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 私たちはヴァルヴァレト港が見渡せる場所までやってきた。ヴァルヴァレト家は海上貿易で財を成した一族。港の名前にもなっているのはその証左といえる。


 港を見下ろすプロムナード、その欄干にもたれて海を一望する。こちらへ向かってくる、南の工業都市ホーゼナイの大型帆船。沖へ向かうは海路で移動する行商団の船か。見ている間にも新たな船が水平線から現れては消えていく。


「左手にあるドックが見えますか? 屋根に穴が空いている」


 指差し示すのはザインだ。


「密輸に使われていると思われる場所です」


 彼の示す建物を自分の目で見つけ、なるほど、と私は思った。小さなドックだ。使っていた船も、業者も、さぞかし小さかろう。それこそ、商売敵との競争に負けてしまうほど。周辺には大きな倉庫がいくつも並んで建てられ、人目から逃れやすい。姑息な金稼ぎにもってこいの場所だ。


「わかりました。さっそく乗り込みましょうか」


「まだ昼前ですから、奴らが居るとは限りませんが」


 緩慢な動作でサンドイッチをほおばりながらザインが言う。


「不躾ながら言わせてもらいますが……食べるのが遅いですね」


「味わって食べてるんですよ……」


 彼は咀嚼音を交えながら不服そうに返してくる。


「あなたこそ、それだけで足りるのですか? 女性にこう言うのは失礼かもしれませんが」


「私はこれが好きなんですよ。それこそ「味わって」食べています」


 私は唇の端にぶらさげた「それ」の皮を、くいくいと動かした。

 私が腹ごしらえに選んだのは果物。とても酸っぱくて、さわやかな味と香りのする食べ物だ。残った皮も噛むことで長く楽しめる。当主様には行儀の悪い癖だと言われるが、屋敷に居ないときくらい良いだろう。


「果物は素晴らしいですよ。病気になりませんし、心にも美味。それに、肌を美しく保つのにも良いと、当主様が言っていましたね。別に、私には関係のないことですけど」


「……急に饒舌になるのも、果物のおかげですか」


 指摘されて、ポッと顔が熱くなった。


「私のことはもういいですから、さっさとその脂ぎった肉を水気の無いもので挟んだつまらない食事を口に詰め切ってくれませんか?」


「そんなに怒るとは……」


 いけない、いけない。奥歯でぎゅっと皮を噛みしめて自制する。じゅわと染みる酸味と香りが心をなだめてくれた。


「すみません、私としたことが……」


「ああ、いえ、私も軽率なことを言ってしまって……」


「次は斬りますから」


「えっ」


 ヴァルヴァレトの騎士を小ばかにしてくれたのだから、このくらいの仕返しは当主様も許してくれるだろう。

 私は港へ降りる階段目指して歩き始める。


「さあ、もう行きましょう。本格的に昼食時になると、道が混みますからね」


「そんなに急かないでくださいよ。子供じゃあるまいし」


「どっちの腕からがいいですか?」


 口の中の皮が苦みを強くし始めていた。



「ここです」


 私たちは密輸の現場と考えられるドックへとやってきた。


 港に下りてからのザインの足取りは速かった。ともすれば彼を見失ってしまいかねないほどに。どうやら彼はこの場の主導権を得たいようだ……そう思えた。


 建屋に入ると、ここが漁業のために使われていたのがわかった。大型の魚を解体する場所も兼ねていたのだろう。巨体を吊るためのフックが海風に揺れていて、床板に赤黒い染みが付着していた。おまけに、まだほんのり臭う。フルーツをもう一つ買っておけばよかった。


 海側の入り口は開け放たれていて、水平線まで見渡せる。なるほど、小さい船でなら自由に出入りできてしまうわけだ。


「で、どうします? 見たところ、何も残っていないようですけど」


 着いたら密輸の真っ最中、とくれば楽だったのだが。残念ながら人影もなく、波が木板を打つ音が聞こえるのみ。

 望み薄を感じ始めた私に対し、ザインは積極的だった。


「徹底的に改めます。どんな小さな手掛かりでもいい。密輸に繋がる証拠が見つかれば、治安局で正式に捜査を始められるはずです」


 感心なことだ。治安局はこんなに健気な青年を雇えるのに、なぜ捜査に及び腰なのだろう。

 何にせよ、ヴァルヴァレトの港を荒らす不届き者を見つけてくれるというなら助かる話だ。今日中に、という当主様の命を守れるかどうかは気になるが、ここは彼に任せよう。


「私は中二階を見てきます。レフさんは一階で。何か見つけたら呼んでください」


 すっと右手の甲を額に当てて、承諾の意を示してやる。

 しかし何から手をつけていいやら。目に付く物など、積まれた木箱くらいだが、確信を持って言える、あれは空だ。穴だらけだし、あんなに乱暴に積んで崩れていないなら重量もない。

 歩き回ってブーツに臭いが着くのも嫌だ。ザインが上にあがったら、死角になるところで考え事でもしよう。あまり考える事も無いが。


 ザインが階段に足をかけたところで、異変は起こった。

 ガシャガシャと騒がしく音を鳴らしながら、三人の男がドックに入ってきたのだ。


「なんだ、おまえたちは」


 ザインが声をあげても、男たちは意に介さない。三人の目は全て私に向けられていた。


「ザインさん、上で隠れていてください。私の仕事みたいです」


 すでに心の内では、私は彼らを斬らねばならないだろうことが予見されていた。新米局員が居ても邪魔なだけ。私は誰かを守る戦い方は得意ではないのだ。


 一人逃げることを正義心が咎めるのか、彼は階段に足をかけた体勢のまま、まごついていた。まあいい、私が彼を守る義理も無い。自分の身は自分で面倒を見れるだろう。


「さて、ヴァルヴァレトの騎士にどのような用件でしょうか。えっと……ハゲ頭さん」


 三人の中心を歩く、体の一番大きいスキンヘッド。彼がリーダー格だろうと思い声をかけたのだが、言葉を誤ってしまった。


「てめえ……!」


 青筋を浮かべて明らかに怒っている様子のそいつは、棒の先端に重い金属球を付けた武器……なんと言ったか。ああ、思い出した、「メイス」だ。それを持ち上げて威嚇してくる。


「まあ落ち着け」


 左側に立つ薄汚れた帽子を被った、背の低いやつが大男をなだめる。


「見てくれは小娘でもこいつは騎士だ。一人で突っ込んで、首が魚の餌になっちまっても知らねえからな」


 指揮を執っているのはこっちだったか。


「それで、えーと何だっけ……あ、そうだ。やいやい、ここを嗅ぎまわってる騎士と治安局の犬ってのは、おまえらだな?」


 妙に芝居がかった口調で帽子の男が言う。


「見ればわかることでしょう。こうしてここに立っているんですから」


 答えてやると、それもそうだな……などと気の抜ける事を呟く。


「まあ何でもいいや。とにかく、ここに足を踏み入れた奴は騎士だろうが誰だろうが、始末するように仰せつかってんだ。覚悟してもらうぜえ」


 三人の男が武器を構えてにじり寄ってくる。メイスの大男を先頭に、棒切れみたいに痩せた長髪は、お似合いの細い短剣を。帽子の男は……何か妙な筒を握っている。凶器であることはわかるが、あれは何だったか。見たことはある、気がするのだけれど。あるいは、まさにそれが密輸された武器なのかもしれない。


「なるほど、私の命が欲しいと」


 私も腰に吊った剣の柄に手をかける。


「ヴァルヴァレトの騎士を脅かすもの、すなわちヴァルヴァレトとそのすべてに仇なすもの。私の剣が斬るべきもの」


 呪文のように唱えて、剣を鞘から抜く。ホーゼナイの工房に特注で打たせた、私のための剣。重心の位置からグリップの太さまで、なにもかもが私に馴染む一品だ。


 味を失った果物の皮を、海へ吐き捨て、言い放った。


「さあ。覚悟が必要なのは、どちらでしょうね?」


 ヴァルヴァレトの剣よ、その役目を果たせ。



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