第77話 おじさん聖女の背中を押す



 お互いの自己紹介が終わったところで、少しだけ弛緩した空気が流れた。

 そこで少し間をとってから、“さて”と会長が口を開く。


「もうお帰りになっていただいてもかまわないのだけど、もう少しだけお時間をくださらない?」


 その問いに一年生全員が首肯したのを見て、“ありがとう”と会長が頭を下げた。


「ではお言葉に甘えるのだけど、一年生の間で取りまとめ役を決めておきたいの。男子の方は殿下でよろしいかしら?」


「当然だろう。オレ以外に適任はいない」


 胸を張るようにして返答する王太子である。

 その姿を“かっけえ”と取り巻きたちが褒めるのだ。

 こいつらなんの反省もしてねえ、とおじさんたちが思っても仕方のないことだろう。


「で。女子はどうしようかしら? 順当にいけばリーさんになるのだけど」


 会長がおじさんを見る。

 “ふむ”とおじさんは思考した。


 正直なところべつにうけても構わない。

 だが王太子と接点が増えるのは面白くないのだ。

 婚約者だとか言われているが、おじさん的には破棄したいのだから。

 だったらいっそのこと別の人物を推挙した方がいいかもしれない。

 

 恐らくだけど、エーリカは王太子のことを憎からず思っていると考えるからだ。

 そもそも王太子に興味がなければ怒ったりしない。

 怒るというのは関心があるからだと、おじさんは思っている。


「会長、わたくし少し時間がとれなくなるかもしれませんの。なのでエーリカを推薦いたしますわ」


「ちょ! リー?」


 聖女の声が聞こえるがおじさんは聞こえないふりをして話を進める。


「こちらとしては構わないのだけど、聖女様はそれでいいのかしら?」


 深い緑色をした会長の瞳が聖女を見た。


「私のことはエーリカと呼んでほしいですわ、会長」


「ごめんなさいね。ではエーリカさん、改めてお願いできるかしら?」


「……私でいいのならお引きうけしますわ」


「ありがとう。では殿下とエーリカさんにお願いするわね」


「聖女よ、よろしく頼む」


 王太子の言葉に聖女も頷く。


 その後は副会長の二人も交えて、少しだけ歓談をすることになった。

 ただ学生会も仕事があるのだ。

 長く引き留められることはなく、あっさりと解放されたのであった。

 

 おじさんたちは教室に戻り、準備を整えてから部室へと移動する。


「ちょっとリー! あれでよかったの?」


 部室に着いて早々に聖女が待ちきれないとばかりに疑問をぶつけてきた。


「ええ、かまいませんわ。というかエーリカこそよろしいのですか?」


 王太子のことをどう思っているのだと、おじさんが言外に含ませる。


「そりゃあアタシはいいけど、アンタはそれでもいいの?」


 おじさんよりも背の低い聖女が、上目遣いになって聞いてくる。


「かまいませんわ。そうね……ここだけの話、わたくし殿下のことはなんとも思っておりませんの」


 “いえ”とおじさんは少しだけ思案する。


「正確には恋愛というものがよくわかりませんわ」


 前世でのおじさんは恋にうつつを抜かす暇がなかった。

 結婚をしていた時期もあったが、それは気づいたらそうなっていただけである。

 

 そこに愛や恋だのといった感情はなかったのだ。

 なにせ上司から無理やり押しつけられただけだったから。

 相手の方も同じだった。

 おじさんには目をくれることもなく、入籍前から付き合っていた別の男性に入れこんでいたのだ。


 そんな結婚生活が長く続くわけもなかった。

 おじさんとしても努力はしたのだ。

 しかし彼女の方は、おじさんではなく浮気相手こそが真実の愛だという考えを変えなかったのである。

 これはもう仕方のないことだと思ったが、上司には伝わらなかった。


 結果としておじさんの戸籍にはバツがつき、職も失うことになったのである。

 そんな経験があるからこそ、おじさんは恋愛がよくわからないのだ。


 だが聖女や周囲の令嬢たちには、そんな事情は想像もつかない。

 そもそも貴族の結婚とは外交手段のひとつである。

 愛や恋などという感情は関係ない。


 しかしである。

 多感な少女からすれば、やはり憧れるのだ。

 好きな相手と結ばれたいという物語に。


 だから、おじさんの言葉が別の意味を持って聞こえた。

 “将来を諦めているのだ”と。


 そして、彼女たちは見逃さなかった。

 前世を思いだしたおじさんが一瞬ではあるが、悲しげな表情をうかべたことを。


 白皙はくせきの美少女が物憂ものうげな笑顔を見せたのだ。

 それは彼女たち全員の胸に大きな決意を秘めさせた。


 “リー様は私たちが守らないと”と。


 大いなる勘違いの始まりであった。


「ったく。わかったわよ。じゃあアタシが引きうける。リー、ありがと」


 “どういたしまして”とおじさんは笑顔で答えた。



 

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