言うべきだ!! こんな事は、百害あって一利なし! 直ちに辞めろ!!」

「先生ッ!! 止っくいやんな!! こん卑怯者等ひっかぶいは、南洲翁の暗殺ば企てちょっごわんさぁ!」

「まだそんなことを!! いい加減にしろ!!」

 私学校生は乱暴に腕を振り回し、晋祐を払い除けた。苦々しく晋祐を睨みつけると、私学校生は極力冷静に気を遣いながら、言葉を放つ。

「自白は、取れちょいす」

「自白……? こんな酷い責めをしたら、真実とでなくとも自白するだろう!!」

おい達ゃ、既に四十人もの卑怯者の自白を書に起こし申した」

「よ、四十人……!?」

「いずれん卑怯者も『大警視に南洲翁の暗殺ば指示された』ち、自白しぃちょっごわんど!!」

「大警視……!?」

 晋祐は、耳を疑った。

 まさか……利良殿が? 

 そんなこと、決して指示するはずはない! 

 拷問を受けた際も、利良自身決して言わなかったではないか!

 利良に罪がないことは、晋祐自身よくわかっている。

 しかし、その事実を晋祐が主張すればするほど。目の前の若二才や、他の者等への責めが酷くなることは、容易に想像がついた。

(やはり、俺は何もできないのか……?)

 晋祐は拳を握りしめ、小屋を後にする。

 もう、ここには用はない。

 もう〝何もしなかった人〟でいい。

 黎明など、もう。

 俺には、関係ないのだ--。

 これからの人生を、畑を耕し、語学を活かせば。キヨとゆっくり生きていくだけの蓄えもある。

 晋祐は、落とし散らばったフランス語の教科書もそのままに。振り返ることなく私学校の門扉をくぐった。


 小根占(現・鹿児島県錦江町)で衝撃の報告をうけた西郷隆盛は、激しく狼狽したという。中原等の自白書が取られた翌日には、私学校本校に入った。さらにその翌日、私学校幹部および分校長等が集合し、今後の方針を決定する大評議が行われる。

 大評議は武装蜂起べしという主張や、政府を詰問すべしと主張。さらには天皇に直接上奏する策等、諸策百作し氷結した堀の水が溶けるほど紛糾したと言われる。

 篠原国幹しのはらくにもとが「義を言うな(※ 文句を言うな)」と、紛糾する一同を黙らせると、桐野利秋きりのとしあきが「断の一字あるのみ。旗鼓堂々総出兵の外に採るべき途なし」と断案した。

 この桐野の発言が全軍出兵論であり、多数の賛成を得ることになる。

 その後は、驚くほどの対応力で、西郷が率いる軍の役職が決まり、従軍志士による大隊も十箇小隊計約二千からなる大隊編成もなされた。

 いよいよ、西郷軍・薩軍が動き出したのだ--!!

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