引き金タイトロープ
「――全員、その場から動くな……、
動けばこの女の命がどうなるか……分かってるだろうな……?」
覆面を被った分かりやすい強盗である。
その男は拳銃の銃口を、人質に取った女性のこめかみに当てて、人差し指を引き金にかけている。少しでも力を入れれば、ばんっ、と女性の頭が撃ち抜かれるだろう……――即死だ。
この近距離で外すわけもないし、鉛玉が頭蓋を割れば、十中八九、死ぬだろう……。
頭蓋が割れても脳みそが無事である可能性に賭けるか……?
いいや、死ぬと思っておいた方がいい。
犯人は内容こそ明言していなかったが、動けば『どうなるか』……と言えば、間違いなく『殺す』という意味だろう。
強盗をするくらいだ、人質の命を奪うことに今更、躊躇いもないはず――。
人質はこの場にいる全員だ。
……一人や二人、殺したところで問題はないと思っているはず……、さすがに銀行職員を殺してしまえば、金が奪えない本末転倒なことになるのでしないだろうけど……客なら問題はない。
見せしめに一人くらい殺すべきか、とでも思っているのかも――。
それとも思い立ったらすぐに実行するか?
思い返せば、彼はまだ射撃をおこなっていない……だからあの拳銃が本物であるとは――
パァン、という銃声。
天井に穴が空き、鉛玉が拳銃の脅威と『本物』であることを証明してくれた……、危ないところだった。
中途半端な正義感で女性を助けようと動かなくてよかった……――もしも動けば、撃たれていたのは天井でなく俺である。
……まさかこんなことに巻き込まれるなんて……。
手数料をケチって、銀行になんてこなければ……巻き込まれることもなかったのに。
急ぎで必要なお金なら、近くのコンビニで下ろせばよかった……。
まあ、後悔してももう遅い。
巻き込まれてしまった以上、あとはどう抜け出すか、だが――。
「おっと、通報なんかするなよ……客は動くんじゃねえ。そして、その場に座れ。そうだ、手を頭の後ろで組め――余計な動きを見つければ、この人質は殺す……、殺すからな――おいっ、マジで殺すぞ、こっちは本気なんだからなあッッ!?!?」
と、犯人の怒声が聞こえ、彼は銃口を、乱暴に女性のこめかみにガチガチと当てている……。
――めちゃくちゃ怒ってるじゃん、と思えば……どうやら俺に言っているらしかった。
「……え?」
「え、じゃねえよ! お前に言ってんだ……動くな。この建物から逃がすと思うのかよ」
「いえ、トイレですけど」
「嘘つくんじゃねえよ!!」
動く拳銃が人質を示すが、強めにガンガン当たっているので、女性を殴打しているようにしか見えない……、射殺する前に殴殺しちゃうんじゃないの……?
「逃がすかよ。外に出て通報されたらこっちは終わりなんだよ」
「しないですけどね……、通報してもしなくても、外に異常は漏れているでしょうし、異常があれば警察は動きますよ。
そして、今の警察から逃げ切れますか? 科学が発達し、便利な世の中になればなるほど、警察は力をつけていくものですし……。まあ、それは犯人も一緒ですか。でも、専門家が噛んでいるのとそうでないのとでは、また発揮できる効果も違うでしょう?」
「……金を奪っても、逃げられないと言いたいのか?」
「他にどういう解釈が?」
銀行から大金を奪って――人質を取り続けながら逃げる……? 非現実的だな。
どう生活する? 人質を『人質』として持ち続けることができるのか? 人質は健康体でこそ意味がある。完成品を「壊すぞ」と脅して、初めて意味があるのであって、破壊されたオブジェクトに拳銃を突きつけて「壊す」と脅しても、脅威には映らない。
人質を健康体で維持し続けるために金を使っている内に、盗んだ大金を使い切ってしまうんじゃないか? それに、身を隠す、と言っても、どこに逃げる?
国外へいく? それこそ、人質のことを考えたら避けるべきだろう……。
慣れない土地はあっという間に人質の精神を疲弊させる。
その人質は、
「…………、こいつを殺されたくなければ、支援しろ……とも、こっちは要求できるわけだ」
「ああ……、まあ、そういうことも――。いやでも、結局、支援のためにも、警察との繋がりは断つことができないじゃないですか……。
捕まりませんけど逃げ切れもしませんね……、まさか自分の寿命が尽きるまで、それで粘るつもりですか?」
死ぬまで滞納すれば、部屋の家賃は実質ゼロ円みたいなものか?
大金が手に入ったとは言え……、楽しいか、そんな人生?
「――ッ、なんなんだよお前はッ! いいから戻れ、じゃねえとこいつを殺すぞ!!
お前のせいでこの女は死ぬ……、人を殺した後悔を一生っ、引きずりやがれッッ!」
「はぁ? その引き金を引いたのはあんたであって――俺じゃない」
きっかけは俺かもしれないが……、それでも、俺が犯人の言うことを無視したからと言って、その引き金が強制的に引かれたわけじゃない……。
俺の無視を判断し、その指に力を入れたのは犯人であり、引き金の『引く』『引かない』の選択権は、相手が持っている。
人質が死ねば『引く』を選んだ犯人のせいであり、犯人の命令を『無視』した俺ではない。
「好きにすればいいじゃん。殺したければ殺せば? 引き金を引いたのはあんたなんだ、殺したのは――、間違いなく、お前だ……。
俺のせいにすんなよ。
人を殺す覚悟くらい持ってきてんだろ? 強盗するなら一人や二人くらい、殺しの勘定に入れとけ。この場面で他人のせいにするなら、どうせあんたはすぐに捕まるよ」
「お前……、『殺したければ殺せ』って……、人の心がないのか!?
この女、さっきから震えて、助けを求めてんだぞ!?」
「えぇ……、分かってるなら放してあげなよ……。悪いけど、正義感が強いわけじゃないし、人質を助ける訓練をしているわけじゃないからさ……、こっちが怪我をするかもしれないなら、助けようとは思わないよ。死ぬかもしれないなら尚更な。
可哀そうだとは思うけど……――その人、運が悪かったんだろうね」
「…………」
……女性の鋭い視線が俺に突き刺さってきている――非難の目だった。
避難したいのはこっちだけどな。
「お前、オレ以上にクズかもな」
「じゃあ俺を撃てば? 離れた距離でも人の命を奪えるのが、その拳銃だろ?」
犯人の中にあった正義感、ではないのだろうけど……、
俺という『人間のクズ』を見せつけることで、犯人の中の優先順位が少しだけ入れ替わったようだ――、銀行強盗の最中ということも忘れ、人質のこめかみへ当てていた銃口を俺へ向ける。
そう、銃口さえ、明後日の方向へ向けば。
俺の意見に嫌悪感を示した女性は、恐怖から立ち直っているはずだ――。
銃口さえ向いていなければ――、
あとは自分でどうにかできるくらいには、動けるでしょ?
「ッ、いたぁっっ!?!?」
女性が犯人の腕に噛みつき、拳銃を手から落とさせる。
床を滑った拳銃へ、女性が飛びつき――、握ったそれを犯人へ向ける。
「っ!!」
「……ゆっくり、両手を頭の後ろへ……そのまま顔を地面に伏せて、横になりなさい……ッ」
女性の指示通り、犯人が行動し――彼を完全に無力化した……。
この状況から、犯人が逆転できるとは思えない。
冷静になった職員や客が、複数人で男を取り押さえ――、
これで完全に、逆転の目が消えたことになった。
「……ふう、綱渡りだったけど……これで一件落着かね」
「そうね……でも一つだけ。
……一歩でも間違えていれば、あたし、死んでいたんだけど?」
気づけば銃口が俺に向いている……、おい。
人に銃口を向けてはいけません、と教わらなかったのか?
「残念ながら、それは教わっていないので」
「教わっていなくても、普通なら分かるもんだけどな……――まあいいや。
人の家庭環境に口を挟むほど、興味があるわけでもないし――」
じゃ、と言って立ち去ろうとしたが、銃口が俺のこめかみを、とんとん、と叩く。
……冗談でも、していいことじゃないぞ。
「……なに」
「『殺したければ殺せば?』とか言っていませんでした?
それで殺されていたら、あなたは人殺しですよ? 分かってます、ねえねえ?」
がんがん、と、銃口で叩いてくる彼女……、やめろ、間違って引き金を引いたら、鉛玉が出てくるだろ。
マジで死ぬから……っ。人質に取られている『か弱い女』だと思ってみれば……なんてことだ、人質に取られても平気で立ち振る舞っていそうな、危ない女だ。
「あの、だからさ――」
さっきも言ったじゃん。
「引き金を引いた奴が人殺しなんだよ。
引き金を引かせた奴が人殺しってわけじゃない。きっかけを与えても、『しない』権利を持つのは拳銃を持つ方だ。俺を責めるのは、お門違いじゃねえの?」
「――仮に、あたしが殺されていれば……、あなたを恨んで化けて出たでしょうね」
「化けて出るだけならお好きにどうぞ。
呪ってきたら容赦なくお祓いするからな?」
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