第657話 おじさんのなんとも言えない一日


 明けて翌日のことだ。

 今日も朝からおじさんは絶好調であった。


 ただ、天気の方は生憎と雨模様である。

 昨夜遅くから降り出した雨は、今もシトシトと地面を濡らしていた。

 

 そんなわけで、おじさんのルーティンも室内である。

 騎士たちが利用する室内訓練場だ。

 あまり広くはないので、隅っこで運動をするおじさんと侍女である。

 

「お嬢様、最近になって私も少し理解できてきましたわ」


 おじさんにむかって掌底を放つ侍女だ。

 その踏みこみからの動きがとてもスムーズでムダがない。


「今のはよかったですわね」


 と言いつつ、侍女の掌底を軽くいなすおじさんだ。

 ただ、侍女はそこで止まらなかった。

 いなされることも理解した上で、身体を巧みに使って次の技へとつなげていく。

 

「力と速さは重要ですが、それだけあればいいというものではないのですね。虚と実――お嬢様が仰っていたことがようやく身についてきたと思います」


 とん、と侍女の蹴りを弾くおじさんだ。

 軽く弾いただけなのに、侍女の身体が宙に浮いた。

 くるりと後転して、距離をとる侍女である。

 

「いいですわね。では、もう少し難度をあげましょう。次は機を捉えることを意識してください。いいですか、わたくしの動きをよく見ているのですよ」


 侍女と対峙するおじさんはニコニコとしている。

 ふ、と息を吐いて侍女が間合いを詰めようとした瞬間だ。

 おじさんの方がホンの少しだけ先に動いた。

 

「あ……」


 意表を突かれてしまったのだ。

 侍女はたやすくおじさんに踏みこまれてしまう。

 

 だが、侍女とてただものではない。

 すぐに回避しようとするも、おじさんが攻撃の態勢に入ったのはフェイクだった。

 さらに詰められて、終わりである。


「次は打ってきてくださいな」


 おじさんの言葉に従う侍女だ。

 真っ直ぐに手刀を放つも、いつの間にかおじさんの拳が目の前にあった。

 

「……なるほど。お嬢様の動きの秘密が少しわかりました」


「でしょう。では、今朝はこの辺りで切り上げましょうか」


 おじさんは自分と侍女に清浄化の魔法をかけた。

 二人で他愛のない話をしながら、訓練場を去って行く。

 

「ふ、副長! オレにもあの動きを教えてくださいよ!」


 年若い騎士が副長のシクステンに声をかける。


「ばっか、お前。お前にゃ五十年は早えよ。あんなもんはな、達人の動きだ、達人の。変な色気ださずに基礎をみっちりやれや」


「え? じゃあお嬢様は達人すか?」


 やれやれ、と小さく息を吐く副長であった。

 

 

 朝食の席である。

 姿を見せたおじさんにケルシーが絡みにいく。

 

「リー! ワタシはチョキをだすわ! さーいしょはグー!」


 いきなり勝負を挑むケルシー。

 つい勝ってしまうおじさん。

 

「ぐぬぬ……」


「けるちゃん、ぱーをだすからね。さーいしょはグー!」


 妹だ。

 妹がケルシーに声をかけたのだ。

 ケルシーの目がギラリと輝いて――チョキの手をする。

 

「クロリンダ! 必勝法が通じないじゃない!」


 ニヤニヤとしながら、頭を下げるクロリンダである。

 実に趣味が悪い。

 

「お嬢様、二回目はソニア様が必勝法を使われて、お勝ちになられましたが?」


「そうだったー! ってことは! 必勝法はある!」


 ゲハハハと笑うケルシーだ。

 朝から喧しい主従である。

 

「ケルシー。席につきなさいな」


 母親が言う。

 はい! と元気のいい返事をするケルシーだ。

 誰がボスなのか、しっかり理解しているようである。

 

「では、朝食をいただこうか」


 父親の言葉に従って、和やかな朝食が始まった。

 おじさんは妹に料理をとりわけてやっている。

 

「リーちゃん、昨日の話。兄上にしておくから、たぶん結果は夕食のときにでも話せると思う。あと許可証の件についても宰相閣下に確認しておくからね」


「お父様にお任せします」


 ペコリと頭を下げるおじさんであった。

 

 今日はケルシーとともに学園に登校するおじさんだ。

 学園の授業を受けるのも久しぶりである。


 と言っても、既に履修済みのことなので退屈ではあるのだ。

 半ば授業に耳を傾けながら、窓の外から聞こえてくる雨の音に耳を傾ける。

 

 前世のおじさんは雨が嫌いだった。

 家にいられなかったのだから当然だろう。


 雨を避けるために、色々な場所を使った。

 幼い頃は公園の遊具の下によくいたものだ。

 

 地面がジワジワと濡れて、座ってもいられなくなる。

 だから――雨が嫌いだったのだ。

 

 だけど、今はちがう。

 雨を避けることを考えなくてもいい。

 雨音に耳を傾ける余裕すらある。

 

 そうしたことに幸せを感じるのだ。

 おじさんは小市民なのである。

 

 一方で、そんなおじさんをちらりと見る薔薇乙女十字団ローゼンクロイツたちは、胸を高鳴らせていた。

 どこか憂いのある表情で、ぼうとしている超絶美少女がいるのだ。

 

 その姿が、あまりにも儚く、美しかったから。

 触れてしまえば、その瞬間にかき消える幻のよう。

 幻想の中でしか生きられない美少女がおじさんである。

 

「うう……今日のお姉さまはドキドキするのです」


 パトリーシア嬢がぼそりと呟く。

 隣の席に座るアルベルタ嬢が同意だと言うように首肯した。


「リー様……」


 どこの誰が呟いたのかはわからない。

 が、その声に含まれる気持ちに同調する薔薇乙女十字団ローゼンクロイツであった。

 

 放課後のことである。

 おじさんはアルベルタ嬢とパトリーシア嬢を呼ぶ。

 

「アリィ、パティ。ダンジョンの下見は後日にしましょう。この天気では足下が悪いですから」


「承知しました。リー様のお望みがままに」


 きれいなカーテシーで応えるアルベルタ嬢だ。

 なんだか大げさだなぁと思うおじさんである。

 口にはださないが。

 

「他にわたくしが対応すべき案件はありますか?」


「いいえ、すべて恙なく」


「では、わたくしは闘技場にいますので、なにかあればそちらに」


「承知しました」

 

 アルベルタ嬢が深く頭を下げた。

 どこか芝居がかったようなポーズである。

 まぁいいか、と深くは聞かないおじさんだ。

 

 おじさんのせいで、アルベルタ嬢のスイッチが入ったことは、考慮していないようである。

 

「リー様、お供してもよろしいでしょうか!」


 プロセルピナ嬢、カタリナ嬢、ルミヤルヴィ嬢の脳筋三騎士だ。

 

「かまいませんわよ」


 ニッコリと微笑むおじさんであった。

 

「ワタシも!」


 ケルシーが追加で参戦してくる。

 ニュクス嬢とイザベラ嬢も参戦の意思を示す。

 二人ともおじさん狂信者の会である。

 

「わたくしに否はありませんが――」


 おじさんがアルベルタ嬢を見る。

 ハンカチときいぃいいと噛みそうな表情だ。

 

 ふ、と笑みがこぼれるおじさんであった。

 

「どなたか相談役の御三方に知らせてきてくださいな。本日は闘技場にて学生会を開く、と」


 私が、とプロセルピナ嬢が教室を出て行く。

 

 おじさんは特になにかしたかったわけではない。

 ただ――少しだけ雨の降る闘技場の天蓋を見たかっただけだ。

 

 おじさんが動けば人が動く。

 対校戦が終わった後の闘技場はほとんど使われていない。


 そも使うのなら、学生会に使用申請をだして許可をうける必要があるのも大きいだろう。

 魔技戦の腕を磨きたい学生は、学園の訓練施設か課外活動で割り当てられた場所を使っている。

 

 演奏用の舞台で椅子とテーブルをだして、ぼうとするおじさんだ。

 偶にはこんな日があってもいい。

 

 その隣で仕事をしている薔薇乙女十字団ローゼンクロイツたち。

 脳筋三騎士とケルシーは舞台で腕試し中である。

 

「あら?」


 と声をあげたのはキルスティだ。

 事務作業をしていて、ふと顔をあげたときに気づいたのである。

 

 観客席が埋まりだしていたのだ。

 

「……どういうことなのです?」


 パトリーシア嬢の疑問に、アルベルタ嬢が苦笑しつつ答える。

 

「きっと演奏会でも行われると思ったのでしょう」


 おじさんは思う。

 ちょっと面倒だな、と。

 

 自分の一挙手一投足が影響を与えてしまう。

 それは自業自得でもあるのだ。

 おじさんは目立つのだから。

  

 また、おじさんは色々とやらかしてきた。

 それが学園生の心を掴んでいるのも事実なのだ。

 

 ただ――基本的にはサービス精神が旺盛なのである。

 だから言う。

 

「演奏、しましょうか」


 はい! と元気のいい声が響く。

 なんだかんだで薔薇乙女十字団ローゼンクロイツも乗り気なのであった。

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