遠山桂相談事務所・サイドストーリー

ましさかはぶ子

名付け親





「美月、おめでとう!」


麻衣が小さな声で言いながら病室に入って来た。


「ありがとう、麻衣。」


美月も小さな声で礼を言う。


「ほら、頼まれていたピザだよ。」

「ああ、ありがとう!うれしー。」


美月はベッドから起き上がる。

そのベッドの横には小さなベッドもあった。

麻衣がそこを覗き込む。


「うわー、小さい。」


麻衣がそこに眠っている赤ちゃんを見て呟き

満面の笑みになった。


「なによ、この小さい手、可愛すぎる。」

「小さいけど大変だったよ、痛いのなんのって。」


美月がピザを頬張りながら言った。


「みたいだね、私はまだ分からないけど。」

「教えてやるよ、麻衣もいずれ経験するだろうからさ。」

「こ、こわーい。」


麻衣を見ながら美月がにやにやしながら言った。


「でもこのピザ、美味しいね。」

「そりゃそうよ、妊婦さんや出産後のお母さん用に作ったから。

タンパク質鉄分多め、その上で油分は控えめよ。さっぱりしてるでしょ。」

「うん、ばっちりだよ、美味しい。」


麻衣が嬉しそうにミツキを見た。


「でもホントに結婚してすぐに赤ちゃんが出来たのね。」

「私もびっくりだよ。こっち来る前に入籍して、

しばらくしたら気持ち悪くなっちゃってさ。」

「ばあちゃんがつわりじゃねぇのかって。」

「経験者は分かるんだね。凄いね。」


美月と麻衣が顔を合わせて笑う。


「でも高校が少し伸びるね。」

「仕方ないよ、やる気になっていたんだけどこの子が生まれたなら

こちらが大優先。

でもその間に小学校ぐらいから桂に教えてもらう。

私はホント何も知らなかったからね、算数なんてマジ分からん。」

「数学はねぇ……。」


麻衣がため息をつく。


「本当に分かんない。

桂さんがいなかったら高校辞めていたかも。」

「何言ってんだよ、続けなきゃだめだよ。

私が始めたら麻衣にも教えてもらうつもりだから。」


その時赤ちゃんがもぞもぞと動く。

二人ははっとしてみる。


「起こさないようにしないとね。」


二人は顔を見合わせて笑う。


「ところで名前ってどうするの?」


麻衣が聞いた。


「色々候補はあるけど私は愛と言う名前にしたいな。

遠山愛。」

「愛ちゃんか、可愛いじゃない。」

「本当はまいと言う名前にしたかったんだけど

麻衣と被るし。」

「え、なんでまい?」


美月は立ち上がり赤ちゃんのベッドに寄った。


「女の子だからまいと言う名前にして育てなおそうかなとか考えてた。」


はっとして麻衣はミツキを見た。


「今度は楽しく生きて欲しいなと思って。

それをすれば私も楽になるかなと思ったんだ。

でもまいはもういるからあい。

いいよね?」


麻衣も立ち上がり美月の隣に立った。

ベッドには小さな赤ん坊が眠っている。


小さくまだ皺だらけの赤ん坊だ。

どことなく目元が桂に似ている。


「良いと思うよ。

それに女の子はお父さんに似ると幸せになるって言うじゃない。

この子目元は桂さんそっくりだよね。

凄い美人になるんじゃないの?」

「麻衣がそう言うなら愛にするよ。

私と麻衣が名付け親だ。」


二人はふふと笑う。


「でも桂さんが俺はとか言うんじゃない?」

「制作時には参加してるから良いんだよ。」


麻衣が吹き出したが思わず口を押さえた。

赤ちゃんがもぞもぞ動き出したからだ。


「起きちゃうかな。」

「そろそろおっぱいの時間かも。」


美月がスマホを取り出して時間を見た。

当然そこにはストラップがついている。


「うん、じゃあそろそろ失礼するよ。

赤ちゃんが来る準備も終わってるからね。」

「ごめんね、お世話になるよ。

でもホントに麻衣んでお世話になっていいの?」

「今更何言ってるの、しっかり用意してるし、

ばあちゃんも物凄く楽しみにしてるんだよ、ひ孫って。」

「おじいさんにもよろしく言ってね。」

「うん。」


病室を出る時に麻衣が思い出すように言った。


「ところで退院の時は誰が迎えに来るの?」

「その日は桂が役場を休んで来てくれるって。」

「じゃあその日は私は家で待機だね。」

「うん、よろしく。」


麻衣が少し苦笑いしながら言った。


「でも桂さん、畑仕事したいと言いながら全然だめだったね。」

「どうしてだろうね、家庭菜園レベルなら大丈夫だったけど、

本格的農業になるとなぜか上手に出来ないんだよな。

経営とか頭を使う方は良いんだけど。ぶきっちょなんだろうな。」

「細かい作業は駄目なんだろうね。だから料理も下手なんじゃない?

出荷するような畑仕事は簡単なようで

生き物相手だから繊細で気を遣うからね。

傷をつけたら売り物にならないし。

でも役場の方は桂さんが来て助かっているみたいだよ。」

「まあ、そっちの方が桂は向いてるよ。」


そして赤ちゃんがふにゃふにゃと泣きだした。


「私行くよ。」

「うん、ありがとう。」


麻衣が病室を去っていく。


美月が赤ちゃんを見下ろした。


あまりにも小さくて脆いものだ。

そしてふんわりとして生温かい。


この存在はつい先日まで自分の胎内にいたのだ。


命はこうして育つのだと

毎日のように桂と美月は感じていた。

そして出産時には今までにない痛みの中で

美月は赤子の生誕を自覚した。


自分の中から出て来る命だ。


桂もすぐそばにいて美月の手を握っていた。

彼もどう思っていたのだろう。


美月は赤ん坊のおむつを替えて乳を含ませた。

まだそれほど胸は張っていない。

何度か吸わせればそのうち母乳が出ると助産師が言った。


まだ上手に乳首を口に含めない赤子が

頭を振りながらそれを探している。


「焦んなくていいよ、ほら。」


と美月がその口に乳首を押し込んだ。

するとそれをぐっと赤子は吸う。


まだそれほど強くはない。

だがそれは命の始まりだ。


「愛、愛、遠山愛。」


美月は何度も名前を呼ぶ。


「良い名前だね、仲良くしようね。」


夕方になれば桂が来る。

明日にでも届けを出してもらおうと美月は思った。









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