第9話
執務室に戻ったフロイドの後を追い、王太子も続いて入った。
「おい、フロイド。俺にも何か手伝えることはあるか?」
国王の御前を辞した後、王太子が自分の後をついて来たことはわかっていた。
特に声をかけられることもないままに執務室に戻ったのだが、まさか付いてくるとは思わなかった。
「殿下。いかがなさいました?」
フロイドは王太子の言葉に驚きを隠せなかった。自分でも急ぎ事を起こさなければならないのに、王太子に構っている時間は正直無い。
「一応、俺も妻帯者だ。婚姻の儀を経験もした。相談に乗れることがあると思うんだ。まずは父からの命を早急に伝えた方が良い。令嬢には準備が必要だろうからな」
「準備など必要ありません。彼女はその身一つで来てもらえば良いと思っています。
何かを期待しているわけではありませんので」
「いくら意に添わぬと言っても伯爵令嬢だ。うら若き乙女はやはり、婚姻に夢を見るだろうし、伯爵家としても婚礼衣装には力も入れたいだろう。そんな簡単ではないと思うぞ」
「準備も衣装も必要ありません。どうせ神の前で誓いを立てるつもりはありません。婚姻届けに署名をし、国王の認めをいただければそれで夫婦ですから」
「いくら何でもそれじゃあ寂しすぎる。お前の為じゃない。相手の事も少しは考えてやれ。これから茨の人生だ、せめて人並みのことをしてやっても罰はあたらん」
「そういうものでしょうか? 私には理解出来ませんが、検討の余地はあるかと」
「まったく。お前は一生嫁を娶ることなど無いと思っていたのに。すまなかったな」
「殿下が気に病む必要はございません。私自身が決めたことです。令嬢とは夜会などで接点がございます。顏も知らぬ仲ではないのがせめてもの救いでしょうか」
フロイドは王太子に向け少しばかりほほ笑むと、彼もまたわずかに口角を上げ、安堵したような顔をした。
フロイドはグリーン伯爵家に先触れを出すと、急ぎ自邸に戻った。
自ら彼女の元に赴き、国王の命を告げに行くつもりだ。誰でもない、自らの口で彼女に報告をしたい。その時どのような顔をするのか、確認をしてみたい気持ちが沸きあがる。
「お早いお戻りで」 玄関先でセバスチャンが出迎えると、
「フランチェスカを娶ることになった」
フロイドの言葉にセバスチャンはピタッと足を止め、すぐに主の後を追う。
「詳細は後程。お父上にご報告は?」
「いや、まだだ。これは王命による婚姻だ。騒ぎにするつもりはない。
これからグリーン伯爵家に行く。支度を頼む」
「かしこまりました。ご実家には軽い報告だけをいたします」
「それでいい」
フロイドは着替えを済ませると、急ぎグリーン伯爵家へと馬車を走らせた。
先触れは出すも、内容までは伝えていない。フロイド自らが出向くことで、伯爵家はきっと戦々恐々としているに違いない。いや、あの家は何のしがらみもなく、政治とは無縁に過ごしている。何をしにくるのだろう?と、呑気に構えているかもしれないなと、そんな事を考えながら車窓を眺めていた。
時間は夕刻。辺りを夕日が赤く照らし、さすがのフロイドもすこしばかり感慨にふけっていた。
グリーン伯爵家につくと伯爵と夫人が直々に出迎えてくれ、そのまま応接室へと通された。少し緊張気味の伯爵の正面に座り、挨拶や世間話もそこそこに、本題を切り出した。
「本日、グリーン伯爵家へ王命が下されました。私は先だってそのご報告に参いった次第です」
「王命が?」
さすがの伯爵も驚き夫人と顔を見合せてから、フロイドを見返した。
「して、その内容とは?」
「後日改めて書簡が届くかと思いますが、王命の内容につきましては、伯爵家ご令嬢のフランチェスカ嬢と、私フロイド・テイラーの婚姻でございます」
真っすぐ伯爵と夫人を見据えて告げるフロイドに揺るぎはない。
急に告げられた伯爵は目を白黒させ、口を開けたり閉じたりしながら声にならない声を発していた。むしろ夫人の方が冷静であり、執事にフランチェスカを連れてくるように命じた。
しばらくすると「お待たせいたしました。お呼びでしょうか?」フランチェスカのたおやかな声が耳に心地良く、自然に口元が綻びそうになる。
「そこにお座りなさい」夫人に指さされ、フランチェスカは下座の背もたれのない椅子に腰を下ろす。
「テイラー子爵が本日起こしくださったのは、お前と子爵殿の婚姻が王命で下されたと知らせに来てくださったのだ」
「私と……。王命?」
フランチェスカも驚いたように目を大きく開き、フロイドをじっと見つめる。
不躾であるはずだが、フランチェスカの瞳に見つめられ、このような場ですらフロイドは恍惚感を覚えてしまう。
先日の夜会の後に起きた血生臭い事件の件で、本日王宮内で沙汰が下った内容をかいつまんで話し、そしてフランチェスカ自身の処遇を対応する運びになったことを伝える。
「あなたの存在が、若く才能ある子息たちの将来の芽を潰すに値すると。そう申す者が出始めました」
「そ、そんな!! わが娘は男を手玉に取るような下衆い心根など持ち合わせておりません。それに、懸想しているのは向こうの方だ。連日のように何かしらが届き、送り返しても懲りずに送って来る。この子に落ち度はありません」
「ですが、いつまで経っても婚約者を決めかねる、その態度にも問題があると。そういう考えを持つ者がいるのも事実。このままでは、若くして修道院に入っていただくことになります」
「そ、そんな。あんまりですわ」
フランチェスカの父も母も、何の相談もなく下されたことに不満を口にする。
「でしたら、もっと早くに聞かされておれば婚約者を選ばせたものを」
悔しそうに膝の上で手を握りしめる父を、フランチェスカは静かに見つめることしか出来なかった。
「ご令嬢に罪が無いことは、まともな貴族なら承知しています。ただ、慕い続ける子息を持つ家や、その婚約者の令嬢を持つ家ともなれば話は違います。
うまくいっていた婚約関係を破綻させられたり、最初から打診すら刎ねつけられる方にしてみれば面白くないというもの。
ですから、その救護策として私との縁談の運びとなりました。
私は子爵位ではありますが、実家はテイラー侯爵家です。後ろ盾はございます。
それに王太子の側近と宰相の補佐を務めておりますので、ご令嬢を養うには十分な財もございます。その点はご心配なく。
ただし、婚姻後は今までのように夜会や茶菓などの表舞台へは足が遠のくことをお覚悟ください。言わば、私の監視下に置かれるというわけです。
外に出向くことは難しくても、我が屋敷に人を招くことは構いません。ご家族の皆さまとも、ご友人とも気兼ねなく会っていただいて結構です。
ドレスでも宝石でも、業者を呼んで買ってもらう事もかまいません。屋敷内は自由にしてもらって問題ありません」
「それでは軟禁ではないですか。フランチェスカはこれからなのに、あんまりですわ」
フランチェスカの手を握り、哀しみの涙をこぼす母。
「この婚姻を断るという事は、修道院入りが確定いたします。たぶん、ここ王都に近い所ではなく辺境などの遠い所になるでしょう」
父も母も「っ!」と息を飲み、互いを見合い目を伏せる。
「ご令嬢は、この沙汰についてどのようにお思いですか?」
フランチェスカは、伏し目がちにしていた視線を上げると
「……この縁談をお受けいたします。元々、夜会にも宝飾品にも興味はありませんでしたから。むしろ、静かに過ごせるのであれば有難いお話です」
「フランチェスカ」
父と母は最後まで可愛い娘を手放すことにためらっていたが、王命とあれば断ることなど初めから選択肢には無い。ただ、少しばかりでも胸の内を目の前の男にぶつけたかったのだ。
ずっと伏し目がちにしていたフランチェスカとフロイドの視線が重なり合う。
どちらともなく向けられた視線は、果てが無いと思えるほどいつまでもお互いだけを見つめ続けていた。
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