第710話 おじさんは闇の大精霊に名前をつける


「ちょっと! あんたねえ!」


 トリスメギストスの言葉に、つい声を荒げるヴァーユだ。

 さすがにそれはない、と思ったのだ。

 きちんと説明しろ、と。

 

 そも魂魄に関する魔法というのは禁忌だ。

 人が触れてはいけないものである。

 もちろん精霊だって同じだ。

 

 触れていいのは神だけである。

 そんな魔法をいともたやすく操るのがおじさんだ。

 

『これでいいのだ!』


 力強く言い切るトリスメギストスである。

 その言葉に、うっと押されるヴァーユ。

 

「根拠はなんなのよ?」


『我はこの件で神罰を受けておらん!』


 どどーんと言い放つトリスメギストスであった。

 

「……なるほど」


 ヴァーユはちらりとアウローラを横目で見る。

 まだプスプスと煙をあげている問題児だ。

 

「ということはお母様もお認めになっている、と」


『主上の真意はどこにあるのか、我にはわからん。が、我に神罰がくだっていないということはお認めになっているということだ!』


 わかったか、とでもいわんばかりの口調であった。

 

「ならば……仕方ないわね」


『主はきちんと弁えておる』


「わかったわ。なら信じることにする」


 不承不承という感じではあるが納得したのだろう。

 ヴァーユが“ほう”と大きな息を吐く。

 

「ところで、リー」


 ミヅハの声が少し離れた場所にいるヴァーユにも聞こえた。

 

「闇の大精霊にも名をつけてやってくれないか?」


「お姉様がお望みならかまいませんわ」


 おじさんとしても予測できたことである。

 なので、即答した。

 

「なら、私にも名をくださいな」


 闇の大精霊もおじさんのことを受け入れたのだろう。

 先ほどまでの呆然とした姿とは打って変わって、いい笑顔を見せている。

 

「そうですわね……」


 おじさんは闇の大精霊と会うと聞いたときから、候補は考えていた。

 いつもどおりに行くのなら、闇に関する神や精霊からとる。

 

 おじさんの前世の知識だ。

 意外と闇に関する神は多い。

 男性神だけではなく、女神だっている。

 

 ただイメージが悪いのだ。

 闇という権能は死と直結するものが多い。

 

 例えばニュクスというギリシャ神話の女神がいる。

 夜を神格化したとされる闇の女神だ。

 

 薔薇乙女十字団ローゼンクロイツにも同名が一人いる。

 おじさん狂信者の会の一角だ。

 

 あの自由奔放なゼウスですら彼女には一目置いていたという実力者である。

 

 そんなニュクスは様々な不吉な神を生む。

 争いの神、復讐の神などなど。

 

 ただ、おじさんは思い出したのだ。

 それがヘカテイアである。

 ヘカテーの方が有名かもしれない。

 

 ヘカテイアもまたギリシャ神話の女神である。

 冥府の神であり、夜と魔術の神でもあるのだ。

 

「ヘカテイアという名はいかがでしょう?」


 おじさんの提案に闇の大精霊は笑顔を見せた。

 気に入ったようである。


「我が妹より賜りし名はヘカテイア! これをもって絆とせん!」


 闇の大精霊がペカーと光った。

 特に変わったところはない。

 

 美しい黒髪と黒い瞳の大精霊だ。

 

「ありがとう、リー。あなたのお陰で私は……」


 ぺこりと頭を下げる闇の大精霊である。

 そんなヘカテイアの手をおじさんがとった。


「なにも気にすることなどないのです。ヘカテイアお姉様はご自身の自由を代償に世界を外なる神から守っておられたのですから。これからは自由に、思うがままに生きてくださいな」


 極上の笑みを見せるおじさんであった。

 その笑顔に見せられて、つぅとヘカテイアの頬を涙が伝う。

 

「ありがとう……ありがとう」


 そんな闇の大精霊の頭を優しくなでるミヅハであった。

 

 ヴァーユとトリスメギストスも近寄ってくる。

 にこやかに話をする三人の大精霊とおじさんだ

 

「あ! 忘れていましたわ! ヘカテイアお姉様にひとつ確認したいことがあったのです」


 おじさんの言葉に、はてと首をかしげる闇の大精霊だ。

 

「トウジロウ殿が使っていた大剣のことですわ!」


「ああ」


 と手を打つヘカテイアである。

 

「なにやら封印を施していそうな雰囲気で抜きませんでしたけど、あれを少しお借りしたいのです」


 おじさんの言葉にふふっと笑うヘカテイアだ。


「あれもトウジロウのいたずらなの」


「へ?」


 と間抜けな声をだすおじさんである。

 

「ああやって作っておけば、絶対に警戒して抜かれないからって。“裏ボスを封印しているみたいだ”って笑ってたのよ」


「……ぐぬぬ。またしてもやられましたわ」


 どうにも転生者のことをよく理解している御仁であったようだ。

 

「必要なら持っていくといいわ。トウジロウも拾ったものだって言ってたから」


「……そうなのですか。承知しました。では少しの間、お借りしますわね」


 おじさんの言葉に大きく頷くヘカテイアであった。


「リーちゃんはその大剣が気になっていたの?」


 ヴァーユである。

 彼女も興味を惹かれたのだろう。

 

「ええ……なんでもうちのご先祖様が、その昔、霊山ライグァタムで大立ち回りをしたという記録が残っていまして。そのときにどうにも愛剣を紛失したそうなのです。それが魔導武器だったという話なのですわ」


「へぇ……久しぶりに聞いたわね、魔導武器」


「あら? ご存じなのですか?」


「ご存じというほどではないかしらね」

 

 ヴァーユが頬に手をあてながら言う。

 

「トウジロウはすごく使い勝手がいいものだって言ってたけど」


 闇の大精霊であるヘカテイアも参戦してきた。

 

 よくよく考えてみれば、だ。

 大太刀というのは人間サイズでは、馬鹿でかいものである。

 

 人間よりも遙かに大きな体格の鬼人族ならちょうどよかったのかもしれない。

 だとすれば、逆にあれを振り回していたご先祖様はどうなるのだ。

 

 あまり深く考えない方がいいかもしれない。

 そんなことを思うおじさんであった。

 

『……はうあ!』


 声をだしたのはトリスメギストスではない。

 転生した炎帝龍であった。

 

身共みどもはいったい……』


 目を覚ましたのだろう。

 

『ふむ……意識が戻ったようであるな、炎帝龍よ』


 トリスメギストスの言葉に気づいて、辺りをぐるりと見る炎帝龍だ。

 

 水の大精霊に闇の大精霊、風の大精霊までいる。

 光の大精霊はまだ煙をプスプスとあげていた。

 

 そして、白金に輝く鎧を身に纏うおじさんだ。

 

『ま……』


 口をあんぐりと開けている炎帝龍である。

 

『ま?』


 トリスメギストスが続きを促した。

 

『ママああああああ!』


 叫びながら、一直線におじさんにむかう炎帝龍だ。

 といっても、今は大きさが一メートルほどのチビ龍である。

 

「なんだってええええええ!」


 大精霊たちがそろえて声をあげた。

 

 おじさんの腕にするりと身を絡ませる。

 そして、その顔に頬ずりをする炎帝龍であった。

 

「くすぐったいですわね」


 おじさんは満更でもないといった表情である。

 

『かーかっかっか! 炎帝龍よ、神罰を受けるがいい!』


 これは一線を越えたと判断したトリスメギストスが叫んだ。

 

 空中に神威の力が集まった。

 そして――。

 

 あばばばばとトリスメギストスに撃たれたのであった。


『なんで我が……』


 と、残してパタリと地面に落ちるのであった。

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