ちべすな

猫パンチ三世

諸行無常

 黒猫のノワール君は、憂鬱な気持ちで会社へ向かっていた。


「はあ……」


 彼の口からは魚の香りのため息が漏れる。

 その猫背はいつもよりも更に角度が付いているように見えた。


「何だってあんな……」


 うつむき気味で歩く彼の目に、見慣れたスーツが映った。


「君は……ちべすな君!」


 チベットスナギツネのちべすな君は、すんとした顔で軽く手を上げた。


 二匹は並んで会社へ向かう。

 彼らは同じ会社の同期だった。


「聞いてくれよちべすな君。僕の大事にしてた花瓶、覚えてる?」


 ちべすな君は小さく頷く。

 彼が言っているのは、以前ノワール君の家へ遊びに行った時に見た、綺麗な花柄の花瓶の事だろう。


「今朝あれを割っちゃったんだ、電車に遅れそうだったからつい慌てててさ……。まったくドジだよな」


 落ち込んだノワール君の背中を、ちべすな君は軽く叩く。


諸行無常しょぎょうむじょう


「しょ……え? ちょ……ちょっと待って!」


 ノワール君はスマホを取り出し、ネット言葉の意味を調べる。


「えーっと……つまり世の中のものは常に変化し続けるから、花瓶が割れたのも自然の流れって意味?」


 ちべすな君は大きく頷く。


「だから元気だしてって事かい?」


 ちべすな君はまた頷いた。


「そっか、じゃあしょうがないか! 自然な流れだもんね! また新しいの買うよ!」


 明るくなったノワール君は、ちべすな君と二人仲良く歩き出しました。



 ・諸行無常しょぎょうむじょう


 世の中のものすべては常に変化し、一つとして不滅なものはない……みたいな意味。

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