第92話 しばしの別れ  


「あなた方、そんなに仲がよろしかったかしら?」


「「勿論」ですわ」


 ゆったり四人座れる箱型の馬車に、進行方向にシュテファン様とテレーゼ様が、向かって進行方向とは逆の座席にお兄さまと私が座っている。

 私は、お兄さまの肩にぴったりと身を寄せ、お兄さまも真っ直ぐ伸びした足も腿の当たりは私に少しくっついている。

 まるで、恋人同士の馬車の相乗りのように。


 シュテファン様が隣に座ったり、親しげに手を取ったり身を乗り出して来たりしないように、お兄さまがいつでも盾になるつもりのようだ。

 勿論テレーゼ様には、昨夜のやりとりを話したりしていないので、急に仲良し兄妹になったようにしか見えないだろう。


「まあ、クリスがいなくてよかったね」

「そうですか?」

「テオドール殿と、席を代われとうるさそうだ」

「クリスは、そんなにがっついてませんよ。兄の僕なら気にしないでしょう」



 実は、今朝早く、王都に向けて発つとき、まだクリスはついて行くと言っていた。


「大丈夫よ。シーグフリード殿下は気さくな方だし、お父さまの趣味の友人ですから、肩肘張ったお茶会にはならないでしょう」

「だけど、正式な招待なのに」

「相手の都合がつかなければ、父親やこの兄が付き添っても問題はないはずだよ。クリスが隣の公国の公子だと知っていらっしゃるのだから、この時期はどこも訪問出来ないと判っているはずさ。それでなくても、討伐遠征やなんやで世話になっている友好国の公子の都合に、文句は言わないって」


 理解はしているからこそ、強く出られないクリスに、そっと寄り、その頰に手を添える。


「お願い。あなたは、お国でこの時期にやらなくてはならない事がたくさんあるのでしょう? わたくしを、我が儘で夫にやるべき事を投げ出させるような、悪い妻と後ろ指を指される女にはしないでしょう? 気になるでしょうけれど、今は、堪えてください」

「うん。⋯⋯ズルいな。そう言われたら、ついていくと言ったこっちがただの我が儘になってしまうな」

「そのまんまだろ」


 しばし無言で、寸止めで殴り合ったり受け止めたり払ったりといったポーズを楽しむお兄さまとクリス。

 本当に、仲がいいのね。


 渋々といった表情かおで馬の手綱を握るクリスを見ていると、これが最後かもしれないと、なぜか涙が滲んでくる。

 誰であっても、別れとはつらいものだ。

 それが、子供の頃の少ない楽しかった思い出の、心の友なら尚更。

 お嬢さまの身代わりをしていただけに、再び入れ替わり直したら、もう二度と会うことは許されない。


 いつか会えたら、は、もう私には期待することすら許されないものとなってしまったのだから。


「クリス」

「! 無意識の時以外、初めて、こちらから直さなくてもクリスって呼んでくれたね」


 テレーゼ様やシュテファン様、執事達やお祖父さまも見ているのは解っていたけれど、胸の奥が痛くて、こぼれそうな涙を見せる訳にもいかなくて、誤魔化しと別れの挨拶を同時に、クリスの胸に縋り付いて額を押しつけるように、子供が年長者に甘えるようにして、涙がこぼれるのを隠した。


「秋の議会開始の頃、帝都で皇帝に挨拶をしなくてはならないんだけど。今までは伯父や父上の補佐官としてついていくだけだったけど、次期の終盤に結婚する報告も兼ねて、君も同行して欲しいから、また、天使のドレスを持って迎えに行くよ」

「⋯⋯ええ、待ってるわ」


 クリスがきゅっと少しだけ強めに抱き締めてくれる。


「秋のベルリンはかなり寒いから、収穫祭が済んだら、すぐにでも君のために狩りをするよ。ドレスに合う毛皮のコートを作らなきゃね」

「義兄にもカッコいいのを頼むぜ」

「テオには、うちの羊で作ってやるよ」

「⋯⋯まあ、ムートンも温かいよな」


「楽しみにしてますね」


 お嬢さまが快癒されたら、その日が私のこの幸せな、家族との生活も、クリスの婚約者だったという夢も、すべて終わり。


 お嬢さまとお別れして二ヶ月近く。入れ替わるために連れ出されてから三ヶ月ちょっと。

 そろそろ、回復の兆しは見えただろうか。不治の病と言われても、生き延びた人が、天命を全うした人がいなかった訳じゃない。

 何らかの条件を見つけたら、完治するはずなのだ。この大陸中でも最も医学に優れた帝国医学界がついていれば、お嬢さまは助かるはず。


 クリスを、婚姻契約だけの結婚生活を未経験のまま寡夫にはしないはず。


 これが今生の別れかと思うと、なにか言っておかなければならないような気もしたけれど、それもおかしいので堪える。

 本来なら、小国国主の嫡男と平民に落ちた下位貴族の小娘。

 二度と交わらないはずだったのに、会うことが出来たのだから、そこはお嬢さまに感謝をして、クリスやハイジへの懐かしい気持ちを再び胸の奥に封じ込めた。




 共にお城のような屋敷を出来て、私達は王都を目指して東へ、クリスと副官の騎士達は北西へ、それぞれ街道を進む。


 行きは、クリスの領地への土産や私の引っ越しのような荷物でいっぱいだった荷馬車も、帰りは、テレーゼ様の私物と土産物(ヒューゲルベルクの特産品の内、日保ちのするもの)、王都の邸までの三日分の私達の着替えなどを載せて、ひとまわり小さいものになっているけれど、それでも二台の馬車のために、お祖父さまは五人の騎士を派遣してくださった。


 来る時のラースさん達と同じように軽装備だけれど、帯剣して、きちんと隊列を組んだ訓練された騎士達だった。


「公爵家の専属騎士達もまあまあだね」


 辺境国境地帯守備の上級軍人であるシュテファン様が誉めるからには、王都までの道は安心と言うことだろう。


 これで、シュテファン様がいなければ、景色を楽しむ余裕もあったのだけれど。


 行きのテレーゼ様の提案通りに、帰りはお兄さまがあちらこちらを観光案内のように解説してくださった。



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