第81話 お酒は嗜まないのですって


その事は(進学について) 、来年相談するとして、部屋に帰ろうか」


 クリスは、私のカーディガンの前を合わせ直してから肩を抱くようにして、閲覧室を出るよう促して来た。

 私には少し重い本を数冊すべて片手で軽々と持ってくれる。


 扉ひとつで図書館と変わりない棟から母屋に戻り、廊下を進むと、サロンから明かりが漏れている。


 通りがかりに覗くと、晩餐後の余暇を楽しむシュテファン様と、コンラートさんが淹れたであろうお茶を飲むテレーゼ様が寛いでいた。


 扉が開かれていたのは、メイドやテレーゼ様の侍女、コンラートさんが居ても、未婚の男女が宵の時間に二人で過ごす事への配慮だろう。


 ソファにゆったりと深く座り、優雅にグラスを傾けながら微笑むシュテファン様は、(私には響かないけれど)大人の余裕と色気があると思う。

 テレーゼ様は、よく平気で⋯⋯と思ったけど、後から聞いたら、シュテファン様が一方的に話していて、相槌や短い返事しか出来なかったと悔やむ、可愛いテレーゼ様を見ることが出来た。


「やあ、クリス、テオドール殿。いい酒を頂いているよ。公爵に礼を言わなくてはならないね」

「ああ、お祖父さまは、自分しか飲まないから勿体ないといつも言っているから、気にしないで。よければ、祖父とも飲み交わしてあげてください」


 お兄さまは、軽く会釈だけして、通り過ぎようとする。


「テオドール殿は、酒は嗜まないのかい?」

「一応、来年の成人までは控えようかと。まだ学生ですし」


 これも後から聞いた話だけど、すぐに耳や目の下などが赤くなって、更に眠くなるそうで、特に人前では飲まないようにしているらしい。


「クリスはどうだい?」

「遠慮しとく。テオとアンジュと、少し話したいから」

「そうか。また明日な」Bis morgen ビス モルゲン

「ああ。おやすみ」Gute Nacht グーテ ナハト



 廊下を通り過ぎ、階段を上って、私とテレーゼ様に与えられた客室に向かう途中で、クリスがお兄さまの肩を軽く叩いた。


「テオ、あんな返事だと、来年は飲まされても知らないぞ?」

「また、なんか断る理由をみつけておくよ」

「飲めないって言っておいた方がいいと思うがな。シュテファンじゃなくても誰でも、お前とは飲まないって意味にとられたら困るだろ? 付き合いに差し障りが出ても知らないぞ?」

「むう⋯⋯ しかし、飲めないと公言したら、何かの時に、無理矢理飲まされたり、飲めないことを利用されたりしそうで怖いんだが」

「それもあるか」


 クリスは、お兄さまがお酒を飲まない理由を知っているようだった。


「クリストファー様は、お飲みにならないのですか?」

「美味しくない」

「は?」

「酒を、美味しいと思ったことがない。から、付き合いで口を湿らせる程度だな。一応騎士団公国の跡取りに、無理矢理飲ませるやつはそうそう居ないから、少し付き合えば角も立たないだろ。テオもそれが出来たらいいんだけどな」

「いいよなー。領邦小国でも帝国内の公式傭兵団みたいなもんで、騎士団公国様々で扱いが他と違うもんな」

「じゃ、お前も何かで下にも置けない扱いをするしかない大物になれば? 大銀行を創立して帝国宮廷に、年間予算ほど貸し付けるとか、芸術とか哲学や文学なんかで欧州諸国に名が響く才能を発揮するとか。何なら、どこかの内乱に首を突っ込んで武功を立ててくるとか? 俺は、俺自身が敬われてるんじゃなくて、父上や先祖代々の功績の、虎の威だから」


 昨日も少し思ったけれど、クリスは、お父上にコンプレックスがあるのかしら?


「でも、あんなシュテファンを見ても動じないアンジュに、少し安心した」

「何? 過去に女を盗られたとか?」

「そんな他人に楽しいネタはないぞ。ただ、なんて言うか、父上にはポーッとしてたけど、シュテファンには警戒してるみたいだったし、アンジュの好みじゃないのかなぁって。俺に寄ってくる女は、シュテファンにつなぎが欲しいやつばっかりなんだ」

「ああ、そういうこと。自分がモテてるんじゃなくて、従兄狙いで悔しいと」

「別に不特定多数にモテたい訳じゃないさ。アンジュが靡く風はないから安心したってこと」

「シュテファン様は、苦手なタイプだと思います。出来れば、ご縁はこれっきりだと嬉しいのですけれど⋯⋯」

「そりゃあ無理だろ。お前のクリス従兄いとこで、ウチの領地も国も、この辺一帯の監理守備職長官だぜ? まったく付き合い無しではいかないだろ」

「公の場でのみ、遠巻きにお願いしますわ」


 お嬢さまの話では冷えた仲だと聞いていたし、お父さまも、クリスが先触れを出して訪問したらお嬢さまが逃げるかもというようなことを仰ってたし、エルマさんも、意に染まぬ親の決めた婚約者だと言っていたのに。

 クリスは、来年の結婚に異存はないようで、むしろ前向きに考えているみたいだし、お嬢さま(私)がシュテファン様をあまりよく思ってないように言ったら、普通、従兄弟なら不快になるだろうに、逆に安心したような事も言っていた。


 クリスは、お嬢さま(のフリをした私)が昔話を持ち出して公爵さまと話すのを見て、幼少の頃に何度か話した私がお嬢さまだったのだと思って、昔馴染みならと気持ちが前向きに変わったのだろうか。 


 それはいいことのはずなのだけれど。

 貴族の、家同士で決めた縁談は、どちらかに明らかな瑕疵があるとか、特別な事情もなく破談には出来ないのだから、クリスがお嬢さまと少しでも向き合う気になるようにと、萌葱色のドレスを着たり、一緒に舞踏会に出たり街歩きに付き合ったりしたのに。


 なのに、何だろう、なにかこう、胸の奥で何かがざわめく感じが、呼吸を浅くし、ちゃんと明かりもともっているのにまわりが薄暗く感じるのは、寒い冬に備えて保温性のある石造りの壁のせいだけではないような気がした。



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