砂に落ちた思い出【4-3】
昨夜と同じく、空には大きな月が浮かんでいた。砂漠の夜という究極の暗闇を、不安のないくらいに照らしてくれている。馬車に掛けられた日除けの隙間から見る星空は輝きを散りばめた帳。砂丘の上に浮かぶ白い月。ため息が出るほどに幻想的だ。
しかしそんな光景を贅沢にも見慣れてしまっているカイリアにとっては退屈なのか、しきりに話しかけてきた。
前世界ではどんな乗り物を使っていたのか、とか。
「動物に車を牽かせる、というのが既に廃れきっていた。少なくとも、街でそういうことをしていたら観光用の見世物だと思われるだろうね」
「ならば、どうしていたんだ。まさか、前世界の人間は空を飛んでいたとでも言うんじゃないだろうな」
「それが、あながち間違いでもない。飛行機という乗り物があった。人を乗せて空を飛んでいた」
「なんとまあ……お伽噺のような世界だな」
「でも飛行機を個人で持っている人は多くなかったし……高い料金を払って、そう、乗り合い馬車のように他の乗客と一緒に乗るんだ。でも、普通は乗ることもないね。飛行機を使わないと行けない場所へ行く必要があったり、時間がどうしても惜しいときに仕方なく使う程度だろう。もっと一般的に普及していた乗り物の話にするなら、やはり自動車だ」
カイリアは僕がする前世界の話を面白がってくれているようだった。この時代からすれば異界の生活だ、好奇心が出るのはもっともなこと。
だがそこに登場する物品の原理や製法のほとんどを僕は説明できない。そういう物としか言えない自分の無知さを思い知らされる。僕は前世界技術の伝道師には到底なり得なかった。
それでもカイリアは相鎚を切らさずに聞いてくれている。座席からでは見ることはできないが、きっとその
「王都で保管されてる遺物省の発掘品の中には、今エイユーが話したような機械も混じっているかもしれないな。動力源になってる石油や電気とやらも、魔法石で代用が利くかもしれない。前世界のような時代もいつかやってくるに違いないな」
魔法石が持つポテンシャル次第ではあるが……もう千年くらい経てば人類はあの栄光の時に還るのだろう。いや、五百年とかからないかも。
「わたしもエイユーのように眠りの中に老いを閉じ込めて未来に行きたくなってきたぞ。記憶を無くすのはごめんだが」
「おすすめしないな。元の時代に戻れるならともかく」
「……ああ、撤回する。そも、時計の針を進めることこそがわたしたち技師の役目だ。この時代の人々のために」
「その意気だよ」
「それに……おじいちゃんやタルクたちを置き去りにして未来へ消えるなんて、考えてみれば恐ろしいことだ」
僕は景色に視線を戻した。宇宙からの明かりだけが光る砂漠に、孤独感が襲う。ここが眩しいほどの電灯が影を消す未来の街だったとて、心の中はこの無辺の砂漠と同じだ。
「そういえば、シヴィラは静かだな」
カイリアの声にシヴィラの座る席へと目を向ける。
「……寝てる」
僕らの前世界談議は睡眠導入も同然だったか。揺れる馬車の中でよくもまあ。
シヴィラは過去や未来の世界よりも、今の世界に興味が向いているのだろう。自分の足で踏みしめることができる今に。
「さて、そろそろ行き先について説明しておきたいと思う」
ホーゼナイが地平線の向こうに隠れたころ、カイリアは行く手を向いたままそう言った。
「帰るのが億劫になるとこまで出てきてから言うなんて、よほど後ろめたい場所に行くんだな」
「後ろめたいというか……街で伝えたらきっと二人は断るだろうと思ったんだ。特にエイユー、キミは」
「他ならないカイリアの頼みだ、断るわけないさ」
今ここから歩いて帰るように言われたら堪らないからな。というのは置いといて、断るのなら不法侵入までして起こしてきた時点で拒絶している。
「行く先はフォーエの遺跡だ。あの開かずの扉の先へ進むには、エイユーが一緒でなければならないんだろう?」
「な……!」
絶句してしまった。僕の浅い地理が正しければ、フォーエというのは……。
「キミらが遭難中、砂嵐をしのぐために入り込み、ツォングシャラに追いかけ回された遺跡だな」
「だなって……ツォンが出る場所じゃないか! それはさすがに話が違う!」
「案ずるな。キミらを襲ったヤツはエリガンが仕留めたんだろう」
「そうだけど……!」
「いいか、ツォングシャラは繁殖期以外で群れることがない。一個体毎で広く縄張りを持つから、一匹見つかった場所では逆にもう他には居ないということだ。仮に縄張りの主が死んだとして、別の個体がそこに居着くのは次の繁殖期以降。そういう研究結果が出てるんだ」
「し、信用していいのか、その研究とやら」
「英雄様。これは遺跡を調査する良い機会だと思います」
いつの間に起きていたのか、シヴィラが割って入った。
「あの時はツォン=グシャラが追ってきたために、遺跡の中を探索できませんでしたから。ワタシたちの旅の目的は、英雄様の記憶の手がかりを探すこと、せっかく見つけた遺跡を調べない手はありません」
「それは間違いないけど……何もこんな夜にこそこそ忍び込まなくても」
「いいや、こそこそする必要があるのさ。あの遺跡には既に発掘隊が派遣されている、つまり遺物省の管理下にあるんだ。無許可で立ち入るなら盗掘と疑われるのは必至だ。だが今は発掘作業は中断され、フォーエの詰め所のエリガンが時折見回りに来るだけ。そいつの目さえかいくぐれば、遺跡に入ることはできる」
「それって結局犯罪じゃないか」
いくら記憶のためでもお縄になるのはごめんだ。
「バレなきゃいいんだよ。身元の証明できないエイユーが正規の許可を取るのにどれだけ手間がかかると思う? シヴィラも言ったが、これはエイユーが遺跡を調べる貴重な機会なんだ」
「でもカイリア、君は何をしに行くんだ? さっきから僕らが遺跡に行くべき理由ばかり話しているが。わざわざ世間に見とがめられるようなことをしてまで、フォーエの遺跡に行く理由はなんだ?」
「わ、わたしか? わたしは、まぁ……気分転換ってやつ、さ」
カイリアは途端に語調を乱した。
「……わたしだって、遺跡には興味があるさ。何せ前世界の武器である自動小銃に携わろうとしてるんだぞ、遺物から何かアイデアを得られるかも知れないし……」
「カイリア。君、コードンでの僕たちの話を聞いてたな」
思い切って追及する。このタイミングでフォーエの遺跡に、無理矢理に入ろうとする理由はそれしか考えられない。カイリアは、フォーエの遺跡に隠されたものに気づいてしまったのだ。
「……盗み聞きしようなんて気は無かった」
カイリアは意外にもすんなりと白状した。
「どこまで聞いていたんだ?」
「そう長くは居なかった。わたしが聞いたのは、フォーエの遺跡で母さんの髪飾りが見つかったところだけだ」
船で一人眠りから覚めたカイリアは僕の自動小銃を清掃し、それを届けるためコードンへ走った。特に人払いを求めたわけでもなかったため、女将は僕らが二階の個室にいることを教えてしまったらしい。
「個室の前に着いた時、既にキミとおじいちゃんはわたしの母さんについて話していた。それを遮ってまで入ろうか入るまいかと考えているうちに……母さんがフォーエの遺跡で最期を迎えたらしいことを聞いてしまった」
知ってしまったことは仕方がない。僕は真実は伝えるべきだと考える立場だったから。
僕らに悟られないようコードンを後にしたカイリアは自分の船に逃げ込んだ。そして今夜のための準備を始めたのだった。
「あの……お爺さんのこと、悪く思わないであげてくださいね。髪飾りがカイリアのお母さんの物だとは今日わかったばかりで……カイリアさんのことを想って秘密にすることを選んだのですから」
シヴィラがおずおずと言った。
「ああ……聞いたときは裏切られたようでショックだったがな。今夜の内にフォーエの遺跡に行ってしまおうと考えているうちに落ち着いたよ」
僕は安心した。誤解があってカイリアとリグラートの仲が拗れるようなら、箝口令を破ってでも訂正しなければならない。互いに唯一の家族なのだから。
シヴィラも同様に胸をなで下ろしていた。
「それで、遺跡でお母さんの遺体を見つけてどうするんだ」
「……せめて、地上には出してやりたいと思う。母さんは砂漠が好きだった。過酷だが美しいといつも話してくれた。そこに墓標を立ててやりたい」
「わかった。手伝うよ。遺体の場所は僕らは知っている。エリガンの研究が正しければツォングシャラも今は居ない。朝までには無理なくモノリさんを遺跡から連れ出せるだろう」
「……ありがとう、エイユー。シヴィラ」
終始振り向くことなく手綱を握りしめていたカイリアだったが、言葉の節々で鼻をすする音が聞こえていた。夜の寒さだけが原因ではないだろう。
再びあの遺跡へと向かう僕らを、月が何処までも追ってきていた。
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