土足=現金

 ターゲットである家が今日、家主が不在であることは確認済みだ。


 既に家から出かけているし、後ろ姿を見たらスーツケースを引いていた……、とんぼ返りをしてくることはないだろう。


 念のため、じっくりと三十分ほど待機してから――、予定通りに窓から家の中へ侵入する。


 高級住宅街の一戸建てだ。

 警報などは事前にチェックしており、気づかれないように解除している……、もちろん、私一人の手ではなく、仲間と協力しておこなったことだ。


 準備は万端――、周囲の環境も塀が高く、木々が生い茂っており、人の目も少ない……、高級住宅街だからこそ、防犯機能が潤沢であるというイメージにあぐらをかいているのだろうな。

 防犯装置は起動していなければ目的を果たせない……、鉄壁、と思える壁も、空き巣の目の前に立っていなけければ進行方向を塞ぐことはできないのだ。


 この家には飼い犬などがいないことも確認済みだ。

 部屋に入った途端に吠えられたら最悪だ……、まあ、犬が吠えていたところで、離れた隣家の主人がわざわざ声をかけてくることもないだろうが……。


 そう、家と家の間にはかなりの距離がある。

 敷地が広いということは異変を察知されにくいという意味でもある――、空き巣の目線で考えれば、高級住宅街は警備が厚くて難関そうに思えるが、唯一のデメリットであるそこさえ突破してしまえば、後は簡単だ。

 鍵もかからないボロいアパートよりも安心して盗みを働ける……、外側に向いている警戒の目を潜り抜けてしまえば、内側は一切の目がない。


 とは言ったが、監視カメラはあるわけで、気を付けなくてはならないが。



「……さて、金持ちの家だ、宝石はたんまりとあるだろう……。持ち運びやすいそれをメインに集めながら…………、他に金目のものとなると――アンティークの品か?」


 金庫が開けばそれが一番だが……、ダイヤル式だと解除に時間がかかる。最短でも時間がかかるだろうことは予想されるのだから、手を出すつもりはない……。

 金目のものがなければ手を出すかもしれないが……宝石類で充分に成果はあるだろう。


 痕跡を残さないのは不可能だ……、だから部屋を汚さない、物の位置を変えないことにこだわったりはしない。

 徹底して崩さないことを意識するなら、部屋の状態を最初に写真に撮って、最後に確認して戻す作業が必要になるが、そこまでするなら最初から度外視した方がいい。

 たとえ人が入った痕跡がなくとも、なんとなく気づくものだ……、家主にしか分からない部屋の雰囲気……、他人が入っただろう『匂い』で。


 完全隠蔽は不可能なので意識しない。


 痕跡を残さないことよりも、金目のものを取りこぼさないように意識するべきだ。



 部屋を物色し、目についた宝石、アクセサリーを袋に詰めていく。

 引き出しを開ける度に見つけるので、すぐにカバンが膨らんでしまいそうだ……一応、大きなカバンを持ってきてはいるが、このペースだとカバンに入り切らないだろう……。

 部屋にあった布製の袋を借りて、持ち運ぶこともできそうだが、量を考えると季節外れのサンタクロース状態である。

 収穫がたくさんあるのはいいが、持って逃げられなければ意味がない。


 空き巣としては悔しいが、盗めそうでもやはり少し置いていくことを考えなければ――



「おっと、忘れ物、忘れ物――」



 と、玄関の方から声がした。


 ……な、なに!?


 帰ってきたのか!? 家主が――どうして!?


 カバンと、袋に詰めた盗品を抱えて窓の外へ逃げ出そうとしたが、焦りのせいか、荷物の重さのせいか、ぐらりとよろめいて転んでしまう。

 袋の中から宝石類がこぼれ落ち、肩から突撃した棚が手前に倒れ、大きな音が響いてしまう。


 二階にいるとは言え、今の大きな音は一階に届いてしまうだろう……。


 玄関で動きを見せていた家主の音がぴたりとやんだ……、それは二階から響いてきた私の動向に耳を傾けているからか……?


 まずい……足音が近づいてきている……、階段を上がってくる音だ……っっ!


「だ、誰か、いるのか……?」


 恐る恐る、と言った様子で私がいる部屋のドアノブがゆっくりと回されて――くそッ!


 こうなったら宝石は諦めるしかない。

 とにかく、手がかりは残してもいいが、顔だけは見られないように――。仮面をはめているとは言え、目は相手からも見えているわけだ。

 眼球一つでも、後日、すれ違った時にぴんときてしまえば、その場で捕まる可能性がある……であれば、顔を合わせるべきではない――。


 大量の盗品を見て、名残惜しいが、カバンと袋を捨てて脱出を試みようとした――だが、扉が開く方が、一瞬だけ早かった。

 家主が部屋にいる私を認識した。


「あ……、」


「チッ……ですが、しかし! まだ手がかりとしては薄いでしょう!」


 薄くても手がかりがあれば私の元へ辿り着くのは時間の問題だ……、ここで逃げることは延命でしかないが……、ですが、織り込み済みである。

 こっちもこっちで、遊びで空き巣をしているわけではないのだから。


 私は窓枠に足をかけ、



「――これ以上ッ、触るなッッ!!」



 と、怒号があった。


 家主である男性……だろう。女性的なフォルムで、しかも髪が長いので女性に見えるが、しかし、声や顔立ちは男性にも思える……。

 怒号はその人の素が見えるものだから……、やはり声の低さから男性なのだろう。


 彼は言った……「触るな」と。


 逃げるな、ではなく?


 待て、と言われていたら逃げていたが、触るな、と言われたからこそ、反射的に窓枠から離れてしまった。

 熱いものに素手で触れてしまったように……。

 特別、窓枠に危険物があったわけでもないのだが……。


 待てと言われたら待たない空き巣の心理を利用し、待てと言わないことで足を止めさせたのだとすれば、咄嗟にしては効果てきめんの手法である。


 実際、足を止めて家主と顔を合わせてしまったのだから……。


 これで仮面から見えている目と――体格、背丈がばれてしまったわけだ……、少なそうに見えても膨大な手がかりである。


 指紋一つで特定される時代だ……、情報がいくつもあれば敗戦は確実だ……。


 終わった、と肩を落とせば、しかし近づいてきた家主は私の手に手錠をつけるわけではなく、しゅ、と、霧状になった液体を吹きかけた……、消毒液?


 感染対策か?


。素手ではないようだけど、その手袋が汚ければ意味がないだろ……、部屋をぺたぺた触るんじゃない」


「え、あ、はい……」


「他になにを触った? 壁か? ドアノブか? 窓枠もだな?」


 私が申告しなくとも、彼は目につく気になるところを消毒していく……、そしてカバンと袋に詰められた宝石に目を向け……、


「……もうこれはいらない。あんたが触ったものに触るのはごめんだ」


 ……消毒すればいいのでは? と思ったが、価値が下がるのだろうか?

 それとも消毒して置いておくくらいなら、新しく手に入れる、か……?

 なんにせよ、事前の情報にはなかったが、彼は潔癖症らしい……正確には不潔恐怖症か?


 実際に清潔であるか、不潔であるかは問題ではなく、自分がどう思うかであり……、消毒したからと言って絶対に清潔であるとも言い切れないわけだ。

 だけど消毒をして、ひとまず彼の中で『清潔である』と答えが出れば、触ることができる……、だから実際のコンディションは関係ない。


 私が土足で踏み込んだ床も、タオルで拭うのではなく、霧状のそれで消毒しただけだ……、私でもまだ汚いだろうと思うが、彼の中では及第点のようだった……分からん。


 潔癖症なのかそうじゃないのか、曖昧な男だった……。


「もういい、全部持っていけ。そして二度とくるな。……いくらでも家の物を盗んでもいいが、部屋の中を不潔な体で触られるのが一番嫌なんだ……、――出ていく時もあまり家に触るなよ」


「…………捕まえない、のですか……?」


 藪をつついて蛇を出す状況になりそうだったが、聞かないことはできなかった。


 単純な興味である。


「そりゃ捕まえないだろ。警察にずかずかと部屋を荒らされたくないのでね。それに、これからまた遠出だ、予定が後ろにずれ込むのは家が汚れるよりもがまんできないんだ」


 だから早く出ていけ、とカバンと袋を押し付けられ、二階から押し出された。

 私は大きな荷物を抱えて庭から外へ……。

 高級住宅街の中で堂々と盗品を持ち帰り、駐車場に停めていたレンタカーへ積み込む。


 途中、すれ違う人に怪しく映らなかったのは、私が堂々と歩いていたからだろうか……。これが空き巣として、だったら、こそこそとして怪しく映っていただろう……。

 カバンと大きな袋を抱えた仮面を被った男は、怪しそうだが、大道芸の人、と思えば、違和感はないのかもしれない……、高級住宅街にいるかどうかは怪しいところだが。


「……成功?」


 まあ、成功だろう……盗品が一つの漏れなく持ち帰れたのだから。


 ただ……、試合に勝って勝負に負けた感覚だった……。


 スッキリしない決着のつき方である。


 だけど、これは一つの成功の道として舗装されたようなものか?



 空き巣をするなら潔癖症の家へ入れ。



 見つかっても汚れを優先して、見逃してくれるかもしれない――。


 ただし、私たち自身が社会の汚点であることを忘れるな。



 土足の汚れよりも勝れば当然、私たちが駆逐消毒されるだろうから。

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