第97話 やりたかったこと
白いふわふわの、重いコットンや硬く詰められた羊毛ではなく、水鳥の羽根が詰まった大きな布袋が飛んでくる。
咄嗟のことで受け止めきれなくて、顔に直撃した。けれど、布地は柔らかく中味は軽くてふわふわだったので、さほど痛くはなかった。
「すまぬ! ちと乱暴であった」
パトリツィア殿下は、王城の庭園横にある迎賓館の客室に持ち込んだ長持から、たくさんのクッションを取り出し、寝室中に広げていった。
凭れやすい大きくて少し硬いものから抱き締めるのに丁度いい小型犬ほどの大きさのもの、寝転がって枕にするとよさそうな弾力性のあるもの。
「どれでも好きなのを使うがよい」
侯爵邸の私(お嬢さま)の部屋の倍以上広い客室で、狼や羆の形のままの毛皮を敷き詰め、たくさんのクッションを並べて、床に直接座るのは、夜着にガウンを羽織った、パトリツィア殿下、テレーゼ様、ハイジと私。
壁際に、それぞれの侍女が数人控えている。
私達は、解る限りのリンブルフ語混じりで、ネーデルラント=古低地フランク語で話しているので、フランク語に堪能な侍女も完全には聴き取れないらしく、こちらから呼びかけない限り反応もしない。
「いつも、家庭教師や家政婦長がうるさくての。夜更かしをした事がない。身近に変に気をつかわず話せる友人もいなかったから、女同士の話というやつをした事もない」
ちょっとだけ寂しそうな目をして語るパトリツィア殿下。
「じゃから、そなた達と一緒に泊まれる事になったのがよい機会と思った。一度、同年代の女子ばかりでお喋りで夜更かしをして見たかったんだわぇ」
大きめの枕を抱き締めて毛皮の敷物の上に
でも、
「わたくしもした事はないのですが、パトリツィア殿下に気に入っていただけるような事を話せるかしら」
「あら。アンジュはお家でお友達を呼んだり、パーティーに出たりしなかったの?」
ギムナジウムの寮でも、自室でひとり、読書か語学の勉強ばかりしていたから、談話室や大部屋の、ルームメイト達で集まる女子会には参加したことがなかった。
中等教育も終わらない内に父が亡くなって退学したし。
お嬢さまは、あの別荘に、社交デビューしてから知り合った友人達──デュッセルホフ家のナターリエさま達を招いて、お茶会やお喋り会をしていたと聞いているけれど。
「社交デビューしてからの知り合いをお招きして、数回ほどお茶会を催しただけなの。それまで外に出なかったから、話題がなくて。読んだ本の話でもと思っても、読書傾向が合わないし」
「アンジュ殿は、どんな本を読むのかぇ?」
パトリツィア殿下の好みに合えばいいのだけれど。
古エッダ、地方伝承、古典文学、経済学書、地理、語学教本や辞書、歴史書。そこから歴史小説や英雄譚なども読んだけれど、どれもギムナジウムのクラスメイトの女子にはウケなかった。
「なかなかの勉強家ではないか。詩集や恋愛小説などは読まなかったのかぇ?」
「詩作は苦手で。手本として読みましたが、いまいち心に響かなくて。歴史小説や英雄譚などの登場人物に恋愛事情なども書かれていましたが、共感はあまり感じませんでした」
「そういう本を多く読むのなら、やはり筋骨逞しい戦士が好みなのかぇ? 婚約者も騎士だしの」
温められたミルクに蜂蜜と僅かにブランデーを落とした物を両手で挟み、優しく目を細めて問うパトリツィア殿下には申し訳ないけれど、
「それが、肉厚な体つきの方は好きではありませんの。甲冑を脱いでも同じような体型を見ると、つい後ろに下がってしまいますわ。圧迫感ありますし、見るだけでもなんだか怖くて」
恋愛事情の話題は、昔から苦手なのよね。ガッカリさせたかしら。
クリスを迎えに来たギルベルトさんも、甲冑を着て育ったから身体も甲冑にそった形になったのかと思うくらい、脱いでも鎧のような体型だった。寡黙な方だったので、余計に威圧感があって、最初は少し怖かったっけ。
「え? じゃあ、お兄さまは? お父さまやステフなんかも、胸や上腕が見るからに厚いでしょう」
「公爵さまは子供の頃から素敵な方だと思ってましたので平気ですわ。シュテファン様は、苦手で、出来るだけお目にかかる機会を少なくしたいです」
「あら、婚約者──夫のお
はっ テレーゼ様は、シュテファン様に憧れか思慕かを抱いていらっしゃったんでした。
「ごめんなさい。そうなんですけれど、可能な限り近寄りたくなくて。お顔も立ち姿も、美丈夫だなとは思いますけど好みではありませんの。初めて会った頃のクリス⋯⋯が女の子のように愛らしい美少年だったので、その印象が残っている分、クリストファー様はまだ大丈夫です。けど、後数年もしたら、鎧のような騎士体型になるのでしょうね」
人前でクリスと愛称で呼んでしまったわ。みなさん、気づいたかしら。お嬢さまだったらやらないことなのに。
テレーゼ様とも親しくなり、美しく成長したけれど昔のままのハイジがいる事で、より素が、ボロが出そうになる。もっと気を引き締めなきゃ。
「ダンスしたり、夫となれば
「アンジュはどんな男性が好みなの?」
みなさん、どんどん
「特に、好みというものは。小さい頃、ハイジ達をとても愛してらっしゃるのが見て取れて、騎士なのに貴族としての洗練された所作やマナーも素敵な公爵さまは理想の男性──父親像でしたわ」
「そう。アンジュにそう言われたから、私も周りに遠慮なく自慢出来るようになったのよ」
「アーデルハイトの公爵閣下自慢は止まらぬぞぇ」
頰を染めて、パトリツィア殿下の肩に額を押しつけるようにして照れるハイジ。
きっと、お二人はずっと仲良しさんだったのね。
「公爵閣下は平気で、シュテファン様はだめですの?」
「ええ。体型はスッキリした方がいいの。好感度を顔の造りで振り分けることはあまりないかしら。シュテファン様は美形だと認識しますけれど、ウットリするとかあれで身体がもう少し細ければなどと思ったことは、一度もありませんわ」
「体型に拘るのぅ。どれくらい細ければいいのかぇ? ゴボウのような男性は貧相であろう?」
「どのくらいと申されましても⋯⋯」
「だいたいでよいが」
みなさんに伝わるようにサイズ感を答えるのは難しい。自分でもハッキリこれぐらいが理想と言うものがないのだから。
「今まで、抱きつき心地がいいとか、ぴったりと思う方は?」
「いや、アーデルハイト、それはおかしい例えではないか? 深窓の令嬢が、あちこちで不特定多数の男性に抱きついたことはなかろう。のぅ、今までにダンスの相手でこれならという相手はいなかったかの?」
「それなら、お父さまがあの年齢でお腹も出てなくて、スマートに踊られるのがよかったです。後、お兄さま?」
「やはり好みは父親や兄など肉親に近いものなんかの」
「クリストファー様も、相手に会わせて歩幅やスピードを変えてらっしゃるのが、さすがだと思いましたわ。お兄さまはわたくしが我が儘を申しても叱ってくれたり甘やかしてくださったり、時々、抱き寄せてくださったり頭を撫でてくださったり、傍にいて居心地がいいのです」
「あーあ、アンジュはファザコンでブラコンだったのね」
「テオドール殿か。あれは、決まった相手はおるのかぇ?」
「いいえ。いつもお母さまに、そんなんじゃ可愛いお嫁さんは来ませんよって、お小言のタネにされるくらい、女性の噂もないんですの」
「そうか? あれはモテると思うたのだが。可愛いではないか」
ブランデー蜂蜜に酔ったのか、頰を染めてお兄さまを誉めるパトリツィア殿下に、ハイジが肩を小突く。
「ダメよ、トリシャ」
口を尖らせて、ハイジを振り返る姿は子供のよう。パトリツィア殿下は言葉遣いが古典的なので大人の雰囲気があるけれど、実際はハイジと同じ16歳だ。
「それに、何言ってるの。成人間近の立派な男性を可愛いなんて言っちゃダメでしょ」
「可愛かろうが。わたくしの周りにおる貴族の若者は、虚栄心や自尊心ばかりで、己の非を認めたり謝ったりすることを知らぬ子供ばかり。そこを行くと、テオドール殿は、ちゃんと謝ったり認めたり出来る素直でよい
いえ、これはお化粧でお嬢さまに寄せてるんです。私自身は地味な平民ですから。とは言えず、曖昧に頷いておく。
本当の兄ではないのに、お兄さまをよく言われると嬉しい。
最初は鋭く見透かすような目が苦手だと思ったのに、この二ヶ月ほどで、すっかり自分の家族だと錯覚してしまう。
お嬢さま、早く帰って来てくれないと、私と入れ替わり戻った時の違和感や齟齬が取り返しがつかなくなりますよ。
そのまま、パトリツィア殿下が眠気に負けて船をこぎ始めるまで、それぞれが色んな話をして、初めてのお泊まり会はとても楽しいものだった。
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