第664話 おじさんたちの食事会で蛮族は限界に挑む


 聖女は思っていた。

 やっぱり、おじさんちは最高だ、と。

 

 七歳に行なわれる神託の儀式。

 そこで自らが聖女と判明してからは、あれよあれよという間に話が進んでいった。

 

 気づけば侯爵家の養子になっていたし、神殿でも敬われる存在になっていたのだ。

 まぁ聖女にとっては、それは当たり前だった。

 

 だって――前世の記憶が蘇っていたのだから。

 聖女が知るゲームと似た世界。

 

 自分は聖女というヒロインの立ち位置なのだ。

 その時点ではゲームの進行と同じだったのである。

 

 計算がちがっていたのは聖女としての生活だ。

 侯爵家では養子としての教育がされ、神殿では聖女としての教育があった。

 

 そんなハードスケジュールがこなせるわけないのだ。

 蛮族に。

 

 さらには軍に同行しての遠征である。

 なんだったら村での生活より酷いんじゃないの。

 聖女はずっと思っていたのだ。

 

 いや、村の生活になじんでいたわけじゃない。

 食うや食わずということもあったし。

 ただ――それでも軍よりはマシだったと思う。

 

 そんな思いをした聖女が、だ。

 前世とほぼ変わらない生活ができるおじさんちを気に入らないわけがないのである。

 

 そして今――。

 

「はにゃああああ!」


 聖女は目の前に並べられた料理を見て大声をあげていた。

 

「リー! リー! リー!」


 皿とおじさんを交互に見る聖女だ。

 投手と累を見るランナーさながらであった。

 

 おじさんにもその気持ちはわかる。

 だって鮭なんだもの。

 

 他の面子は、聖女がなぜここまで興奮しているのかわからない。

 ただ、ケルシーだけは頷いていた。

 彼女は鮭の美味しさを知っているから。

 

「今日は魚料理なのですが――」


「鮭!」


 聖女とケルシーの声が重なった。

 おじさんは苦笑して、二人を見る。

 

「美味しいお魚ですから、味わってくださいな」


 今日のメインは鮭のムニエルだ。

 小麦をまとわせてバターで切り身を焼いたもの。


 その上に濃厚なクリームソースがかかっている。

 キノコもたっぷりだ。

 

「いいの? いいの? こんなご褒美いいの?」


 いいから食べろ。

 そう意図して、おじさんは笑顔で頷いた。

 

「いいいいやっっふううぅうう!」


 聖女はフォークをズブリと鮭の切り身に刺す。

 そのまま持ち上げて、がぶりといく。

 

「おいひーーーーーい!」


「ちょ、エーリカ」


 イザベラ嬢である。

 さすがにマナーのマの字もない聖女に声がでた。

 だが、おじさんが視線でとめる。

 

 聖女の気持ちもわかる。

 鮭は国民食だ。

 久しぶりの味にマナーもなにもない。

 

 美味しく食べられればいいのだから。

 

 イザベラ嬢も同意する。

 聖女がほんのり涙ぐんでいるのが見えたから。

 よほど思い入れのあるものだろう、と納得したのだ。

 

 他の面々も聖女につられて、鮭のムニエルを食べてみる。

 一口でその味に目を見開く者が多い。

 

「……美味しいですわ」


 そんな声があがるたびに、おじさんも嬉しくなってしまう。

 多少の無茶はしたが、鮭を仕入れた甲斐があったというものだ。

 

「おかわりだぁ!」


 聖女とケルシーの声がまたもや重なる。

 

「エーリカ。あとで炊き込みご飯もでてきますから」


 おじさんは先に告げておく。

 炊き込みご飯は時間がかかるから。


「なんですと!」


 聖女が立ち上がった。

 ついでにケルシーは立ち上がらなかった。

 だって鮭のムニエルに夢中だったのだ。


「だいしゅき! リー!」


 聖女が叫んだ。

 それはどっちの意味なんだい。

 

 と、吹きだしそうになる男子たちだ。

 とても危険な単語だと思ったのである。

 

 案の定――狂信者の会の目つきが鋭くなった。

 

「そうでしょう。美味しいですものね」


 立ち上がったまま、うんうんと頷く聖女だ。

 

「悩ましいわね! どっちをとるか!」


 鮭のムニエルも絶品だった。

 それを思えば、炊き込みご飯もまた絶品なのだろう。

 

「ムニエルか! 炊き込みご飯か!」


「両方食べればいいじゃない!」


 蛮族二号が言う。

 それもそうね、と納得する聖女であった。

 結局のところ蛮族は蛮族なのだ。

 

「リー様、こちらの魚は川を遡上してくる魔物ですか?」


 上品にムニエルを食べ終えたヴィルが問う。

 

「そうですわ。よくご存じでしたね」


「いえ、我が領にもよく遡上してくるのです。ただ――こんなに味がいい魚だったとは知りませんでした。私が聞いたところ、味が良くないと評判でしたので」


 なるほど、と納得するおじさんだ。

 で、侍女にもした説明をする。

 

 産卵期に入り、川を遡上した鮭は美味しくなくなるのだ、と。

 なので、食べるのなら近海にいるものがいい。


「そうだったのですか。ふむ……。ならばうちの領でもこの魚の捕獲を推奨してもいいですね」


「現地に行って話を聞いてみるのがいちばんですわよ」


「確かにそうですね。次に領地に戻ったときには足を伸ばしてみます。ご助言、痛み入ります」


 おじさんはニコリとした笑顔でもって返す。

 

「そういえば催し物の件はどうなりました?」


 おじさんも食事をしながら話題を振る。


「ああ――それは私から」


 食事の手をとめるキルスティだ。

 こういうところが蛮族とちがうところである。

 

曾祖父おじい様からは好きにやってよし、とのお言葉をいただきました。また、対校戦のときに好評だった物販も行なっていい、と。ただし今回は学生会以外でも希望する者がいれば、許可をするとのことです」


「審査はこちらでやるのですか?」


 おじさんの問いに首肯するキルスティだ。

 丸投げか。

 そこは構わないが――。

 

「開催日までの準備期間はどの程度でしょう?」


「約三十日ほどありますので、急ぎではありませんわ」


 代わってアルベルタ嬢が答えた。

 彼女もぺろりとムニエルを平らげたようである。

 

「となると――催し事が終わるとすぐにでも舞踏会の準備に入らないといけませんわね」


 事務的な会話を交わしていくおじさんたち。

 相談役の三人が日程を把握していてくれるので、計画の立案も捗るのであった。

 

 そんな話が一段落した頃である。

 サロン内に炊き込みご飯が運ばれてきた。

 

 おーと声をあげる聖女である。

 そして見てしまったのだ。

 

 炊き込みご飯の横にバターが添えられていることを。

 

 和食にバター。

 邪道という人もいるだろう。

 

 だが、鮭の炊き込みご飯にはバター。

 これがおじさんのジャスティスであった。

 

「わかってるわね、リー! そうよ! そうなのよ! これが食べたかったの!」


 爆食する聖女だ。

 ケルシーも釣られて食べに食べている。

 

「ふぅ……満腹、満腹」


 ぽこんと膨れ上がったお腹をさする聖女だ。


「もう……入らない」


 その隣で同じようなポーズをとるケルシーである。

 

 二人を見て、おじさんは苦笑するしかなかった。

 なぜ学習しないのか、と。

 

「ねーさま。かんみはなにかな」


 妹が爆弾をぶちこんだ。

 そう――二人は忘れていたのである。

 甘味は別腹とも言うけれど、だ。


「さぁなんでしょうね。でも料理長のことですからきっと美味しいものを作ってくれるでしょう」


 妹の口元を優しく拭ってやるおじさんであった。

 

「お待たせいたしました。食後の甘味でございます。本日はかぼちゃのチーズケーキをお持ちしました」


 侍女の言葉に目をむく聖女とケルシーだ。

 

「ぐぬぬ……やったらああああああ!」


「やったらああああああ!」


 聖女に続いて、ケルシーが宣戦を布告した。

 既に勝ちが見えない勝負である。

 だが彼女たちは退けなかったのだ。

 

 結果――蛮族名物の水芸が炸裂したとかしないとか。

 

 聖女エーリカ。

 蛮族の異名を持つ薔薇乙女十字団ローゼンクロイツの一員である。

 

 エーリカは思う。

 完全に胃袋を掴まれてしまった今。

 もう、おじさんの側を離れられないと。

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