第23話『囚われ(side Duke)』

 陛下から内密にとアリエル様との結婚についての話を貰った時には、もうもしかしたら姫はあの子なのかもしれないとは考えていた。


 それにその姿は全く違ってはいても、やたらと俺のことを好きな、良くわからない女の子だと思っていた感覚には、どこか既視感があった。


 アリエル姫からお忍びをした際に俺から助けられた事があると聞いた時に、あの時にもっと彼女に踏み込んで真相を聞けていたなら……いいや、もしもの世界は存在しない。


 どれだけ悔いて元に戻りたいと願ったところで、何をどうしても動かない過去は変えられない。


 人を殺してしまうことに躊躇いがないかと聞かれれば、何か特殊な殺人を主とする訓練でも受けている人間でなければ、すぐにそれを肯定することは難しいはずだ。


 俺は無意識に大勢の命を、奪ってしまった。一人一人の顔なんて、覚えてもいない。気がつけば、死体の海の前で呆然としていた。


 だが、あの時に亡くなっていた彼らは俺と同じように家族を持ち、国を守るという誇りだって持っていた兵士だったはずだ。


 そんな狂戦士になった功績を以て、国でも名誉ある爵位を与えられると言われても、嬉しくもなんともない。アリエル様の件を聞いていなければ、すぐに断っていたことだろう。


 だが、姫を娶るにはそうするしかないと言われれば、俺はこの話を受けるしかない。


 それに、姫本人から何年か前に約束をしたあの女の子なのかどうなのかと、確認することだって先決だった。


 現在仮定としている関係がここで確定してしまえば、俺が辿る道はこの先ひとつしかない。


 そうだとわかった段になっても往生際悪く、俺は時間を引き延ばしていたかった。


 結婚前の女性が幸せなはずの結婚式前に、何故か憂鬱になるという不思議な症状は、もしかしたらこれかもしれない。


 これまでは果てしない可能性を持って広がっていた未来が、一筋の道に収束していくような例えようもない感覚。


 幸せになりたいかと自分に問いかければ、それはそうだろうと頷くしかなかった。不幸なままで居たい奴の気持ちがわからない。


 俺はアリエル姫をこれまでは恋愛対象としては、敢えて意識はしないようにしていた。だが、結婚の約束を交わしたあの女の子本人であると言うのならば、それは別の話だ。


 人生の岐路を選び、覚悟を決めるその瞬間は、俺自身が望むと望まないにしろ、もうすぐそこまで近づいていた。



◇◆◇



 アリエル姫は疲れて、寝てしまった。


 だいぶ加減をしたつもりだったけど、初めてだった彼女にしてみれば、これは一大事だったはずだ。


 これまで自分勝手だったと、姫は言ったけど。何もかも逆だ。彼女を傷つけて自分勝手だったのは、他でもない俺の方だった。


 もっともっと、姫の心を完全に傷つけるほどにわかりやすく冷たくすれば、見るからに周囲に甘やかされていた姫だって、すぐに俺の執務室にやって来るのを諦めてしまったはずだ。


 俺は、それをしなかった。出来なかったのだ。王族のお姫様だから仕方ないと諦めたように見せつつ、姫に会いに来て貰うことを止めて欲しくはなかった。


 輝くような素晴らしい未来が待っているはずの王族の姫君に対し、どうにかして身分を持たない自分を諦めさせようとしていたはずなのに、今思い出せば、その時だって心の奥に居る誰かが叫んでいた。


 どうか。この俺のことを、まだ諦めないでくれ、と。


 姫は無防備な、あどけない顔で眠る。


 この彼女を守り切れなければ、俺は殺されてしまうだろう。


 それは王族を守るという大事な任務を遂行出来なかったから殺されてしまうなどという、そんな簡単な理由でもない。


 彼女は陛下や三人の殿下たちにとって、まごうことなく掌中の珠だからだ。彼女自身が竜の身体に存在するという、それに触れれば怒りを買う逆鱗のようなもの。


 ユンカナン王国では至上の権力者たる彼らに逆らえば、どうなるのか。


 それは、見目麗しい王族を支持したいだけならば、あまり知らない方が幸せなのかもしれない。政治の裏側は醜いものだ。綺麗事ですべて終われば良いが、そんなことはあるはずもなかった。


 日が暮れてしまった薄暗い室内で、俺は静かに獣化した。


 とりあえず、自分の荷物を置いていた部屋へと向かった。


 人化して予備の服へと着替え、すぐ近くで見張りをしていた部下から、俺を攻撃してきた例の侵入者を捕らえている地下への道を聞いた。


 姫か俺を狙った飛行する離宮の侵入者は、明らかに様子がおかしかった。


 現場で指揮をすべき俺が行かなくても、部下があの侵入者から既に情報を得ようと動いているはずではあるが気が急いた。


 これまでに様々な面々より恨みを買っているだろう俺が標的ならば、それはそれで良い。


 狙われたとしても、すべて返り討ちにすればそれで良いだけの話に終わる。


 だが、このユンカナン王国国内にてアリエル姫殿下が命を狙われ、彼女が命を失ってしまえば、王家は要となるただ一人の人物を喪ってしまうことになるだろう。


 特に彼女とは同母の兄である、王太子ラインハルト殿下の妹への溺愛振りはとても有名だ。国民ならばそれを知らぬ者は居ないはずだ。


 姫は生まれた時から家族に溺愛されることが日常なので当たり前だと思っているかもしれないが、周囲から見れば、長兄からの執着が常軌を逸していることは丸わかりだ。


 ユンカナン王国ではラインハルト殿下の、以前の婚約者が亡くなった理由を取り沙汰することはあまりない。


 国民が皆、それに触れてはならないようなそんな気がしているからだ。


 王太子ラインハルト殿下の婚約者は妹に対し異常な執着を見せる彼に、生前苦言を呈していたらしい。


 妹離れをして、いずれ結婚する自分を見て欲しいと。それは、政略結婚であろうが、その相手を良く思い愛して欲しいと願っていれば当然のことだ。


 異性の俺にだって、その感情の流れは理解することが出来る。


 それに、ラインハルト殿下は外見上は申し分のない女性が夢見る王子様だ。幼いころから何でもこなす優秀な王太子として知られ、政略結婚であったとしても、相手が恋に落ちて本気になってしまっても仕方ない。


 事故で亡くなってしまった婚約者に対し、ラインハルトは彼女の喪に服するとして、数年経った今も、未だに誰とも婚約していない。


「……ナッシュ団長。こちらです」


「悪い。遅くなった」


 俺が地下の部屋に入れば、やはり尋問を既に開始していたようで、全身ズブ濡れになった半裸の男二人が床へと倒れていた。


 剥き出しの背中には、何もない……あの中途半端な獣化はなんだ。獣人は人の姿で耳や尻尾が残ることがあるが、あれほどの特徴を出しているならば、完全に獣化しているはずなのに。


 ……あの姿はおかしい。


「……ナッシュ団長、お疲れ様です」


 先んじてその場に居たマティアスがこちらを見て、黙ったままで首を横に振った。


 情報は得られていないと、そう言いたいのだろう。まあ、それはそうだろうなと思う。


 こういった犯罪組織に属する連中は、まず最初に教え込まれるのだ。


 もし、敵側に捕らえられた時に、何か情報を話してしまえば、自分が残した大切な存在が、どうなってしまうのか。


「何かを言ったか」


「いいえ。悲鳴すらも洩らしません。翼のあった背中にも仕掛けがあると思いましたが、結局は何もありませんでした」


 最近、国を騒がせているる盗賊は、彼らが根城とするアジトを突き止め追い詰めたとしても、全員が煙のように姿を消してしまう。


 中途半端に獣化したあの妙な姿といい、今までになかった何かが、このユンカナン王国で起きていることは間違いなかった。

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