タイムリミット・スローライフ その2
「あ、イオラ、竿がしなってる」
「ほんとだ! 大物だといいね!」
それが今日の夕食になる。
どんな料理にしようか、と頭の中で考えていると――、
釣り上げた魚が宙を舞って、地面に落ちた。ぴちぴちと跳ねる魚は――大物だ。
「やったっ、でっかいよ、ハイネ――、ん? ハイネ? どしたの?」
「……あたし、疲れてるのかも。……家で休むね」
「え、ハイネ!?」
呼びかけの声も無視して、あたしは逃げるようにその場から距離を取った。
……昔のことを思い出したから、トラウマがあたしの目をおかしくしちゃったのだろうか……寝たら治る? 治ることを期待しないと、不安でまた体調がおかしくなる……。
「……魚と、水飛沫が……ゆっくりに見えるなんて……」
そういう演出は映画で見たことがあるけど……、現実の世界で起こることはない。
達人同士の戦いで稀にある、『ゾーン』がそれに近いのだろうけど……。ただじっと待っていただけのあたしが、その境地に入ることはできないはずだ。だから異常なのだ……。
疲れのせいだ。
自由に寝食ができる贅沢な生活を送っておいて、なにが疲れだと言われそうだけど、トラウマのせいで体調が急激に変化することはあるのだから、軽んじてはいけない。
これが原因で大病を患えば、貯金だけでは苦しくなる……。また、鬼のように多忙な毎日を過ごすことになるかもしれない……、それは嫌だ。それだけは絶対に……っ!
家に戻り、ベッドに横になって眠ろうとするけど、眠れない……チクタクと、時計の針の音だけが嫌に大きく聞こえてきて…………。
意識が全然、沈んでくれない。
針の音で、どんどんと意識が浮上してしまう……。
「……なんかおかしい……」
なにが? と言われれば、はっきりとはしないけど……あたしの勘違いかと思ったけど、やっぱりおかしいのだ。
針の音が、ゆっくりで――秒間がすごく、長い……。
「一秒の間に六秒、くらい……あるよね……?」
「気づいた?」
体を起こすと、隣にイオラが座っていた。
心配してあたしの様子を見てくれていたのだろうか……。彼女が近くにいることに気付けなかったのは、気づかぬ内に意識を落としていたから……?
でも、針の音はずっと聞こえていたし……。
飛び飛びの意識を、自分で繋げてずっと起きていたと勘違いしていたのかもしれない……。
「うん、ちょっと寝ちゃってたのかも……」
「あ、じゃなくて。ほら、時計の針が進むの、遅いでしょ?」
イオラが指で、置き時計を小突く。
秒針が、やはりゆっくりに動いていて……。
「……故障?」
「じゃないよ。時計は正確に動いてる。
だから
「遅、く……?」
「ハイネが、『スローライフを送りたい!』って言ったからさ。
その要望通りに、『スロー』な『ライフ』を送らせてあげようと思って」
「ちょっ、待って!? スローライフって、そういうことじゃないよ! っていうかスローなライフを送らせようと思って、できるものなの!? イオラは神じゃあるまいし!!」
「神じゃないけど、『魔法使い』でしょ? わたしたちはさ――」
「それは……、あたしたちは騙されたのよ。『魔法使いになれます!』なんて言われてさ、入学した専門学校の内容は結局、本当かどうかも分からない魔法書を読んでいただけじゃない。
効果があるのかどうかも分からない魔術を試してみて、呪文を詠唱してみたりして……。先輩に誰一人、大成した人なんかいなかった。
今も活躍している魔法使いは、『マジシャン』や『サーカス』の……演芸のプロよ。あたしたちが勉強して得られたものは、会社へのコネ……社会への片道切符よ」
学生時代のことを聞かれると、説明したくない過去になる。
同じ趣味を持った仲間と出会えたことは嬉しかったし、毒にも薬にもならなかった思い出は大切だけど、あの学校で学んだことはなに一つとして身になっていないし、今後の役にも立たないだろう……、あたしたちは空間に学費を払ったようなものだった――。
「あたしたちは魔法使いじゃないのよ、イオラ――」
「魔法使いじゃなくても、学園にあった魔法書は本物だったんだね」
「……まさか、魔術……?」
効果があるかも分からなかった、あの魔法書の中に書かれてあった手順を踏んで実行した魔術の結果が、これだって言うの――!?
「効果があるのかどうかも分からなかったって、ハイネは言ったよね……、じゃあ『効果がない』って言い切ることもできないってことじゃん」
「それは、そうだけど……」
実際にこうして異常が見えているのだから、効果があった証明には、なる、のか……?
魔術。
世界の時間をゆっくりにする、魔術……。
「それでこの魔術、段々とゆっくりになっていって、最終的に時間が止まるみたい。
わたしとハイネは大丈夫みたいだけどね……、だからお金がなくなっても、ずっとスローライフを送ることができるよ!」
「バカ! 時間が止まるってことは、食べ物が育たなくなるし、静止した世界で食べられるものを食べ尽くしたら、それ以上には増えないってことなのよ!?
あたしたちが苦も無く生活できたとしても、最終的には餓死するじゃないの!!」
「…………え、あ――」
さっ、と、顔面蒼白になるイオラが、分かりやすくあたふたと焦る。
「ど、どうしよう!? 完全に静止した世界で物が動かせるか分からないし……、もし魔法書のページも開けなくなったら――解呪の方法も分からないかも!?!?」
「なら早く解呪するわよ! 完全停止する前に、この魔術を止めるの!!」
時間が止まるまでしか、残された時間はない。
時間がゆっくりになっているのに、タイムリミットが迫っていると言うのは、なんだかおかしな表現である。
「いま気づいたけど、わたしたちだけ周りよりも老けてるってことじゃん!!」
「いま気づいたの?
あなたの理解力も一緒に遅くなっているのかもしれないわね」
「辛辣ぅ!?」
―― おわり? ――
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