第2話 鳥肉とトレントのスープ 後編

神様が私たちを喚んだ理由。


それは、魔素の大量噴出による災害によって世界が変容してしまったからだ。


この世界は、少し前まで人間と魔族で戦争をしていたらしい。

戦いは百年にもおよんだ。


結果は人間側の勝利。けれど、魔王は死に際にとんでもない置き土産をくれていった。


大量の魔素だ。魔素とは生き物を化け物へと変えてしまう毒。

世界を覆った魔素は、あらゆる植物や動物を違う形へと変えてしまった。


結果、人々の生活は脅かされ、おおぜいの人間が死んだ。

生きている人間は、いまや全盛期の百分の一にも満たないという。


憐れな人間を憂えた神は、救世主として私たちを喚んだ。


困難に立ち向かうために、特別な力も贈ってくれたのだ。


妹には魔物にも負けない戦闘能力。


そして私は――。





「ふわあ。いい匂い」


鍋を覗き込んだ子どもが、ゆるんだ声をあげた。

クツクツと煮立っている鍋の中身を、いまにもよだれを垂らしそうな顔で見つめている。


「テオ、こっちへ来なさい。邪魔しちゃいけないでしょう」


「え~?」


テオが母親に不満の声を上げる。私は思わず笑ってしまった。


「大丈夫ですよ。もうすぐできますから」


フォローしてみたが、母親は恐縮したままだ。父親も落ち着かない様子だった。崩れかけた小屋の残骸に腰かけ、ギョロギョロと辺りをうかがっている。


「逃げなくてもいいのですか。またトレントが現れるかも」


「大丈夫です。まもりが結界を張りに行きましたから」


「結界……?」


「おねえちゃん、ただいま!」


そうこうしているうちに、妹が帰ってきた。


大きな袋を抱えている。中には結界を張るための魔道具が入っていた。


「これでしばらくは問題ないと思うよ。魔物はここに近寄れないはず」


「本当ですか!」


母親が表情を輝かせた。


「結界があれば、このまま暮らせるのでしょうか」


必死な訴えに、妹は表情を曇らせる。


「……ごめん。それは無理なんだ。ここは魔物が多すぎる。結界はただの一時しのぎ。できれば、安全な街まで移動してほしいの」


「そんな……。どうやって」


「海沿いに大きな街があるのは知っているでしょう? あそこに、近隣の住民が集まってる。道なりに結界を張ってきたんだ。魔道具を目印に進めば安全なはず。だいたい二日くらいかかっちゃうけど……途中で野営できる場所もあるから行けると思う」


「でもっ……!」


母親はかぶりを振った。


「小さな子どもを連れて二日がかりの行程なんて無理です。とてもじゃありませんが、無事に辿り着けるかどうか……」


父親が母親の肩を抱いた。よく見ると父親の足から血が流れている。動きもぎこちない。怪我をしているようだ。長旅は厳しいのかもしれない。


「大丈夫だよ!」


妹が明るい声で言った。


「おねえちゃんのご飯を食べれば大丈夫!」


「そ、それはどういう――」


困惑気味の夫婦に、妹はどこまでも自信満々だった。


「まもりったら! それじゃ意味が伝わらないでしょ!」


思わず声を荒げた私に、妹はペロッと舌を出して戯けた。


「だって本当だもん。おねえちゃんのご飯を食べれば、なんにも心配しなくていいんだから」

「もう……」


半ば呆れつつも表情を和らげる。言葉足らずだが、確かに事実だ。


「ともかくご飯にしましょうか」


笑顔で告げると、夫婦はますます顔を見合わせてしまった。


「ぼく、お腹空いたな!」


沈黙を破ったのはテオだ。


私の足にしがみつくと、欠けた歯を見せて嬉しそうに笑った。


「ご飯はなあに?」


「鶏肉とトレントのスープよ」


「……トレント!?」


母親がまっ青になった。慌ててテオを抱き寄せ、きつく私を睨みつける。


「ま、魔物じゃないですか。さっき私たちを襲ってきた! 魔素がたっぷり含まれているんじゃないですか。どんな影響があるか……」


「そうですね」


あえて表情を崩さずに対応する。木の器に調理済みの料理を盛って差し出した。


「ご心配なく。なにも問題はありませんよ。むしろ――いまのあなたたちには必要な食事のはず」


にこり。笑みを湛えて、夫婦をじっと見据えた。


「お腹が空いているでしょう? とっても美味しいですよ。私たちは神様が遣わした勇者ですから。悪いようにはしません」


ごくり。父親の喉が鳴った。


「ゆ、勇者様がそうおっしゃるなら……」


そろそろと器を受け取る。

母親にも器を差し出すと、恐る恐る受け取っていた。


「早く食べたい!」


「ま、待ちなさい……」


お腹を空かせたテオがせがむ。

母親はなかなか踏ん切りがつかないようだった。


拒否してもいいはずなのに、悩ましい様子だ。


それもそうだ。トレントのスープは、みかけはとっても美味しそうなんだから。


白濁したスープから、ほかあ、と白い湯気が立ち上っている。

骨付きの鶏肉から、じっくり出汁を取った結果だ。


作り方はいたって簡単。手羽元と手羽先を、酒と塩を入れた水でじっくり煮込む。風味付けに、潰したにんにくを三欠片くらい。香味野菜も入れるといい。今回は道中で見つけたネギっぽい山菜を入れた。


ひたすらアクをとりながら火を通していく。汁が減ったら適宜足しつつ、鳥の身が箸でホロッと解けるくらいまで煮ると、スープの表面に黄金色の油が浮かんでくるはずだ。そこに下ゆでしたトレントの地下茎を入れる。


トレントの可食部分は幹や枝、葉ではない。地面の下にあった。


根が張っていた部分を掘ると、土中からゴロゴロ丸いものが出てくる。

それが地下茎だ。


味わいは実にたんぱく。生食は不可。茹でればほっこり。揚げたらおつまみにもなる。私たちの世界で言えば――そう。ジャガイモのような。


私はトレントの実と呼んでいる。


皮を剥いたトレントの実の扱いはジャガイモと一緒。

鳥のスープに入れて煮込んでいくと、デンプン質が溶け出してとろみが出てくる。

しっかりとトレントの実に味が染みこむよう煮込んだら――

仕上げに塩胡椒で味を調えれば完成!


鶏肉とトレントのスープ。ほっこりじんわり。お腹の底から温まる一品だ!


「よ、よし! 俺が食べてみる」


父親が声を上げた。匙を差し込み、そろそろと口をつける。


「――ッ!」


瞬間、大きく目を見開いて顔を輝かせた。


「うめえ!!」


バクバクと食べ始める。匙を動かすのを止められない様子で、骨付き肉にもかぶりついた。


「肉がホロッて! 噛まなくてもいいくらいだ! こりゃいいや。食べ応えがある。トレントの実にも、鳥の味がしっかり染みこんでて……。すげえホクホクしてる!」 


「ちょっと薄味ですよね。味が足りないようでしたら、マスタードもありますよ」


「マ、マス……? よくわからんが、いただこう!」


薄黄色のマスタードを肉にたっぷりつける。

思い切り頬張れば、父親の頬がゆるゆると和らいだ。


「んんっ……! たまらん。さわやかな辛味が…! 優しい味が一気に引き締まった!」


「でしょう。パンもありますよ。汁に浸すんです。よかったらいかがですか」


「おおっ! 最高だな!」


ガツガツ食べる父親を、母親が心配そうに見つめている。

すると、異変に気付いたのか目を瞬いた。


「あなた、体が光っているわ」


「え?」


キョトンと目を瞬いた父親が、自分の体を確認する。


身体は間違いなく発光していた。ほわほわと光の球が肌からにじみでてさえいる。


「ど、どういう……。あっ! 足が!!」


父親が驚きの声を上げた。足に触れて口をパクパクさせている。


「……治ってる」


「ええっ!?」


「いや、さっきまですごく痛かったのに。これはどういう――」


困惑を隠しきれない父親に、妹は鼻高々に言った。


「ふふん。すごいでしょう。これがおねえちゃんの力。魔物料理で人を癒やすのよ!」


「……正しくは魔素を含んだ料理を作れる、ですけどね」


得意満面な妹に苦笑しながら、動揺している夫婦を見つめた。


「過剰に取り過ぎれば化け物になってしまう魔素も、適量なら身体を癒やすんです。回復魔法と同じ要領と考えていただけたら」


「なるほど……」


納得したような表情の夫婦に私は続けた。


「私はあらゆる魔物を食べるための術を神様から教えていただきました。魔素の噴出で、食べるものがなくなってしまった人たちがおおぜいいる。その人たちのお腹を満腹にするために、私は喚ばれたんです!」


ポカンと話を聞いているテオの頭を撫でる。


「食べたら、疲れも吹っ飛びますよ。海辺の街まであっという間に行けるはず」


ニコリと笑んで、手を差し出した。


「おかわり、いかがですか」


「~~~~ッ!」


父親が感極まったように瞳をうるませた。


空になった木の椀を受け取る。

二杯目を用意していると、母親とテオも食べ始めたのがわかった。


「ママ。すっごく美味しいねえ!」


「ええ。ええ。本当に……」


ポロポロと涙をこぼしながら食べている。

母親やテオの顔に赤味が差しているのを眺めて、私は思わず笑顔になった。



   *



「おねえちゃんたち、ありがとう~!!」


遠ざかって行くテオたちを眺め、ほうと息をもらした。


「なんとかなったね……」


近くにあった倒木に腰かけると、すかさず妹も隣に来た。


「お疲れ様。おねえちゃん」


まもりが寄りかかってくる。


「疲れているのは戦闘をこなしたまもりの方でしょ」


思いやりのある妹を可愛く思いながら、ぽつりとつぶやいた。


「今日も無事に生き残れたね……」


異世界に喚ばれて一年ほど経つが、いまだ魔物と相対する緊張感には慣れない。


いつ致命傷を負うかとハラハラしっぱなしだった。


なにせ、私はまったくといって神様から戦闘方面の恩恵を授かっていない。


私たちは姉妹で異世界に喚ばれた。


だから、本当はひとりに与えられる恩恵を半分こしている。


戦う力は妹に。


癒やす力は私に。


それぞれの特技、剣道と料理に合わせた能力を授かったのだ。


私たち姉妹はふたりで一人前だった。


「大丈夫。おねえちゃんのことは私が守るから!」


妹が意気込んで宣言している。

ぱちくりと目を瞬いて、思わず笑顔になった。


「うん。頼りにしてる。そのぶん、美味しいご飯を作るからね」


頭を撫でながら言うと、妹が気持ち良さそうに目をつぶった。


「楽しみ。私、おねえちゃんのご飯が一番好き!」


「嬉しいことを言ってくれるなあ!」


思わず妹を抱きしめた。きゅうっ。変な声がしたけれど、そんなのお構いなしだ。


「くるっ……苦しいよう!」


「まもりが可愛すぎるのがいけないの!」


ふたりでキャッキャとじゃれ合っていると、不意に声が聞こえてきた。


「ねえ!!」


遠くにテオの姿が見える。


口もとに手を当てたテオは、私たちに向かって勢いよく叫んだ。


「おねえちゃんたちって、ご飯の勇者様だね!」


「ご飯の……」


「勇者様……?」


妹と顔を見合わせる。


「フフッ……」


「あははははは!」


そして、同時に噴き出したのだった。




――――――――――――――――――

鶏肉とトレントのスープ(鶏肉の塩シチュー)


トレントの実(ジャガイモ) 中サイズ5個くらい

手羽先、手羽元(片方だけでもいいです。おすすめは手羽先)3~400グラム

ネギ 一本

にんにく 三欠片

塩、こしょう 適宜

マスタード お好みで


*出汁を取るのが手間なら、鶏ガラスープの素でも。ぜんぶ圧力鍋に入れて煮ると楽です。キャベツやニンジンを入れてもグット。ようは鶏肉のポトフです。

*ジャガイモは下ゆでではなくて、レンチンでも可。

*柚子胡椒と食べてもおいしい。


あまったら、トマト缶を入れてミネストローネ。ルーを入れてカレーにアレンジしても。かなりあっさりしているので、作り置きしておけば、朝ごはんのお供に最適です。

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