君は機械のネジ巻きアリス

赤井レッド

第1話 記憶喪失

「指…………返……ださ……ッ!」


 酷い耳鳴りが止まず、ぼんやりとした声がどんどん遠のいていく。

 視界が徐々に狭まり、目の前の少女の姿さえも見えなくなろうかという瞬間――。


 バチッ! という衝撃が全身に駆け巡り、身体が跳ねた。


「っ……!?」


 同時に唇に柔らかい何かが触れ、勢いよく気管を通り抜けて肺を酸素が満たしていくのが分かる。

 同時に視界が開け、頭が徐々にクリアになっていく。


「指揮官っ!? ご無事ですか!」

「君は……」


 僕の元に駆け寄ってきたのは白いドレスのような服に身を包んだ可憐で華奢な少女だった。その整った顔立ちにこのような状況でなければ見惚れてしまっていたかもしれない。

 しかしその可憐な少女の腕の中には、その華奢な身体に全くそぐわない重々しい銃器ARがあった。


 周囲は瓦礫が散らばり所々に火の手が見える。一体ここで何が起きたんだ? それに僕はここで何をしているんだ?


「まさか記憶が……。貴方は私達406機動小隊の指揮官です。現在は作戦の遂行中だったのですが――」

「待ってくれ、指揮官? それに406機動小隊? 一体君は何を話しているんだ?」

「……やはり記憶に混濁が見られるようです。先程の爆発の影響か、心肺蘇生時の電気ショックによるものかは分かりませんが……。とにかく今は一刻も早くこの場を離れなくては指揮官の身が危険です! 私に自分を連れこの場を離れるようにご命令下さい、早くっ!!」


 目の前の彼女の気迫に圧され僕は言われるがままに彼女に自分を連れて安全な場所まで連れて行ってくれと頼んだ。


「了解しました! 指揮官は私の後ろを離れないようにしてください! ここからはアンヘルがいつ襲ってきてもおかしくありません。急ぎランデブーポイントに向かいます」

「あ、ああ……」

「こちらレイン。指揮官の生存を確認、しかし記憶に一時的な混濁が見られます。また、私と指揮官以外の全小隊員の大破を確認。作戦の続行は不可能と判断しこれよりランデブーポイントに急ぎ向かいます」


 彼女は無線越しに何かやり取りを行うと銃をいつでも撃てるように構え、部屋を出た。


 物陰に隠れ辺りを窺いながら移動する彼女の後を追いながら必死に記憶を掘り返す。

 僕は何者で、どうして今ここにいるのか。そして今まで何をしていたのかを。

 だが思い出せない。唯一思い出せたのは僕の名前がアレンであるということだけ。


 銃を持って先行する彼女の背を追っていると、ドレスの開いた背中から、その白い肌に何か文字が書かれていることに気が付いた。


 CAAM-10062-CD-Rain


「レイン……?」

「はい? もしかして私のことを思い出して頂けましたか!?」

「い、いやそうじゃなくて。君の背中にそう書いてあったから」

「あ……そういうことでしたか」


 僕がレインと言った途端興奮した様子で詰め寄ってきたが、レイン?はすぐに寂しそうな顔をしてシュンとしてしまった。


「レインっていうのが君の名前でいいのか?」

「はい。改めて自己紹介を、私は対獣自立稼働機械人形10062番、コードネームはレインと申します。406機動小隊の小隊長を務めていましたが……」


 そういえばさっきレインは私のことを406機動小隊の指揮官だと言っていた。だが小隊といってもレイン以外の小隊員の姿が見当たらない。


「他の小隊員は?」

「……私以外の小隊員は全滅しました。小隊員の内の一人が寄生型アンヘルによる侵食で暴走。背後から撃たれたことによって隊員の半数が稼働不能になり、銃声を聞きつけ集まってきたアンヘルから私と指揮官を逃がすために残りの隊員はその場に残りました……」

「それならまだそのアンヘルとかいう奴らと君の仲間は戦っているかもしれないじゃないか! 今すぐ助けに向かおう」


 レインは僕の言葉に静かに首を横に振った。


「何度も通信で呼びかけましたが誰の反応も得られませんでした。仮に生き延びていたとしても今から彼女等の元に戻る訳にはいきません」

「どうして……?」

「それは……指揮官はAEDで心肺蘇生に成功しましたが軽くない怪我を負っています。加えてもう地上に出てから二十六時間が経過しました、これ以上の地上での活動は幾らここら一帯のヴォイド粒子濃度が低いとはいえ指揮官の身体に障ります。今は一刻も早く指揮官を連れて本部に戻る事が第一優先です」

「だけど……。その隊員達は仲間だろう? なら……」


 レインが足を止め、僕の方に振り返った。

 彼女は嬉しいような寂しいような、どこか困ったようにも見える笑みを浮かべた。


「指揮官はお優しいのですね……。そのお気持ちだけで私達には充分です。私達は機械人形オートマタ……。アンヘルを駆逐しいつの日か地上を人類の手に奪還させるための兵器に……ただの道具にすぎませんから」


 一瞬浮かんだ表情は暗かったが、僕を安心させるようにレインは微笑んだ。

 それだけ言うとレインは再び周囲を警戒しながら歩みを進める。

 これ以上は追及するなとその寂し気な背中が語っていた。


 ♢


 どちらかが喋ることもなく、ランデブーポイントへと向かう中突然数メートル後方を歩く僕の元へレインが音を立てないように静かに近寄ってきた。


「指揮官、この先に一匹のアンヘルを確認しました。騎士リッター級のアンヘルであるため私一人でも対処可能です。指揮官はここに隠れていて下さい」

「君のような女の子を一人で危険な目に合わせる訳にはいかない」

「本当に指揮官は……。いえ……それでしたらここから私がアンヘルと戦闘する様子を見ていて下さい。そうすれば自ずと私と指揮官は違うのだと、理解していただけると思います」


 レインが耳元の通信機に手を当てる。


「こちらレイン。ランデブーポイントへのルート上で騎士リッター級のアンヘルを補足。迂回することは不可能と判断し戦闘を開始します」


 すくりと立ち上がるとその重々しい銃器を構え、レインはビルの角にその銃口を向けながら進んで行く。そして、ソレが角から姿を現した。


 全身を黒い体毛で覆った体長二メートル弱はあろうかという四足歩行の巨大な狼。瞳は黄土色に濁り、爛れた口元からダラダラと涎を垂らしている。

 化け物……そう、形容する他ない。

 その醜悪な見た目に加え、その鉤爪の先に引っかかったものを見て思わず絶句する。


 女の子の頭だ。頭部からは血を流し、目は虚ろで光は無い。

 そしてその女の子の首の断面からは機械の部品が露わになっていた。


「エンカウンター……!」


 レインはアンヘルに向かって発砲した。銃弾は狙い通りアンヘルの胸に命中した。


「ギィウッ!? ウグルァァァァァァッ!!」


 突然の胸の痛みに驚いたように胸元を抑えた後、即座に銃弾が発射された方向に向かってアンヘルは駆け出す。同時にレインも距離を置くように駆けながら背後のアンヘルに向けて再び発砲する。


 しかしその弾丸をアンヘルは身を屈めて回避した。

 加速するとそのままレインに向かってその鋭利な鉤爪を振りかぶった。


「っ! レ――」


 僕が声をあげようとした瞬間だった。

 レインの姿いつの間にかアンヘルが腕を振り下ろした先には無かった。


 上だ。一瞬しか見えなかったが、レインは素早い動きで近くの壁面を蹴りアンヘルの上空を舞っていた。

 遅れてアンヘルが自身の頭上を跳ぶレインに気付くが遅い。

 レインの銃弾が正確にアンヘルの頭部を撃ち抜いた。


「ギィッ……アァ」


 力なくコンクリートの地面に倒れる化け物。

 同時に空中を舞っていたレインがアンヘルの上に降りてきた。

 赤い血液を流し倒れる事切れたアンヘルのこめかみに向けてレインは再び数発の弾丸を打ち込んだ。


「戦闘終了。目立った損傷は無し」


 物陰から出るとレインの元へ駆け寄っていく。

 レインの腕の中には大切そうに、アンヘルの鉤爪の先に引っかかっていた女の子の頭が抱えられていた。


「レイン、その子は……」

「……同じ406小隊の仲間です。私達を逃がすために残った内の一人、です」


 虚ろに開かれた目をそっと閉じてあげると、レインはその女の子の頭部を見て悲しそうに目を伏せるとそっと地面に頭を置いた。


「私達機械人形オートマタは人間と違って死にません」

「どういうことだ?」

「私達機械人形オートマタの頭部にはAAMSDと呼ばれる記憶保存媒体が存在します。それさえ無事であれば新たなボディにそのAAMSDを読み取らせることで以前の記憶を完全に復元することが出来る。そんな私達の死があるとするならばそれはこのAAMSDが破損した時だけでしょう……」


 レインの白い手の中には銀色に輝く薄いチップのようなものがある。そのチップは真ん中からパッキリと折れており、完全に二つに別たれてしまっている。

 大事にそうにそれをポケットにしまうとレインは僕に背を向けたまま歩き始めてしまった。


 慌ててレインの後を追おうと腰を上げると、レインが通った後ろの地面には僅かにだが水滴の後があることに気が付いた。

 ビルの銀色の壁面に反射したレインの横顔には瞳から零れる一筋の光ときつく結ばれた唇が映っていた。


 その時先程レインに言われた言葉を思い出した。


 指揮官はお優しいのですね……。

 そのお気持ちだけで私達には充分です。

 私達は機械人形オートマタ……。

 アンヘルを駆逐しいつの日か地上を人類の手に奪還させるための兵器に……道具にすぎませんから。


 彼女達が兵器……? 本当にただの道具だというのか……?

 仲間を思って涙を流す彼女が。

 分からない。

 僕にはこれまでの記憶がない。

 記憶を失くす以前の僕もレインのことを、彼女達機械人形オートマタのことを兵器として、道具として見ていたのか……?


「指揮官? 先程から少しボーっとしていますが大丈夫ですか? まさかヴォイド粒子の影響がもう……?」

「あ、いや大丈夫だ。その……本当に君達が人間じゃないのかと疑問に思って」

「先程の戦闘や彼女の頭部を見てもまだ信じられないんですか?」


 少しおかしそうにクスクスとレインは微笑む。


「そうですね……。あっ、指揮官、もう少しこっちに近づいてください」

「ん? こうか?」

「はい♪」


 僕がレインの側に寄るとレインが僕の背中に手を回し、ゆっくりと、それでいて優しく僕を抱擁する。レインの大きな胸とその女の子特有の柔らかな身体の感触が直接感じられる。硝煙の香りとレインの甘い匂いが混ざった不思議な匂いがする。


「暖かいですよねまるで人肌みたいに。そういう機構も搭載されているんですよ? ふふっ、こうしてぴったりとくっついてると指揮官がドキドキしてくれてるのが分かっちゃいます」

「……言わないでくれ」


 レインのような可愛い女の子にこうして抱き着かれてドキドキしない方がおかしいだろう。


「ふふっ、すいません。でも指揮官がドキドキしてくれて私嬉しいですよ? ……こうしているともう、分かりましたよね?」

「ああ」


 人肌みたいに暖かくて、女の子の身体みたいに柔らかくて、女の子のように甘くていい匂いがして、それでも一つだけ感じないものがあった。


「こうして抱き合ってると感じる指揮官の鼓動……。私からは聞こえませんよね?」

「ああ……」


 レインの胸からは心臓の鼓動が一切伝わってこなかった。

 ゆっくりと僕から離れるとレインは少し恥ずかしそうに笑った。


「何だか指揮官に抱き着いてたらこっちまで恥ずかしくなっちゃいました。さぁ、行きましょうランデブーポイントはもうすぐそこですから」


 僅かに赤く染めた頬を隠すように僕に背を向け再び辺りを警戒しながらレインは移動を始める。

 僕はその後を黙ってついていく。


「ああ、そうだった」


 一つ、たった一つだけだが今思い出したことがる。

 機械人形オートマタ達には別の呼び方もあったことを。

 彼女達は地上を奪還するための兵器としての側面に加えて、誰もがうら若い美しい少女の姿をしている。


 確か機械の身体をした美しい少女が登場するこんな題の童話があった。

『機械仕掛けのネジ巻きアリス』

 人々はその童話から名を取り、彼女らのことをこう呼んだ。

 アリス、と。

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