食いしんぼう姉妹が異世界に喚ばれたら

忍丸

第1話 鳥肉とトレントのスープ 前編


ある日、なんの前触れもなく異世界に喚ばれた。


神様は言った。世界が危機に陥っているので、助けてほしいのだと。


見知らぬ世界に連れ去られるなんて――


青天の霹靂。まさに驚天動地のできごと。


なんて不運だろう。頭が真っ白になった。


――でもね?


不安はなかった。むしろホッとしていたんだ。


だって、隣に妹がいたから。


妹がいれば大丈夫。繋いだ手がそう教えてくれていた。



   *



穂花ほのかおねえちゃん! こっちに人がいた!」


妹の声が深い森の奥に響いている。


慌てて駆けつけると、木々の合間に朽ちかけた小屋を見つけた。


いや、違う。


建物自体はそんなに古くない。建物を取り囲む緑が小屋を押しつぶそうとしているんだ。


ぎし、ぎし。木々が軋む音が響いている。


小屋を壊そうとしているのは、普通の植物じゃなかった。


生き物のように意思を持ち、摩訶不思議な能力を駆使する――魔物だ。


「ギシャアアアアアアアアアアッ!」


ひときわ大きな樹木が、けたたましい叫び声を上げた。


トレント。樹木の精霊だという。本来は穏やかな性格だそうだが、いまは手も着けられないほど荒ぶっていた。世界が変わってしまったせいだ。私たちを喚んだ神様はそう言っていた。


「くそったれ! こっちに来るんじゃねえ!」


「うわああああん。ママァ! 怖いよう!」


「大丈夫。大丈夫だからね……」


悲鳴が漏れ聞こえてきた。子どもの声もする。やっぱり中に人がいるんだ!


このままじゃ、トレントに押しつぶされてぺしゃんこだ。早く助けなくちゃ!


「まもり。行ける!?」


「うん。任せておいてよ! おねえちゃん!」


私の妹――木崎きざきまもりは、長いポニーテールを宙に遊ばせて、上空へ飛び上がった。


驚くほどの跳躍力だ。普通の女子高生には絶対に無理。もともと運動神経バツグンで、小学校から剣道をしていたとはいえ、およそ人間業とは思えない。


だけど、まもりはさも当然のように空を駆け抜けた。手には刀を握っている。


「いっくよーーーー!!」


上段に構えた。

セーラー服のスカートが風にひらめく。真っ赤なスカーフが森の中で目に眩しい。


「はあああああああああああっ!」


――一閃。


白刃がきらめいたと思うと、小屋に巻き付いていたトレントの枝が一刀両断された。


「ギャアアアアアアアア……!!」


耳をつんざくような悲鳴。メキメキと木が割れる音。ぎろり、するどい眼差しが妹に注ぐ。


恐ろしい目だ。夢に見てしまいそうなほどに殺意がこもっている。


私だったら腰を抜かしてしまうだろう。でも、妹にはまったく効果がなかった。


「なによその目つき!」


白刃が自由自在にきらめく。重そうな刀を目に見えないほどの速さで繰り出した妹は、迫り来る枝葉をすべて払いのけ、あっという間にトレントに肉迫した。


「これで最後!」


とどめとばかりに大きく腕を振るう。


瞬間、トレントの動きが止まった。


「ギイ……」


か細い悲鳴を上げて、そこらじゅうに伸ばしていた枝が力なく落ちる。


妹の刀がトレントの体を横なぎに切断していた。鈍い音を立てながら倒れていく。


猫みたいに軽やかな動きで着地したまもりは、ふりかえってピースサインをした。


「ぶいっ!!」


「まもり……! だ、大丈夫だった!?」


得意満面の妹に駆け寄って、勢いよく抱きしめる。

きゅうっ。変な声がしたけど、お構いなしに体のあちこちを点検した。


「怪我はないよね? 痛いところは?」


焦って問いかけると、ほんのり頬を上気させた妹は照れ臭そうにした。


「大丈夫。心配性なんだから。てか、そうじゃないでしょ」


ニッと歯を見せて笑って、私の頬を指で突く。


「いま言うべきはお疲れ様じゃない?」


至極まっとうな指摘をされて、思わず赤面する。


ちょっぴりくすぐったく思いながら、はにかんだ。


「……お疲れ様」


妹が満足そうにうなずいた。


「もう敵はいなさそうだね。戦闘担当の仕事はおしまい! 次はおねえちゃんだ」


キラキラした眼差しを向けられ、背筋が伸びるような気持ちになる。


そうだった。これからは私の番。


「行こう」


壊れかけた小屋へ向かう。


小屋はさんたんたる状況だった。


トレントの体になかば取り囲まれ、建物がななめに傾いでいる。屋根は剥がされていて、住居としての役割はもう果たせそうにない。


人の気配がする。無事であればいいんだけど――。


「大丈夫ですかっ!」


トレントの体をよじ登って中を覗き込むと、中にいた人と目があった。


親子だ。部屋の隅に固まって、父親はボロボロの斧を手に立ち尽くしていた。後ろでは、母親が五歳くらいの子どもを抱きかかえている。


「怪我はありませんか」


「あ、あなたたちは――」


唐突に姿を現した見知らぬ人間に警戒しているようだ。


妹と目を合わせると、胸元にかけていたペンダントを見せた。


「こんにちは。私たち、勇者なんです」


「困っている人たちを助けに来たんだよ!」


ペンダントトップには精緻な文様が彫られていた。

この世界を守護する存在を象徴する印。

これを携えられるのは、神様に認められた人間だけだ。


困惑気味に父親と母親が視線を交わしている。

母親は、じわりと涙を浮かべた。


「……助かった……」


ホッと胸を撫で下ろし、疲れ切った様子で体の力を抜く。

斧を取り落とした父親は、ぺたりと床に座り込んでしまった。


母親の腕の中にいた子どもが、キョトンと私を見つめている。

ふっくらとした頬は、埃で薄汚れ、いくつも涙の筋が残っていた。

すごく怖かったんだろうな。少しでも安心させたいと笑顔になった。


「疲れたでしょう。さあ、美味しいご飯を用意しますから!」


手を伸ばした私を、呆けた様子の親子がまぶしそうに見つめていた。


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