『カクヨムWeb小説短編賞応募作品』ミラーボールの下でスイングを
お涼
第1話 ミラーボールの下でスイングを
● ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄●
僕は23歳で、そのとき2次会のカラオケがお開きになり、
財布を探すのにもたついて最後に暗いカラオケルームを出るところだった。
蛍光灯の少ないカラオケ屋は、
部屋どころか廊下も暗く黒色塗の壁にecho karaokeと書かれたネオン管が
唯一空間をピンク色に照らしていた。
その光を頼りに僕は部屋を出ようとすると、
ふいに一緒に来ていた女性の一人が戻って来て、
私より20cmほど低い身長の身体を僕に近づけた。
目の前で上目遣いに僕をみつめた。
ヘゼルアイの彼女の虹彩は黄、緑、茶色。
大麻で一時的に脳を犯された状態の瞳は小刻みに震え、
それに合わせて万華鏡のようにその色を変えていた。
その瞳が、僕の面白みのない真っ黒な両目と有機的に絡み合い、
それ以外の物をまるで高速域で肉眼ではとらえられなくなった
背景のように置き去りにした。
そのまま、彼女の顎が30度ばかりあがって、軽く唇を突き出した。
僕はそのときはじめて、好きでもない大麻女と絡み合ったキスをした。
史上空前の円安が日本を騒がせた年のカナダでの秋の頃だ。
● ●
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「日本人って本当にシャイなのね。みんなクラブに行こうとすると「んー」とか唸って、ギリギリな顔をして頷いてるのかわからない首の動かし方をするわ」
隣を歩く一つ年下の韓国人の女の子が僕に向かっていった。
「ユジンは、今晩のナイトクラブ行くの?」
「もちろんよ。毎週水曜日が入場無料なんて信じられないわ。やっぱり、
アメリカ大陸は全員パーティー好きなのね」
「韓国に彼氏がいるのに?」
僕がぼそりと呟くと、
彼女は切れ長の幅の狭い二重の目で蛇のように僕を睨んだ。
彼女達と知り合って二週間ほどがたったが
ユジンはとても顔に出やすい女の子だ。
つまらないときや、イライラしているときは
すぐに眉間と口のすぐ下に皺がよるのだ。
ただし、服装や実際に可愛い容姿について褒めると
嬉しそうに「thank you」と言って機嫌をなおしてくれるので
うまく付き合えているが、今そんなふうに舵を切っても墓穴を掘るだけだろう。
「なに? 日本人は恋人がいたらクラブに行っちゃいけないの?」
ユジンの向こう側で並んで歩いたスペイン出身の女性
数週間後に26歳になるクラウディアが僕の方に覗き込んできた。
「普通はそうじゃないかな。ナンパ狙いの男は多いし、恋人がいるのにわざわざ出会いの場に行く必要なんてないじゃないか」
僕が答えると、彼女は大げさに口を開いて驚いた。
「クラブが出会いの場? お酒を飲んでダンスすることころでしょう? お酒とDJと煙草とマリファナと一緒にダンスできる唯一の場所がクラブなのよ? それを恋人から奪おうっていうの?」
「それは余計にいかせたくないような気がするけど」
と僕は答えた。
「でも、あなたに恋人はいない、少なくとも今日あなたが私たちとクラブに行くのに断る理由はないわ。それに、ミラーボールの下を出会いの場だと思っているなら、女の子にクラッシュしちゃえばいいのよ。ヤドリギの下なんかよりよっぽど頼りになるわ」
ユジンが楽しそうにそういった。
「クラッシュ? なんだか古典的なアニメの出会い方だな」
僕が感想をいうと、クラウディアが小さな顔の表情筋をいっぱいに使って笑った。
「クラッシュっていうのは、惚れるっていう意味よ。まあ、あなたはアニメ大国日本出身だし、プリキュアかプリウスみたいに女の子に激突して出会うのも悪くないかもね」
日本のアニメと交通事情に妙に詳しいクラウディアは
ユジンと一緒に僕の勘違いについて笑い合っていた。
僕は少しばかり面白くなかったので、無理やり話を戻すことにした。
「そういうことじゃなくて、財布を盗まれたり帰り道に襲われたりするのがいやなん
だよ。みんな、クラブでスマホやら財布やらを盗まれた友人を一人は知っているだ
ろ? 僕は君たちが朝のニュースの行方不明者に名前が乗らないことを祈ってるよ」
僕がそう言い切ると、それ以上彼女たちは無理に僕を誘わなかった。
「まあ、また気が変わったら連絡してね。あと、私がスペインに帰る前に一度は一緒に行きましょうね。あなたのダンスみたいわ」
クラウディアは、スペイン語なまりの若干巻き舌で早口の英語でそういうと、
最後に鮮やかなウィンクをして覗き込んでいた顔を元の位置に戻した。
そうしている間に地下鉄の駅に到着した。
駅前でコーヒーカップを片手に通行人がコインを恵んでくれるのを待っている
ホームレスを横眼に、改札を通って「See you tomorrow」と手を振って別れ、
彼女達とは反対側の電車に乗った。
僕は電車内の座席に座るとため息をついた。
息を吐き切ると、今日朝起きて、ここにくるまでの光景が
頭のなかにふつふつと浮かんできた。
地下鉄内では携帯電話が問答無用で圏外になる。
だから僕は、電車に乗ってる間の
人生においておおよそさ有意義とはいえない時間を
なんとか価値あるものにしようと思っているわけではないが
それ以外にすることが無いので
今日出来なかった英語表現や、会話などを
脳内で振り返ってまとめた。
そして最後に彼女のたちのことを考えた。
彼女たちと僕の関係は絶妙な距離感で、バランスを保っていた。
英語の得意なユジンとクラウディアはそつなく会話することができるが
僕はどうにもクラウディアのスペイン語なまりの英語を聞き取るのが苦手だった。
そこをユジンが上手く簡単な英語で言い換えてくれているのが
よくある光景であり
日本文化好きなクラウディアは「どうして長男は家にいなきゃいけないの?」
とか僕にも答えるのが難しい質問をしてくるので
ユジンの通訳はとても助かった。
同時に自己主張の強いスペイン人と韓国人を
シャイで和を尊ぶ習性をもつ日本人の僕が
緩衝材としての役割を果たすことで均衡を保っていたのだ。
だからって、今日のナイトクラブに僕が必要不可欠だとか
そういうことが言いたいわけではない。
彼女たちはパーティーが大好きで
むしろ騒ぐことが苦手な僕がいるほうが足でまといだろう。
なにより、僕が色濃い沙汰に興味を示さないから
彼女たちは消毒された便器のように安心して
僕を尻に敷くことができるのだ。
地下鉄を降りてたとき、電波が回復し
数分前に最後の誘いのメッセージがクラウディアから届いていたが
僕は結局それを断って、ナイトクラブにはいかなかった。
〇
語学学校の授業は平日の8:30にはじまり13:00に終わる。
しかしほとんどの外国人生徒は時間にルーズで、
人が集まりだすのは大体9:00あたりになってからだ。
日本人は時間に律儀で、最初の数週間は時間通りに来るが
周囲の人間が遅刻による出席点の減点を気にしないと分かると
時間通りに来なくなる。
彼らのおおよそは夜遅くまで飲んで昼間で寝ているか
朝から絶叫マシンで有名な遊園地に遊びに行っているかのどちらかだ。
今まで僕は授業に遅刻も欠席もしたこともない。
それは日本人としてのプライドとかではなく
今のところ僕には夜通し遊ぶ予定も、朝から出かける予定もなかったからだ。
カナダは秋でも19;00くらいまでは明るいので、
授業終わりからでも夕方まで太陽の下で、
丁度良い気温と乾いた湿度で活発的に行動できる。
僕はそれで十分満足してしまうのだ。
今日も僕は10分前くらいに教室について、
教卓に座ってパソコンでメールのやりとりをしている
バングラディッシュ出身の中年女性の先生に、
有線式のイヤホンを耳からはずしながら
「Good morning」と挨拶をして、
3つあるうちの真ん中の白い長机の壁際に座った。
30人弱くらいが入れる少人数教室には、
僕と先生以外だれも来ていなかった。
8時半を過ぎてもその状況は変わりなかった。
ちなみに遅刻扱いになるのはここから15分経過してからだ。
僕は英語や、ポルトガル語などでかかれた
壁の落書きを指で静かになぞっていると、先生が立ち上がった。
「木曜の朝は誰も来ないのよ」
先生は開けっ放しだった扉を時間切れですといわんばかりに、パタンと占めた。
「みんなナイトクラブに遊びにいったんですよ」
「あなたはいかなかったの?」
先生は僕が座っている長机とは別の机の上に浅く座って、僕に尋ねた。
「ええ、まあ……。僕という人間はリスクテイカーではないんです」
僕はクラウディア達に説明したことをまた一から説明するのは面倒だったので、
一言で言い表すことのできる英単語を探して、簡単に答えた。
「カナダにはるばるやってくる人間がリスクテイカーではない、というのはどうなんでしょう」
「競馬で複勝を買うようなものですよ。参加はしても、一番の勝負はしません」
僕が答えると、先生は競馬については詳しくなかったのだろう、
出目金のような黒い目をパチパチとさせたあと、愛想笑いを浮かべた。
「複勝(show)って?」
面倒くさいことをしたと後悔した。
「3着までに入る一頭をあてるのが複勝です」と英語で説明するのは、
僕にとっては実際に競馬で複勝を当てるより難しい。
僕はなんとか上手く説明しようと、頭の中で英文を組み立てていると、
扉が開いてクラウディアとユジンが教室に入ってきた。
「「morning」」」と挨拶しあったあと、
遅れてすみません的な笑顔を先生に向けて、
クラウディアが僕の正面に、ユジンがその隣に並んで座った。
時計を見ると8時45分。遅刻ギリギリで1,2,3の入着となった。
二人とも目の下にくまができていて眠そうだった。
特にクラウディアは26歳を目前に控え、
若干劣化してきた顔は溜まった疲れを見えやすくしていた。
ユジンは袖の辺りにWのようなロゴがついている
上下グレーのスウェットを着ていた。
いつもよりかなり楽な格好だ。
僕はそのことについて、いつか遠回しに二人に指摘したとき、
クラウディアは今の年齢が一番エネルギッシュで楽しいと言っていたし、
ユジンは「韓国の学生はみんなこれを持っているし、授業もうけるわよ」
と言っていた。
とはいっても、多少ギリギリでも授業にやってくる
彼女たちには好感が持てる。
しばらくして、ブラジル人とイタリア人の生徒たちがやってきて
やっと授業らしい授業が開始した。
そのときにはもう9:00を過ぎていた。
〇
昼休みになると、各々持ってきた昼ご飯を机に出して談笑しながら食事をする。
僕はいつも家から出る前に10分で作った、
具材がハムとマヨネーズだけの耳の残ったサンドウィッチを
おいしくなさそうに頬張る。
ユジンは韓国スーパーで買った、
ポップなハングル語がパッケージに書いてあるストロー付きのジュースをすすり、
クラウディアはホームステイマザーが作ってくれたご飯が入った
ガラス製のタッパーを机においたまま、熱心に携帯をいじっていた。
「食べないの?」
僕は尋ねた。
「ちょっと待って……」
クラウディアは携帯に集中したまま生返事を返した。
「クラウディアは昨日会った男と連絡するのに忙しいのよ」
隣でユジンが代わりに答えた。
彼女のジュースはもうほとんど飲んで潰れていて、
教科書で今週末のテスト範囲の確認をしていた。
「男? それってどんな?」
「日本人の男よ! 昨日のクラブで声をかけられて仲良くなったのよ!」
「そうなんだ」
「私のことがカナダで一番美しいだって! 今夜一緒にボートパーティーに誘われたのよ!」
そのパーティーなら僕も知っている。
語学学校が主催するパーティーでトロントが面している大きな湖に、
船を出して夜景を遊覧しながら楽しめるおしゃれな催しだ。
丁度それについての張り紙が教室の壁に大きく張られている。
たしか開催は来週の木曜日だ。
外国人は平日にパーティーを開くのが好きなのだろうかと思った。
ちなみに、これについては僕も参加する予定だ。
語学学校主催ということもあり
顔見知りを作ることのできる機会でもあるからだ。
「パーティーであなたにも紹介するわね」
クラウディアはそう言ったが、僕は首を横に振った。
「良いよ別に、多分僕は彼と上手く話すことができないとおもう」
「日本語が通じるじゃない」
「そうじゃなくて。クラブで女の子に声をかけて連絡先を好感して、次のパーティーに誘うような男は、スペインではどうかしらないけど、日本ではよっぽど不誠実な人間だと思うよ。僕は日本人の男だから、スペイン人の女の君より彼のことが分かる」
「なんだか、今日のあなたはとてもアグレッシブね。聞いてもいないことにこたえてくれる」
クラウディアが一呼吸おいて言った。
「まるで、女の子の恋愛話みたいにね」
そう言った後、僕はユジンと目が合った。
彼女は何か言いたげだったが、黙ったままだった
「パーディではバラバラになりそうだね」
「あなたが彼と「Hello」すらいわないならね」
「そのときは「こんばんは」で通じるから必要ないよ」
そう僕は答えた。
〇
語学学校はクラスメイトが目まぐるしく変化する。
理由はいくつかあるが、
一番の理由は2週間ごとに行われる定期テストで
合格すれば次のレベルの教室に昇格するからだ。
逆に不合格でも降格することはないが、
今回のテストで3人の中でクラウディアとユジンだけが合格し、
僕だけが残った。
それは僕たちの英語力の差を考えれば、特別不自然なことはなかった。
そして、彼女達とは教室の場所も変わりあまり話す機会もなくなった。
だからボートパーティーが木曜日だった理由はなんとなく分かった気がする。
古い友達が恋しくなってくるし、
新たなクラスメイトと親睦が深められる機会でもあるからだ。
そして、それくらいボートパーティーの参加者は多いのだ。
「あなたは、今日のパーティー参加するの?」
斜め前に対面する形で座っている、
メキシコ人の女の子が、先生が文法の解説をしている最中に話しかけてきた。
彼女はアロ。
先週のテストで合格して、僕のいるクラスにやって来た
新しいクラスメイトだ。
正確に名前はアロァンドラであるが、
ロァンの発音が難しくて苦戦していると
アロでいいよと最初にあった時に笑って言われた。
両親がアボカド農家を営んでいて、
彼女も農家の娘だけあってか、若干日に焼けた色の肌は、
彼女の眉毛から鼻筋にかけて
くっきりした顔立ちが特徴の小さな顔とマッチして
凛々しくも、生命力あふれる外見をしていた。
「もちろん」
僕は何度も他人に聞かれた質問を、何度も返答してきた言い方で答えた。
「それにしてはあまり楽しそうにみえないわね」
「一緒に行くはずだった友達が別の人と行くことになってね」
「いいじゃない。女の子と“踊る”のに、友達はいないほうだいいわ」
アロはニヤニヤしながら、
両方の手の人差し指と中指を動かしてコォーテーションマークを付けた。
「そういうのは好きじゃないんだ」
「どうして?」
「そういうのは誠実さにかけると思う」
「パーティーにきといて、気取らないのも誠実さにかけるとおもうわ。
ここにこれば Everyone is fuckxxx single (全員が非リア充)なのよ‼」
授業中だというのに、まあまあ大きな声でアロはそう言った。
「Everyone is fuckxxx single (全員が孤独野郎)……」
なかなかいい言葉だと思った。
アロは僕の曲解をどう受け取ったか分からないが
よく肥えたクルミのような目で僕を見つめていた。
〇
船は空の向こう側に少し闇が侵入してきた頃に、
200人ほどを乗せてゆっくりと出港した。
僕は最初新しいクラスメイトや、他のイベントで会った友人
日本人と挨拶をしていたが、
空を闇が完全に覆ったあたりで、甲板ではDJブースとミラーボールが作動し、
一瞬で本格的な俗なパーティー会場と化した。
僕は、甲板のすぐ下に位置する船室で、
ぬるくなったハイネケンを片手にトロントの夜景を眺めていた。
それまでラウディアとユジンには会わなかった。
別に、避けていたわけでもないが偶然出会うこともなかったというだけだ。
「何やってるの……⁉」
後ろから誰かが僕の背中にぶつかって来た。
それは声からしてアロであると分かった。
「夜景を見ているんだよ」
「それでなにか思い浮かぶことはあった?」
「上を見上げると日本より綺麗だけど、下をみると、つまり道路とかをみると日本より汚い」
「そうなの? 私も日本には言ったことがあるけど上も下も綺麗だとおもうけどね。
そして、日本人はとても紳士的で親切だわ。さすが忠義の深い侍の国ね」
アロはかなり酔っているようで、
酔っ払い特有の大袈裟な笑い方をしながら言った。
「ありがとう」
「でも、今あなたが行くべきはこの上よ」
アロは中指を立てて、船室の天井を指した。
天井は、甲板で踊る人々によって絶え間なく震えていた。
僕が渋い顔をして迷っていると、
「日本人が本当に忠誠心のある侍の国なら、可愛い女の子をこんな寂しいところにいさせたりしないと思うけど」
アロは付け加えるように言った。
「わかったよ」
僕はそこで折れて、新しいハイネケンを買いなおして
アロの後ろについて甲板まで上がることにした。
甲板までの階段の途中では、男女が抱き合ってキスをしていた。
それを横目に、甲板までやってくると
男女有象無象が、音楽に合わせて飛び跳ねていた。
絶え間なく色が変化するミラーボールと、
バーカウンターの後ろに掲げるように取り付けられえている
コロナビールのロゴを縁取るように点灯している黄色っぽい白熱電球が、
この空間での唯一の明かりだった。
誰かが天に向かって、煙草が大麻だかの煙を吐き出すたびに、
それが電球の光に照らされて、薄く光を遮った。
僕はアロに連れられるままに群衆の真ん中あたりまできて、
アロが立ち止まると向かい合って踊り始めた。
アロのダンスは、腰や腕がしなやかに揺れて、
単純な動きにもかかわらずとても上手に見えた。
僕は仕方なく、片手に盛ったビールをこぼさないようにして
適当にリズムに会わせて小さく首を揺すっていた。
しかし、船上というより戦場のど真ん中にいるようなものだから
何もしなくても見知らぬ男に足を踏まれ、
片手に持っている酒が跳ねて僕のTシャツを濡らした。
そんなTシャツのシミを見て、僕の自制心はユニクロで買った
一番安い無地のTシャツよりもとるに足らないものだと思い始めた。
まだ半分以上残っているハイネケンを飲み干すと、
聞いたことのないテクノポップに会わせて
アロと一緒にスイングをし始めた。
急に身体を動かしたことで、アルコールが早く回ったのか
身体が内側から火照ったように熱を帯びていた。
アロはなにもいわなかったが、楽しそうに僕の顔を見つめて笑った。
それは、お互いまったく異なる動きで
テンポの速い電子音であるのにもかかわらず、
まるで社交ダンスのように息を重ねたスイングだった。
アロは踊りながら、近くにいた女からヴェ―プを奪い取ると
一気に煙を吸って僕の顔に吹きかけた。グレープの甘い味が
顔いっぱいを浴びて目を瞬かせた。
僕は負けずと、アロから奪い取り同じように顔に吹きかけた。
煙草を吸った経験があまりなかったから
肺から吐いたときのような芯のある煙がだせず
空中ですぐさま霧散してしまう弱々しい煙をアロの顔まで持ってきて吐いた。
そのとき、甲板のどこかで興奮した乗客の一人が肩車をして立ち上がった。
他の人々から大きな歓声があがるが、DJはそこで突然音楽を止めた。
その一瞬の沈黙のとき、僕はアロと唇を重ねていた。
一度目は軽く口があたるくらい、2度目は舌を絡ませた。
それは激しく、柔らかく、ぬるりとした瑞々しさで
微かに葡萄の味がした。
舌を動かすたびに、
筋肉よりも、骨よりも内側から燃えるような熱がドバドバと溢れ出た。
なぜそうしたか自分にも分からなかった。
しかし、そうしなければお互いに収まりがつかなかったのだ。
糸を引いた唾液と一緒に唇を離した時、
それはDJが音楽を再開したときでもあった。
僕たちはまるで、お互いにリレーのアンカーを任され
接戦で走り切ったときのように
息を荒らげていた。
その後、DJが選曲したのは
『One direction』の『What makes you beautiful 』だった。
太陽に祝福された若者のエネルギーが溢れた曲は、
これ以上アロと僕とが身体を合わせるには明る過ぎた。
僕とアロはもう一度目があったとき、
彼女の眼はケーキからクリームとイチゴをごっそり水で洗い落としたような、
生気を失った目をしていた。
僕にとって、初めて見た女性の表情だった。
そして、それはとてもいつも勝気な彼女にしては
弱々しく愛おしかった。
ただこれ以上踏み込むことができないのも僕はもう知っていた。
アロは、奪い取ったヴェ―プをもとの持主に返そうとすると
そいつは彼女の知り合いだったみたいで
僕が脳内で、アロとのキスの光景を何度も巻き戻して再生している間に
彼女は僕から離れて行ってしまった。
気づけばパーティーは終了していて、僕は港に戻ってきていた。
時刻は夜10時半を過ぎていて、少し肌寒いくらいだった。
ただ、僕の身体はアロとの口づけの余韻を残したまま熱いままだった。
とりあえず僕は最寄りの地下鉄の駅を目指そうと歩き出した。
しばらく道を歩いていると、前をユジンとクラウディアが歩いているのに気づいた。
僕は若干酔いが残っていて、少し高い声で挨拶をした。
「やあ、パーティーはどうだった?」
「おつかれさま」
ユジンだけが、僕の質問を頭から無視してそう答えた。
クラウディアはなぜかうつむいていた。
「彼女どうしたの……?」
僕はユジンだけに聞こえる声で尋ねた。
「それが、前言った男の子が他の女とキスしているのをみちぇったらしいのよね」
僕は一瞬ドキッとしたが、彼女が別の男といるのを知っていたので
すぐに落ち着きを取り戻した。
「だからいったじゃないか、彼は不誠実な男だって」
「でも、信じてたのよ……」
横からクラウディアが言った。
「そうだったんだね」
僕は相槌を打ったが、それはかなり適当なものだったし
脳内では船上で起こったアロとの出来事が大変を占めていた。
そして、目の前で落ち込む女が、
とても惨めで安っぽい女に見えてきて
僕はほとんどその話に興味を失っていた。
でも、仕方ないからこの惨めな女を
少しくらい慰めてやろうと思った。
「じゃあ、今から契機づけにカラオケでもどうかな? カラオケは日本発祥の文化らしいし、なぜだかコリアンストリートにあるらしい。気分が落ち込んでいるときにビールでも飲んで歌えばスカッとするよ」
そう僕が提案した。
僕は彼女たちが断らないのをしっていた。
クラウディアは日本文化が好きだし、
ユジンはコリアンストリートには興味がある。
なにより、ユジンは見た目はサバサバしているが面倒見がいいから、
クラウディアを慰めるという理由ならなんだかんだでついてくるだろう。
実際彼女達は考えるそぶりは見せたものの、結局頷いて
僕についてくることにした。
カラオケ屋は、小さなライブの箱のようで
黒塗りの壁は薄暗く、ピンクの単色に光るネオン管だけが
照らしていた。
僕達は一時間分の部屋代と、人数分のバドワイザーを買って
カラオケルームに入った。
カラオケは天井と四方を壁で囲われているだけで、
パーティーとやっていることは変わらなかったし、
バドワイザーはハイネケンより苦かった。
二人は、クラウディアは来る途中で買ったマリファナの先に
ちょびちょびライターで火をつけて吸ってははき、
ユジンは黒いプラスチック製のヴェ―プを吸っていた。
僕はバドワイザーを啜るように飲んでいただけだが、
その煙と臭いを鼻が吸い込むたびに
船上での出来事がフラッシュバックして
カラオケになんてともて集中できなかった。
しかし、それは部屋にいる全員がそのように見えた。
順番が来ればみんなが知ってそうな洋楽を選んで歌うが
それはまるでベルトコンベアに流れてくるものを
機械的に仕分けているにすぎなかった。
それは右足を貧乏ゆすりするくらいには退屈だった。
カラオケのタイマーが0になってようやく一時間がたった。
ユジンが荷物を持って先に出て、
それに続いてクラウディアが部屋をでるとき
クラウディアと目が合った。
そのときなぜだか自分にもわからないが……
いや、ただの退屈しのぎだったのかもしれない。
僕は、舌を出して自分の上唇をなめて
その後にクラウディアに向けて薄い笑みを向けた。
クラウディアは表情を変えず、そのまま部屋を出て行った。
僕はそこで、ポケットに財布の厚みがないことに気づいて
暗い部屋を漁った。
やっと財布を見つけて部屋を出てこようとしたとき、
クラウディアが戻ってきて、僕の目の前にやってきた。
彼女はアロとキスをしたときと同じ目をしていた。
こんな簡単なことだったのかと思った。
それに気づいたときにはもう彼女の唇を迎えていた。
『カクヨムWeb小説短編賞応募作品』ミラーボールの下でスイングを お涼 @mood_red
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